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←「少年サンデー」1971年3月21日号「へんな芸術」特集に掲載されたダダカン師の写真。撮影/羽永光利、「Quick Japan」96年2月vol.6に再掲。 昨日、日帰りで仙台に行き、ほぼ9年ぶりにダダカンこと糸井貫二師にお会いしてきました。96年に俺が「クイック・ジャパン」でダダカン師を取材し、98年の拙著『篦棒(ベラボー)な人々』に収録したのですが、それがこの12月に河出書房新社から文庫化されるため、挨拶に伺ったのです(文庫発売は10月と告知してましたが、諸事情で12月初旬になりました)。 ダダカン師は日本におけるハプニング・アート、全裸行動芸術の開祖的存在であり、1964年の東京オリンピックに刺激を受け銀座の路上で丸めた新聞紙で赤フンドシをくるんだものを聖火に見立ててて全裸で走り、お巡りさんに捕まったり、1970年の大阪万博で太陽の塔を赤軍派が占拠した事件のときには、数百人の機動隊
伝統的コンビへの先祖がえり ハルヒとキョンの関係は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の主人公ドン・キホーテと従者サンチョの変奏として、位置づけられるだろう。 人格的に問題がある主人に従者が振り回されるというコンビは、涼宮ハルヒに限らずオーフェンとマジクなどでもいいが、よくあるパターンではある。しかし『ドン・キホーテ』は小説自体の源流なのだから、ライトノベルにそのような人物造形があってもおかしくはない。 風車に突撃するという有名なエピソードをはじめとして、現実と虚構の境界が曖昧になっているだとか、よくあるオタク批判をはるか昔に先取りしているところが興味深い。むしろ、現在の批判の方が無意識のうちにそれに影響されているのかもしれない。また、劇中劇などメタフィクションの要素もとうの昔に取り入れているのだ。 小説における主従関係の系譜 だがそれでは、『NHKにようこそ!』や『KANON』の川澄舞はど
海外で日本人デザイナーが成功するには「ゲリラ的な勝利」しか選択肢が無い。ド真ん中な主流デザインは「遺伝子レベルでオシャレではない日本人」にはもう絶対に無理。「ato」ぐらいが日本人の出来る限界です。 そして過去の日本人デザイナー達の方法論を引き継いで、それを平行進化させるようなやり方ではもう無理だと思う。完全に新しい方法でガラリと変える必要がある。 NIGOはデザイナーとしての才能がまるで無いところが強い。キレイな勝ち方にはこだわらないから、勝利への最短距離を躊躇せずに選ぶ事が出来ると思う。「トレードマークの入ったTシャツ」を、お上りさん相手にジャンジャンと売りつければ良い。有名人に取り入って彼等を広告塔にすれば良い。 渡辺淳弥はかなり屈折している所が良い。あんな服を作るのは相当ネジ曲がっている根性だ。「不細工なゲイ」がバーリトゥードでは一番強いに決まっている。才能では川久保に幾分負けるけ
「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語−夢の楽園」と題された、原美術館で開催されているヘンリー・ダーガー展を観てきました。 まずは色々と思うところがあったので、早々にダーガーの人と成りをご紹介します(前回、2002年にワタリウム美術館で行われた個展の序文より抜粋)。 1973年、シカゴ。身寄りのない81歳の老人が息を引き取った。彼が40年来住んでいたアパートの部屋には訪ねてくる人もいなかったという。アパートの大家は、老人の遺品を処分しようと、この雑然とした部屋に足を踏み入れ、大変なものを発見する。タイプライターで清書された1万5145ページの戦争物語『非現実の王国で』とそのために描かれた300余点の大判の挿絵だった。 ヘンリー・ダーガーは両親と死別し、幼年期をカソリック教会の孤児院で過ごしていた。そこで感情障害の徴候があらわれ、知的障害児の施設に移されたが、実際は精神遅滞ではなかった。
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