痛ましい事件が起きると、僕らの心はひどく動揺する。自分の目の前で起きたことならもちろん、メディアで報じられる事件、事故、災害といったニュースにも僕らはこころをかき乱され、現場に花を手向けたり、少しでも何かの役に立てばと寄付をしたりする。それじたいは単なる僕らの心理の問題でしかない。行動経済学においてはこうしたメカニズムを、いわゆる経済学的な「合理性」に対して、僕たちの「非合理」なマインドの特性として扱うらしいのだけど、社会学という学問においてはもう100年以上、それが本人の中でどのような合理性を伴った行動なのかということを論じてきたわけで、殊更に目新しい話のようには思えない(もちろん、それが実験によって検証されているということが新しいのだが)。 さて、そういう社会学的な立場からすると、悲惨な事件に対してあれやこれやとウェブ上で「論じる」という行為も、その内容以前に、事件による動揺を鎮め、「