12月4日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次緊急公開監督・脚本:ウラジーミル・コズロフ 撮影:グレブ・テレショフ 製作:デヴィッド・フーシェ 2019年/原題:KOUNACHIR/ドキュメンタリー/フランス/74分/5.1ch/ビスタ 日本語字幕:松永昌子配給・宣伝 アンプラグド 公式サイ...
かつて釧路市で石炭を運ぶのに使われ、3年前に廃止された「石炭列車」の車両について、売却先が見つからないため、10月から解体処分されることが決まりました。 釧路市内の炭鉱の選別工場から港の石炭置き場までを結ぶ「臨港線」は大正14年に開業し、「石炭列車」として親しまれてきましたが、石炭の採掘量の減少などから3年前に廃止されました。 その後、車両は、選別工場のある旧春採駅の構内に留め置かれたままとなっていて、所有する会社が売却先を探していました。 いったんは別の国内企業に売却する方向となりましたが、新型コロナの影響による輸送費の高騰などで契約が解消されたため、保存するのは難しいとして解体処分が決まったということです。 解体されるのは、機関車4両と貨車28両のすべての車両で、10月から解体の作業を始め、年内には完了する見込みです。 石炭列車が留め置かれた場所には、29日も鉄道ファンが訪れて、解体さ
日本各地で捕獲されるサケの卵、いわゆる「イクラ」が、1990年代以降、徐々に小さくなっているとする研究成果を、国の水産研究・教育機構がまとめました。気候変動やサケを増やすための「ふ化放流」の取り組みなど、生育の環境が影響している可能性があるとして、詳しい調査が必要だとしています。 国の水産研究・教育機構の研究グループは、日本各地で捕獲されるサケの卵、いわゆる「イクラ」について、その大きさや数を、国などが記録してきたデータをもとに分析しました。 対象となったのは、北海道や石川県、宮城県など、10の道と県にある23の川で捕獲されたサケの卵で、データが整っている1994年から2010年を比べると、1粒の重さが最大でおよそ6%軽くなり、小さくなっていたとしています。 研究グループは、小さくなる傾向は北海道など、日本の北で捕獲されたサケの卵ほど顕著で、小さくなったことで1匹のサケが持つ卵の数は逆に増
【香港共同】香港の英国総領事館では19日、エリザベス英女王の国葬に伴い市民が献花や弔問記帳に訪れ、敷地から大きくはみ出すほどの長蛇の列ができた。市民からは、英国の統治時代に香港の自由や価値観、経済発展が形作られたとして「受けた恩は千年たっても忘れない」と感謝の声が多く聞かれた。 50代の女性は1997年までの英統治下に、香港の自由や経済、教育などが発展したとして「漁村を都市に変えてくれた」と感謝。女王は謙虚で温かく「母親のようだった」と親しみを込めて悼んだ。 20代の男子学生は「女王は私たちに誇りをくれた象徴的な存在だ」と強調した。
JR東日本によりますと、けさ全線での運転を再開したJR只見線は、非常ブレーキが作動したため、午前7時ごろから会津若松発・小出行きの下りの始発列車が、福島県会津坂下町の塔寺駅と会津坂本駅の間で停車しています。 この影響で、会津若松駅と只見駅の間の上下線で運転を見合わせています。 JR東日本は点検を行っても非常ブレーキの作動した原因がわからず、復旧の見込みが立たないとして、停車している列車の乗客およそ190人に車両から降りてもらい、代行バスで輸送することを決めました。 JR只見線は豪雨災害による長期間の一部区間不通を経て、1日朝、11年ぶりに全線での運転を再開したばかりで、トラブルで停車している列車は福島県から新潟県に向かう最初の列車でした。
このシールテープの巻き方について、時間を見つけて語っておこう。 結論からいうと。 この巻き方は「間違い」。 が、こういう巻き方が正しいと思い込んでしまう技術的事情があり、現代でもこれでないと止まらないケースがある。 それは歴… https://t.co/Yc1Ppwt3Sk
【小特集】マルチスピーシーズ人類学 思想の言葉 大村敬一 マルチスピーシーズとは何か? 近藤祉秋 〈対談〉「人間しかいないわけではない世界」の人類学 久保明教・近藤祉秋 樹上性マイマイ宣言(上) マイケル・ハッドフィールド+ダナ・ハラウェイ 多種(マルチスピーシーズ)民族誌から「地球の論理」へ 箭内 匡 人間以上にリメイクされる自然──『マツタケ』以後のアナ・チン、フェラルなものの人類学 奥野克巳 埒外の生態学にむけて──寄生と依存が生み出す社会 内藤直樹 複数種と「奥山」をめぐる思考──猟師・イノシシ・ウイルス,その目線の先へ 北川真紀 マルチスピーシーズとの協働デザインとケア 川地真史 フロイトのダイモーン(下)──転移の彼岸における神話と思弁 上尾真道 「近代」と呼ばれる世界が全地球を覆い尽くし、もはやその外はなくなってしまったとよく言われる。近代の内と外を行き来しつつ、その内外の論
記憶を父とし、記録を母として教訓(あるいは知恵)という子を生み、育てて次代に託す (保阪正康『戦場体験者 沈黙の記録』筑摩書房、2015年) 東日本大震災から11年半。岩手、宮城、福島の被災3県をカバーする河北新報社(本社・仙台市)の記者として「何のために書き続けるのか」と自問する中で、何度も励まされ、指針としてきたのが保阪さんのこの言葉です。 2012年3月下旬、福島県双葉町の志賀一郎さん(75)を取材しました。コメ作りを生業としてきた志賀さんの自宅は東京電力福島第一原発の目と鼻の先にあり、今も人が住める環境は整っていません。東日本大震災の津波で妻さち子さん(当時63)と、子守を頼まれていた生後4カ月の孫・仁美ちゃんを失い、夜明けを待って始めた翌朝の捜索は、原発事故によりわずか30分で断念せざるをえませんでした。今は宮城県名取市の一戸建てに1人で暮らしています。 ここまで話してくれて大丈
「天安門ファイル」 [著]城山英巳 濃密な書である。天安門事件を多角的に分析し、歴史的な位置付けを試みている。特に日本外務省作成の「外交ファイル」の開示を請求して、膨大な資料を入手し、読みこなした。通信社中国特派員の経験も生かし、関係者に追加取材した。33年前のあの出来事の、背景が浮き彫りになった。 視点は明確で、北京で事件を目撃し民主化にシンパシーを持つ日本大使館員への共鳴と、民主化デモを弾圧し国際社会で孤立する中国に救いの手を差し伸べた日本外交への不満である。 ファイルからは、日本大使館の中国との接触の過程や、対中外交の歴史的葛藤があぶりだされている。 著者によると、天安門事件では、戦後日本の対中外交で初めて「言うべきことは言う毅然(きぜん)とした態度」が求められた。それが欠如した背景には、当時の首相・宇野宗佑ら戦争体験を持つ世代の贖罪(しょくざい)意識があった。 著者は、ファイルにあ
プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(本名猪木寛至)が1日朝、都内で死去したことがわかった。79歳だった。 心臓の難病を患っていた猪木さんは昨年1月から体調を崩し、入退院を繰り返してきた。昨年3月には「猪木さんが亡くなった」との情報が流れ、打ち消すようにツイッターに「今日も一日リハビリを頑張りました。アントニオ猪木最強の敵と闘っています」と投稿。その後はSNS上で闘病の様子を公開していた。 昨年11月にはNHK・BSプレミアムでは、猪木さんの闘病生活に密着したドキュメンタリー番組が放送された。番組では病名が「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と明かされ、番組は大きな反響を呼んだ。今年5月には青森を訪れるなど回復に向かっているとみられたが、心臓の病は悪化していたという。
昼も夜も開館する日2日、3日、4日、10日から15日まで、17日、18日、24日、25日 昼は開館、夜は団体予約専用1日、7日、8日、9日、22日、23日、28日、29日、30日 昼は開館、夜は閉館6日、31日 休館日5日、16日、19日、20日、21日、26日、27日
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