エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
『「ソクーロフ」 を日本で最初に上映した映画館のハナシ――<下>。』
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『「ソクーロフ」 を日本で最初に上映した映画館のハナシ――<下>。』
〓実は、「ソビエト映画祭」 のことは、思い出したことのハシッコでありまして、甦った記憶の中心は何か... 〓実は、「ソビエト映画祭」 のことは、思い出したことのハシッコでありまして、甦った記憶の中心は何かというと、 『孤独の声』 アレクサンドル・ソクーロフ という映画なのです。この映画は、実に地味な日本デビューをしました。 〓今では、東京の映画地図も、バブルのころに比べて、だいぶ塗り変わってしまいましたが、当時は、高田馬場がチョイとした核のひとつでした。 高田馬場 東映パラス 高田馬場 パール座 ACTミニシアター 早稲田松竹 なんて映画館が並んでいました。 〓今は、二番館の 「早稲田松竹」 を除いて、すべて閉館しました。いっときは、「早稲田松竹」 も閉鎖されて高田馬場から映画館が消えたときもありました。2001年に、設備の老朽化にともない閉鎖。ファンの声などもあって、2003年に改装されて再開し、今日に至っています。 〓アタシが、いちばん通っていたのは、 高田馬場 東映パラス なんです。駅の