その後、デュッセルドルフ、チューリッヒ、シュトゥットガルトなどの歌劇場で第1指揮者を務め、1968年にはバイエルン国立歌劇場の指揮者となり名声を確立する。1973年、ウィーン国立歌劇場に『トリスタンとイゾルデ』でデビューし、翌年6月にはロンドンのロイヤル・オペラに『ばらの騎士』で、7月にはバイロイト音楽祭に『トリスタンとイゾルデ』でデビューを果たす。1978年にはシカゴ交響楽団を指揮してアメリカデビュー。その後も世界の著名な歌劇場やオーケストラの指揮台に立つが、一度も特定の楽団や歌劇場と音楽監督などの常任契約を結ぶことなくフリーランスの立場に徹している。 1980年代後半から指揮の回数が2,3年に数回のペースとなってゆく(指揮したオーケストラは主にバイエルン国立管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など)。クライバーがどこかのオーケストラを指揮する