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撮影者と鑑賞者は同一のクオリアを共有できるのか|高埜 志保
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撮影者と鑑賞者は同一のクオリアを共有できるのか|高埜 志保
私の見ている赤い色と、あなたの見ている赤い色は果たして同じ色なのだろうか。 この問いに対する解を証... 私の見ている赤い色と、あなたの見ている赤い色は果たして同じ色なのだろうか。 この問いに対する解を証明することはとても難しい。 例えば、1個の林檎を前に、「この色は赤だよね」とお互いに認識を確認できたとしても、それは2人が同じ色を本当の意味で認識しているという証明にはならない。 赤という名前はあくまでラベルであって、質感そのものを説明している訳ではないからだ。 視覚のみならず、聴覚、触覚、嗅覚、味覚などにおける主観的な体験を伴う質感は「クオリア」と呼ばれている。 考えてみれば、自分と同じ物理現象を体験している他者が自分と同じクオリアを体験している証拠なんてどこにもない。 風鈴の音を心地良いと感じる人もいれば、どこか寂しいと感じる人もいるだろうし、机の表面をつるつるしていると感じる人もいれば、ひんやりしていると感じる人もいるだろう。 クオリアを巡る問いは最大の難問と言われており、多くの哲学者や