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ブックマーク / originalnews.nico (5)

  • 存在感増すロシア——「大国」の実像と虚像

    小泉 悠 筆者は1982年の生まれである。 1991年のソ連崩壊時には9歳であったが、不思議なくらいにソ連という国に関する記憶がない。鮮明な記憶が残っているのは、ソ連崩壊後の衰退し、混乱したロシアの姿である。 ©PPS通信社 凍えるモスクワの街頭に料を求めて並ぶ人々の列、泥沼のチェチェン戦争、汚職やマフィアが跋扈するという噂。高校生になる頃にはかなり重症の軍事オタクであったので、「ロシアはやたらと新型兵器の計画をブチ上げるわりにどれも実現しないなぁ、カネが無いんだなぁ」などと、ミリタリー雑誌を眺めながら思っていた。 だが、ソ連崩壊から25年を経て、ロシアは再び国際情勢を左右する重要プレイヤーとして復活してきた。しかも、秩序の維持というよりは、冷戦後の秩序に異を唱える挑戦者としての行動が目立つ。 世界を驚かせた2014年春のクリミア半島併合と、それに続くウクライナへの軍事介入。2015年秋

    存在感増すロシア——「大国」の実像と虚像
    facebooook
    facebooook 2022/10/06
    2016年10月6日
  • 武豊&羽生善治、2人のレジェンドが32年ぶり対談 目標は「凱旋門賞制覇」「藤井二冠とタイトル戦」など貴重なトークを展開【対談全文】

    30年以上、最前線で活躍し続ける2人小籔千豊: お互いがご活躍されているところは見聞きしていたとは思います。 32年ぶりの対談ということで、改めて武豊さんは羽生さんのご活躍をどのように見られていましたでしょうか? 武豊: 歳も近くてプロデビューもほぼ同じタイミングだったと思うんですけど、当に天才だなという思いでずっと拝見させてもらっています。 羽生さんの活躍の報道とかも見させてもらうと、すごく励みというか勇気をもらっています。 小籔千豊: なるほど。羽生さんは武豊さんのご活躍をどのように見られていましたでしょうか? 羽生善治: もちろん最初にお会いした32年前からもうすでに大きな実績を残されていたんですけど、それから30年間ずっと変わらず活躍し続けていて、武さんだけ時間が止まっているんじゃないかという感じをさせるぐらいすごい活躍で。 どうしたらこんなにずっと一線でいられるのかというのは、

    武豊&羽生善治、2人のレジェンドが32年ぶり対談 目標は「凱旋門賞制覇」「藤井二冠とタイトル戦」など貴重なトークを展開【対談全文】
  • 最強の棋士像【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第2章】

    取材・文/白鳥士郎 撮影/諏訪景子 豊島将之が将棋をはじめたのは4歳の頃だ。 5歳の時に訪れた関西将棋会館で指導棋士の土井春左右氏と出会い、その才能を見いだされた。土井氏から頼まれて幼い頃の豊島と関西将棋会館の道場で将棋を指したというエピソードは、何人もが語っている。 『短パンの勝負師』。 当時刊行されていた週刊将棋という業界紙は、そんな言葉と共に、大人相手に道場で将棋を指す幼い豊島の写真を掲載した。 7歳でアマ四段、9歳でアマ六段という驚異的な速度で成長すると、その勢いのまま9歳で関西奨励会に入った。 そして16歳でのプロ入り後も所属は関西のまま今に至るのだ。 5歳からずっと、豊島の棋歴は関西将棋会館と共にある。 その関西将棋会館が、2年後に高槻へ移転することになった。 なので今回のインタビューでは、豊島にとって関西将棋会館内の思い出深い場所で写真を撮影しようと考えた。新型コロナの影響で

    最強の棋士像【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第2章】
  • そして、叡王へ……【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第3章】

    取材・文/白鳥士郎 撮影/諏訪景子 関西将棋会館の3階にある棋士室は、奨励会員にならないと入ることができない、特別な場所だ。 この日も数人の奨励会員たちが集まって研究を行っていたが、練習将棋を指している者はいなかった。 豊島に、かつてよく座っていた対局用の長机に盤駒を置いて、座ってもらった。 「高校生になったら、よく来るようになりました」 駒を並べながら、豊島は懐かしそうに当時のことを語る。 言葉数は多くないし、マスクをしているから表情はわからなかったが、他の場所にいるときよりも楽しそうな雰囲気が伝わってきた。 「みんなで検討して、よく終電までいました。『帰りたくないな』って……」 『みんな』。 それは稲葉陽や糸谷哲郎や宮広志といった、同世代の仲間たち。プロ棋士だけではない。女流棋士や、プロになれなかった奨励会の仲間たち。 ライバルであると同時に、学校にいる同級生たちよりも深く価値観を共

    そして、叡王へ……【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第3章】
  • なぜ豊島将之は藤井聡太に6連勝したのか?【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第1章】

    取材・文/白鳥士郎 撮影/諏訪景子 豊島将之。 将棋界最高位タイトルである竜王。そしてドワンゴが主催した最後の叡王を獲得した、現代最強の棋士の一人。 将棋界で今、最も勢いがあるのは、藤井聡太二冠だろう。 ありとあらゆる記録を更新し続ける天才は、将棋界という枠を超えた有名人でもある。 豊島は、その藤井聡太に6連勝した。デビュー戦から29連勝したことで知られる藤井は、デビューしてから豊島に6連敗していたのだ。 現在、藤井に2勝以上で勝ち越している棋士は、豊島を含め5名しかいない。そのうち4人は1勝差であり、6勝1敗という圧倒的な戦績を残しているのは豊島だけだ。 しかし、豊島と藤井のレーティング(実力を数値化したもの)は拮抗している。数値上、ここまで対戦成績に差が出ることは考えづらいのだが……。 その理由の一端を今回、豊島自身の口から聞くことができた。 あまりにも長くなってしまったので3章構成に

    なぜ豊島将之は藤井聡太に6連勝したのか?【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第1章】
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