私も若い頃は揉め事のコアサポ(コアサポーターの略)だったので、最近のように大きな揉め事が立て続けに起こったらとてもじっとはしていられなかっただろう。「どっちも頑張れ!」「負けるな、もじゃもじゃ!」「よしよくやった! 法学者の立場から言ってやったぞ! そこにはモラルの出る幕などねぇ!」などと快哉を叫んだろうし、週末には、あの揉め事は関係者全員が抜きん出た個性を持ち合わせた稀有な事案だったな、また後から参戦した彼はいつもどおりのポジション取りながら意表をつく見事な視点を披露したし、などと振り返りながら過ごしていたと思う。しかし、今や私は揉め事に肩入れすることも、若干引いた位置から観戦するようなことも、しなくなった、いや、しなくなってはいないが、楽しんでいる姿を表に出さないようになった。 なぜこんな楽しい趣味を捨てたのか。理由は語らないが、今もその趣味をもつ人達はいつか全員ぶっ倒してやりたいと思