死にたかった、どうせ死ぬなら戦場で死のうと思った-イスラム教スンニ派の過激派組織イスラム国に、戦闘員として参加しようとした大学生の言葉です。戦場で戦うということは自分が死ぬ可能性があると同時に、見ず知らずの相手の命を奪う可能性も持ちあわせています。自分は孤独に包まれて死んでも良いと思っていても、相手には愛する家族もいて死にたいなどとこれっぽっちも思っていないかも知れないのです。 「見えない一線」 同じ戦争の渦中に暮らしながら、戦闘の最前線で戦う兵士と成り行きを見守るしかない一般市民との間には「見えない一線」というものがあります。戦場を訪れるジャーナリストはそこを行き来します。 イラク戦争を取材していたある日、米軍が武装勢力に襲撃された現場に遭遇しました。私はそれまで、この戦争の結末がどうなるのか、一般市民の側から取材して見ていましたが、この時、私は「見えない一線」をまたいで戦闘の最前線“W
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