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ブックマーク / readingmonkey.blog.fc2.com (6)

  • あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇

    非モテ 親父先生! この非モテ、一生のお願いがあって参りました。これが誓いの唐笠血判状です。 親父 いや、もともと一揆の首謀者が分からぬよう、どっちが上かわからんようになってるのが、唐笠血判状なんだが。非モテ非モテと、自分の名前で埋められてもなあ。まあいいや。おまえの気を信じよう。言ってみろ。 非モテ 結局、王道しかないと悟りました。俺にモテるための地味な努力を教えてください! 親父 分かってるのか?地味な努力は牛歩の歩みだ。たとえば、1ヶ月でHな女の子の住所氏名が集まる裏技と、地味な努力があったとする。おまえはどっちを選ぶんだ? 非モテ も、もちろん地味な努力であります!! 親父 なるほど。では、おまえの気に応えるように、おれも気でかかろう。しかし言うまでもないが、地味な努力はスモール・ステップだ。ひとつひとつの段階は実現可能なほどに小さいが、しかしそれ故にまるで進んでないかのよ

    あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇
  • 人から本を奪う者はどんな報いを受けるか/当世米国「禁書」目録

    またしても大きな勘違いをしていた。 断のやり方には大きく分けて二つあって、ひとつは断する前にご馳走をべる(キリスト教徒の謝肉祭がそうだ)、もうひとつは断が終わった後ご馳走をべる(イスラム教徒がする)。 いずれにしろご馳走はべるのだが、アメリカで毎年やってる「禁書週間(Banned Books Week)」を、何かそういった類のものだと長らく思い込んでいた。 つまりたらふく読んでからを絶つのか、1週間何も読まずに耐えてその後がっつりを読むのか、そのいずれかだろうと踏んでいた。 なんのために? 多分、好き勝手にが読める有難さを思い出すために。 「禁書週間」の主宰のひとつであるALA(American Library Association;アメリカ図書館協会)は、毎年「週間」にあわせてchallenged books listを発表している。すなわち、「こんなを読ますな、見

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  • ゆるふわポリグロット(多言語使い)に捧ぐブックリスト

    Author:くるぶし(読書猿) twitter:@kurubushi_rm カテゴリ別記事一覧 新しいが出ました。 読書猿『独学大全』ダイヤモンド社 2020/9/29書籍版刊行、電子書籍10/21配信。 ISBN-13 : 978-4478108536 2021/06/02 11刷決定 累計200,000部(紙+電子) 2022/10/26 14刷決定 累計260,000部(紙+電子) 紀伊國屋じんぶん大賞2021 第3位 アンダー29.5人文書大賞2021 新刊部門 第1位 第2の著作です。 2017/11/20刊行、4刷まで来ました。 読書猿 (著) 『問題解決大全』 ISBN:978-4894517806 2017/12/18 電書出ました。 Kindle版・楽天Kobo版・iBooks版 韓国語版 『문제해결 대전』、繁体字版『線性VS環狀思考』も出ています。 こちらは10刷

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  • イタリアに実際に「在る」非実在住所「モデスタ・ヴァレンティ通り」 読書猿Classic: between / beyond readers

    近代国家では、住所を持たない人々に対して、政府は何もしない。 住所を持たない人々は、保健医療サービス、社会サービス、各種証明書の発行、職業紹介所への登録、政府からのさまざまな給付金といったものを、すべて受けることができない。 では常在処を失い、「住所」を無くした人には、当に何もできないのか? イタリアのローマ市はある提案を受けて、2002年2月27日、この問題に次のような、ひとつの答えを示した。 「2002年2月27日、ローマ市は、ある通りにModesta Valentiという新しい名前をつけた。居所がないことは社会的排除の原因の一つとなるため、その通りの仮想番地を「協定上の住所」として町のホームレスのために使おうというのである。 ホームレスは「協定上の住所」をもつことで、保健医療サービス、社会サービス、各種証明書の発行、職業紹介所への登録、市役所からの給付などを受けることができるように

    イタリアに実際に「在る」非実在住所「モデスタ・ヴァレンティ通り」 読書猿Classic: between / beyond readers
  • 1955年『鉄腕アトム』は小学校の校庭で見せしめ的に焚書された/橋本健午『有害図書と青少年問題』

    1955年、手塚治虫の『鉄腕アトム』は、複数の小学校の校庭で見せしめ的に焚書されたことがある。 Wikipediaの「悪書追放運動」の項や、2006年11月5日に放送されたNHKスペシャル『ラストメッセージ第1集「こどもたちへ 漫画家・手塚治虫」』の中でも取り上げられたので、ご存知の人も多いだろう。 「焚書」ばかりでなく、手塚が受けた批判の中には、「『赤胴鈴之助』は親孝行な主人公を描いているから悪書ではない。」というものがあったが、手塚が回顧する処によると、その様に主張した主婦は、実際には『赤胴鈴之助』を全く読んだり見たりしておらず、「ラジオでその様に聞いた」というだけの事であった。また、高速列車や高速道路、ロボットなどの高度な発展の描写を「できるはずがない」「荒唐無稽だ」と批判した上、手塚のことを「デタラメを描く、子どもたちの敵」とまで称した者もいたという(手塚治虫『ガラスの地球を救え』

    1955年『鉄腕アトム』は小学校の校庭で見せしめ的に焚書された/橋本健午『有害図書と青少年問題』
  • 図書館に私の本を置くなという作家(フリーライダー)

    地方紙のコラムだかに、作家を名乗る者が 「図書館は存在自体が著作権違反だ。私の図書館に置くな、図書館で読まれたらその分売れなくなる。商売あがったり、だ」 なる趣旨の文章を書いていた(らしい)。父親に聞いた話だから、少々怪しいが大まかにはそういう趣旨だったらしい。 なんともセコイ話である。 おそらくは音トークなのだろうが、意味するところのなさけなさに気づかないバカ音である。 著作権の最近の議論に、優れた作品にpublicが接しやすいことがむしろ重要なのであって、著作権はそういう作品を生み出そうとする作者に対してインセンティブを与えるためのものだというのがある(らしい)。 著作権とを読める権利の双方があるとしたら、著作権の方はむしろ「手段」であって、「を読める権利」の方が「目的」で優先する。 たとえば作家の遺族が、「相続した著作権」を盾にとって、みんなが読みたいその著作の出版を一切

    図書館に私の本を置くなという作家(フリーライダー)
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