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坂のある非風景 恋愛への空虚な入り口
なぜオフコースなのか、小田和正の詞の話へとつながったのか、やはりその詞の延長線上に「わたし、あな... なぜオフコースなのか、小田和正の詞の話へとつながったのか、やはりその詞の延長線上に「わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?」というセリフの意味があるのか、と改めて思いなおしていた。 小田和正の詩に恋愛はないし「君」は空っぽである。形くらいあるといってもそこにはありふれた形しかない。言い方を変えると、本当に恋愛をしていて特定の君がいたら、よほど表現力がない場合を除いて、こういう詩は書けない。そして空っぽであることは驚くべき特徴を持っていて、これを聴く人は「自分の君」を好き勝手にそこに放りこんで聴くことができるようになる。無意味や空虚が勝利するのは、まさに好き嫌いしか自己主張がないといったレベルの視聴者がその形式を自由に活用するときだった。 つまり小田和正の才能は、ディズニー映画が作り出した完全に受動的な消費者をずらし、自己主張もしてみたい、ちょっと積極的な消費者をターゲットに、彼らに