世の中には2つのタイプがいる。 正しさを前提として議論をする人と、決まった正しさなどはないからその前提で議論の中で何を選択するかを決めようとする人と。 僕は明らかに後者だ。 正しさというものを前提にしようと思うことはほとんどない。何かを決めなくてはいけないのだとしたら、その取り決めに影響がある人、責任を持つ人で話し合って決めればよいと思ってるし、話し合って決めるしかないと思ってる。その話し合いにおいて基準になるような正しさなんてないと思っている。 それは多神教の国の人だからとか言ってみたいが、残念ながら多神教の国にも何か明らかな正しさがあると仮定して自分の議論の正しさを主張する人がいる。神以外に正しさを求めているとしたら、一体なににその根拠を認めているのだろうか?と不思議に思う。 ルールは正しくなさだけを明示するもちろん、僕も社会にはいろんなルールが存在していて、そのルールにおいて正しくな
ここ数日女性専用車両が話題に上っていたので何だろうと思ったらどうもこの件に関する反応だったらしい。 女性専用車両に男性数人が乗り込みトラブル。通勤ラッシュ時の千代田線が12分遅れる ハフポスト2018年02月16日 東京メトロ・千代田線の国会議事堂前駅で2月16日午前8時38分ごろ、停車中の女性専用車両に男性数人が乗車してトラブルとなり、電車が12分遅延した。東京メトロ広報は「それ以上の詳細は、現在調査中」としている。 今回の一件との関連は不明だが、「女性専用車両」に反対する男性が、あえて女性専用車両に乗り込んでトラブルになるケースは以前から一部で起きている。ネット上には、2月16日に男性が女性専用車両に乗れるか確認すると宣言しているグループもあった。 くだらんことを、と思うがその昔の公民権運動のローザ・パークスをまねたつもりだろうか。スジの悪いやり方だとは思うが、支持する人たちも一定数い
Twitter もはてブも短文なせいで相手の立場を100%理解せず批判の応酬が起こりがちだ。 よくよく話してみたら意外と「あれ、そこまでは同意見なんだ」ってことはよくある。 ここらで自分なりに女性専用車両批判の論点を整理してみたい。 論点・切り分けの骨組み施策の目的への批判 a. 根拠となる事実の是非: e.g. 痴漢なんて起きてない。 b. 課題の重要性の是非: e.g. 痴漢なんて大したことない。他にやるべきことがある。施策の方法への批判 c. 施策の効果の是非: e.g. 痴漢が減っていない/逆に増えてしまっている。男性の痴漢被害は減っていない。 d. コスパやコスト負担のバランスの是非: e.g. 痴漢防止に対してコストが掛かりすぎている。男女の負担のバランスが悪い。鉄道や自治体の負担が小さい、など。 e. 他のルールやポリシーとの衝突の是非: e.g. 性差別にあたるのではないか
たぶ@蛮族 @miyageya31113 小学校の頃、「体育の時に男子と女子で着替える部屋を分けるべき、男子は別の部屋に行け」という追い出し提案が女子達から起き学級会が開かれ、 いや「分けるのは(どっちでも)いいけど、部屋を分けたいと提案した女子側が別室に移れば済む話なのでは?」と発言して袋叩きにされたの今でも不思議で… 2018-01-17 08:42:44 御調 @triarbor 体育の着替えで思い出した。私の通っていた小学校では女子が別部屋に移動して着替えていたのだけど、フロアをひとつ跨ぐので面倒だったんだよね。それで「不公平だ、男子が移動しろ」という声が噴出して学級会に及んだ事があった。私は「確かに面倒だから月毎に交代すれば公平かなあ」なんて思ってた。 2018-01-17 10:16:20 御調 @triarbor ところが女子の中に一人切れ者がいて「高学年にもなれば本来なら学
古文漢文って、基本的には要らないよね。 昔オレがやらされたんだから、オマエもやれよ。 努力が足りないっていう精神論の土台になってる意味で現代では「積極的に廃止すべき」だとも思う。 ただ、オレの「要らない」ってのは、元増田の主張とは立ち位置が違う。 元増田の「人生を左右する受験に必須とするな」という主張には反論できるんだよね。聞いて欲しい。 そもそもの立脚点(スプラトゥーンとの違い)高等学校学習指導要領をスタートにするのは同意してもらえると思う。 そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。 国語総合国語表現現代文A現代文B古典A古典B古典Aと古典Bだよな。 だから、ブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、 それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。 その論立てだと反論になってないってのは良く分かる
コンサルタントをやっていたころ、「議論」を見る機会がよくあった。 「見る」といったのは、私が議論に参加することは殆どなかったからだ。 というのも、コンサルティングには 「お客さんとは絶対に議論するな。お客さん同士で議論してもらえ」 という原則があり、私はそれを忠実に守ったのである。 そのため私は、第三者として、様々な会社で、多くの議論を見る機会に恵まれた。 そこで一つ気づいたことがある。 「議論のうまい人」と「議論がへたな人」は、非常にはっきりと分かれるのだ。 「議論」とは何か 当然、人によって議論に抱くイメージは異なるだろうから、まずハッキリとさせておかなければならないのが、「議論」の定義だ。 広辞苑にはこのように書かれている。 【議論】 互いに自分の説を述べ合い、論じ合うこと。意見を戦わせること。またその内容。 (広辞苑第六版) 私が見てきた議論の殆どは会議やディスカッションなど、 「
何か誤読されているみたいですけど政策レベルでの夫婦別姓に関しては反対しているわけではありません。タイトルに反論と書いたのがまずかったのか・・・ 記事では夫婦別姓議論の裏に見える自由絶対視を批判しています。私の立場は保守もリベラルも正しいがリバタリアンの急進性は正しくない、です。 どう読んだら夫婦別姓に反対していると読まれるのか記事を読み返してみましたがよくわかりませんでした。賛成反対と明記した文章は書いていません。 ブコメが見当違いすぎて???となりました。政策レベルでの話は最初からしていません。 確認しておきますと保守と対立するのが資本主義、リベラルと対立するのが権威主義。そして夫婦別姓は人権を基礎とした自由主義ではないので理念的には自由を絶対視する権威主義者(リバタリアン)の主張。 ゆえに夫婦別姓議論はリベラル対権威主義の構造。 と同時に夫婦別姓は資本主義を加速させる結婚制度の廃止とい
先日、選択的夫婦別姓を実現するために訴訟を起こすことを決めました。その内容は、今回担当していただきます作花弁護士のブログを参照いただければ幸いです。(追記:私のこちらのエントリーにもまとめました。) ちなみに作花弁護士は、2年前に再婚禁止期間で違憲判決を勝ち取り、民法改正につなげた敏腕弁護士です。(参考記事:「再婚禁止期間」は憲法違反 最高裁大法廷) 今回、私たちが訴訟することが毎日新聞のニュースになり、ヤフージャパンのトップページで取り上げられたり、検索ランキングで瞬間的に1位になったり、はてなブックマークが800以上もついたり、大きな反響がありました。 はてブのコメントを見てもわかるように、選択的夫婦別姓に賛成・応援する方が多数派のようです。しかし、一部からは懸念や反論をいただいていますので、さらに議論を進めます。 ただし、2つの原則を前提とします。それは、 1. 一人ひとりのニーズを
日本人は議論ができない 議論が成立しない人の特徴18タイプ―はてな村定点観測所 http://hatebu.me/entry/discussion 読んだ。果たして議論が出来ないのは日本人だけなのか?むしろ人間は議論が出来ないのではないか、なんて思ったけどどうなんだろう。 それは置いといて、そういえば私は小中高の間に何度か、ディベートの授業を受けた事があるんだよなぁ。たぶん小学校で一回、中学で二三回、高校で一回くらいだろう。充分に数をこなしてはいないがやったのはやった。しかしながら同級生の皆がそれで議論が上手くなったという事は全然無い。 ディベート(一つのテーマについて賛否に別れて討論すること)と議論(互いの意見を述べて論じ合う事)は違うから、ディベートやったって議論は上手くならないだろって事?そういうことなの……。 まぁよくわからんけど、とにかくサイバメ氏のエントリ読んで学生時代のディベ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く