ブックマーク / ymrk.hatenablog.com (7)

  • 性嫌悪と自分の内なる加害者性について - 自意識をひっぱたきたい

    (※この記事は性暴力について言及されています。性暴力に関して思い出したくない記憶がある方は、見ないことをお勧めします。) 最近「性嫌悪」という言葉を知りました。きっかけは、Twitterのプロフィールに「性嫌悪」と表記されている人のツイートに共感することが多々あったとか、そのくらいのことです。そんなこともあり「性嫌悪」という言葉について少しだけ調べてみたら、自分の黒歴史や、現在の自分についてよく理解できてしまったので、そのことについて書こうと思った次第です。そしてそれを自覚できたことは、自分にとって割と辛いことであったのでした。 僕が性について考えざるを得なくなったのは、2年前にある人と出会ってしまったからです。最高にひきこもりを極めていた2年前の僕は、Twitterで「自分の後ろに常にもう一人の冷めた自分がいて、そのせいで何をしても楽しくないんだー!」と、離人的な苦しみをツイートしまくっ

    性嫌悪と自分の内なる加害者性について - 自意識をひっぱたきたい
    erousu
    erousu 2015/09/20
    『「僕は救われました」で良いのか』というコメントが人気なようですが、この記事のコメントや性嫌悪に対する言及等を一緒に見ながら、お互いの性嫌悪について情報を交換してるので、そんな自己中でもないと思います
  • Coccoはなぜ唄っていたのか、拒食症との関係から考えてみる。 - 自意識をひっぱたきたい

    を読みながら生活をしていると面白いことが起きる。僕は普段、読むを選ぶとき明確な理由があって選ぶことは少ない。ただ単に題名で惹かれたり、何かのの中で引用されていたのが気になったり、自分の興味ある人が好きだと言っていたからだったり、そのくらい曖昧な理由で次に読むを選んでいる。 それにも関わらず、「自分が今まで読んできたたちには必然的な繋がりがあったのだ!」、とか、「自分がこういうを読むということは、自分の過去の人生の経験から既に決まっていたのだ!」、とか、少し神秘的なことを思ってしまいたくなるような感覚が、突然どこからともなく降ってくることがある。 精神科医で精神病理学を専門としている加藤敏さんの人の絆の病理と再生―臨床哲学の展開はまさしく僕にそんな感覚を味あわせてくれたである。特に第四章の『シモーヌ・ウェイユにおける摂障碍と「無の思想」』を読んだ時にそんな感覚になった。この章

    Coccoはなぜ唄っていたのか、拒食症との関係から考えてみる。 - 自意識をひっぱたきたい
    erousu
    erousu 2015/02/26
  • ブログを通して無意味な人生に少しだけ意味を感じた話 - 自意識をひっぱたきたい

    ブログ始めて丁度一年経つし(と言っても30記事くらいしか書いてませんが)、実家に帰省していて何だかやることも無く暇なので、過去の自分のブログの記事を読んでいました。 普通に赤面ものですよね。『なんでこんなくだらない個人的な悩みを堂々とネットで公開しているんだコイツは…』『きもい自意識曝け出しすぎだろ…』と後悔すること甚だしいです。 とは言うものの、その時の自分にとってはそれがとってもとっても切実な悩みであり、悩みをブログで公開することに何かしらの救いを求めていたわけであります。そしてそのことは確かに自分にとって一定の意味があったと思うので、どんな意味があったのかを振り返りながら書いていこうと思います。(どうせこの記事も後から読んで後悔するのでしょうが…。)そしてそれは無意味な人生と意味のある人生の違いを考えるうえで一つのヒントになると思います。 まず自分は大学に入ってから、ずっと自分の人生

    ブログを通して無意味な人生に少しだけ意味を感じた話 - 自意識をひっぱたきたい
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    erousu 2014/12/27
  • 統合失調気質な母親と、統合失調気質な僕の関係について - 自意識をひっぱたきたい

    昨日、姉の結婚式がありました。結婚式の前日に帰省したのですが、その時に精神科医で精神病理学を研究している加藤敏さんの『人の絆の病理と再生―臨床哲学の展開』を電車の中で読んでいました。そのを読むことで自分の性格ついて整理することができ、そして結婚式やそのための準備を通して自分と母親の関係についての認識も深まったように感じたので、そのことについて書いていこうと思います。 加藤敏さんは著書の序文の中で、『人間の基的なパーソナリティとしてこれら三つのパーソナリティ構造に注意をはらうことは、人と人との絆を考えるうえでも生産的であると考える。』として、『人間のパーソナリティ構造には、①真・善・美に対し「自然な自明性」をもち、虚偽に満ちた俗世間を生きることが苦手な「統合失調スペクトラム」、②これと逆に俗世間に対し「自然な自明性」をもち、他人との(感情的な)共鳴性と協調性が豊かな「躁うつスペクトラム」

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    erousu 2014/11/03
  • 社会運動に対するモチベーションがわからない僕が、Twitter上で在特会デモの様子を眺めながら自分の中の差別意識について考える。 - 自意識をひっぱたきたい

    昨日は全国各地で在特会のデモとそのカウンターデモが行われたようです。 自分のアイデンティティのことを家で独りで考えてばかりで、社会運動的なものとは無縁の僕は、Twitter上でデモの様子を眺めていました。(左寄りの方の視点を通して) こんな感じのツイートです↓ 六木に響き渡る「レイシスト帰れ!」のコール。カウンター抗議の人数が膨れ上がってきた。 pic.twitter.com/wWk3XYEw9F— space arrow (@uchunohate) 2014, 9月 23 怒涛の「レイシスト帰れ!」コール。六木、反レイシズム・ヘイトスピーチカウンター抗議の人数が膨れ上がってきた。 現場は警察官も多く緊迫した状況。まもなく在特会のデモが出発する模様。 pic.twitter.com/IcUwMZKDfI— space arrow (@uchunohate) 2014, 9月 23 在特

    社会運動に対するモチベーションがわからない僕が、Twitter上で在特会デモの様子を眺めながら自分の中の差別意識について考える。 - 自意識をひっぱたきたい
    erousu
    erousu 2014/09/24
    どうやら社会運動をしている人たちを「声高に正義を主張している」と表現してしまうあたり、僕はまだまだ理想化された“普通”への固執から全く抜け出していないっぽい。社会運動を理想化してしまっている。
  • 『アナと雪の女王』はひき裂かれた自己をどう救ったのか - 自意識をひっぱたきたい

    『アナと雪の女王』をGEOで借りて見ました。 最近読んでいたR.D.レインの『ひき裂かれた自己』と重なる部分が多かったと思いました。詳しいことはこちら↓ R.D.レイン『ひき裂かれた自己』から空虚な自分について考える。 - 空虚な人生を晒すブログ というわけで、『ひき裂かれた自己』に惹きつけて『アナと雪の女王』を考えていこうと思います。 ラストシーンまでネタバレをするので、お気を付け下さい。 幼少期、エルサは魔法の力により、アナを傷つけてしまった。アナはトロールの治療でケガが治ると同時に、エルサの魔法の記憶を消されてしまう。エルサはトロールに「魔法は美しいが大きな破壊も伴う」と指摘され、アナとの思い出が自分の攻撃性の発露として記憶される。 アナの怪我以降、エルサは魔法の力を両親以外誰にも知られないよう封じ込めるように命令される。部屋に一人で監禁されたような生活となり、アナとも関係が断たれて

    『アナと雪の女王』はひき裂かれた自己をどう救ったのか - 自意識をひっぱたきたい
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    erousu 2014/09/02
  • R.D.レイン『ひき裂かれた自己』から空虚な自分について考える。 - 自意識をひっぱたきたい

    R.D.レインの『ひき裂かれた自己』というが大学の研究室にあったので読んでみました。ものすごいでした。まさに自分のことが書いてある!と思いました。このをもとに自分について整理したいと思います。 『ひき裂かれた自己』では、分裂病、もしくはそれに近い患者が体感している世界をどうにか論理的に言葉で表現しようとしているです。分裂病は現在では統合失調症に当たります。 分裂病者よりも、分裂病質者という単語が頻出するので、分裂病に近いパーソナリティを持っている人について述べられている部分が多いと思われます。 最初に言っておかなければならないのは、レインが<普通>が正常で、分裂病が異常、という価値基準で論じているわけではないということです。むしろ<普通>が正常で分裂病が異常だと疑わない人の視線こそが分裂病を促進させてさえいるということを嘆いています。 序文でレインはこう述べています。 私が書の中

    R.D.レイン『ひき裂かれた自己』から空虚な自分について考える。 - 自意識をひっぱたきたい
    erousu
    erousu 2014/08/31
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