⇒NHKニュース 福島党首 少子化相に内定 民主党の鳩山代表は、16日の新政権の発足に向けて、15日夜じゅうには閣僚などの人事の全容を固めたいとしており、新たに少子化対策や消費者、それに男女共同参画などを担当する大臣に社民党の福島党首が内定しました。 産まない選択―子どもを持たない楽しさ: 福島 瑞穂 ⇒オンライン書店ビーケーワン:福島瑞穂の落第子育てノート
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from Regina Brett's 45 life lessons and 5 to grow on - Plain Dealer Extra from Bits & Pieces » Sage advice from a 50 year old from AJS OPINION > Blog Archive > Sage advice from a 90 year old via らばQ:心にズドン…90歳の老人が語る45の人生の教訓 1. Life isn't fair, but it's still good. 人の境遇は平等ではないが、それでもかまわない。 2. When in doubt, just take the next small step. 疑念があるときは、次の一歩は小さく踏み出せ。 3. Life is too short to waste time hatin
⇒他人の不幸は蜜の味: 僕の考える「良い履歴書の書き方」 反論というわけでもないけど、ま。 一時期、ある分野の人の選考に関わっており、履歴書をたくさん読まされた。その時、思ったこと。 一つは、履歴書を読む側の心理だけど、もう履歴書なんてものは読むにうんざりするものというもの。写真見てこんな人かというのと、文字を見て、汚い字だなとか、その2点の印象が強い。 でも、履歴書を読む側は、よい人を採用することが自分の成績なわけで、そこにはあまり主観は入らない。写真はいいにこしたことないし、文字もきれいであるにこしたことはないけど、せいぜい、ちゃんとした写真屋で撮れよ、丁寧に書けよ以上のことはない。 で、なにがポイントか。 の前に、リンク先のようなことはあまり問題ではない。「他者より秀でた自分をアピールする活動」なんてどうでもいいし、趣味・特技はあまり関係ない。亀甲様のようにパチンコが趣味ですみないな
まあ、そんだけなんだけど。 少年・青年期に大人は汚いものだなと思った。今にして思うと、誰も自分を愛してくれないじゃないか、という思いと、自分の中の矛盾で懊悩していただけ。 大人になると、誰も自分を愛してくれないのは前提というか、で、何か? になるし、自分の矛盾は自分で引き受けるようになるから、その分汚くなる。懊悩は、やってしまった後の、罪のような感覚になる。大人の顔というのは、どっかに松ヤニのように罪がべっとりついているもので、その下に顔が見えるか見えないかくらいなもの。大人の顔になっていない大人もいるけど、まあ、率直に言えば狡いな、お前らのために大人は泥を被っているんだぜと思う。お子ちゃまについてもそう思うけど、そう言っても通じないし、そこまで自分の心の中の子供を虐待するものでもないと思う。 大人は汚い、嘘だと、みたいな、糾弾をする日本人の類型というのがあって、類型だからごろごろいるわけ
⇒ブロガー必見! 文章上達のための 12 と1/2のルール | Lifehacking.jp 私はよく悪文と言われるし、文章がうまくないなと自分で思っている。ただ、ここがどうもいけないのだが、うまい文章というのが底が見えて好きではない。いわゆるうまい文章というのを見ると、この人ただのバカでしょとかどっかで思っている。もうちょっというと私の文章を悪文とそしる人にそれほど納得しているわけでもない。 私は小林秀雄の悪文が好きだし、吉本隆明の悪文も好きだ。この二人についてはもう救いようがないという感じがする。山本七平も初期のものはけっこうな悪文が多い。昨年ようやく漱石の明暗を読んだがこれなんか洒落にしかならないような悪文のオンパレード。しかし、なぜ、こうも悪文は魅惑的なんだろう。と、悪文に魅惑されている自分には、もう救いようがない。 神足さんとか文章うまいなと思うが、技術で書いているのがわかるうま
⇒仕事を辞めて独立するための7つのチェックリスト : ライフハッカー[日本版] 以前、山本七平がこの話題で、三倍の収入と言っていた。 30年くらい前かな。 今思い返すと、何の三倍かなと。たしか、普通の同年のサラリーマンの三倍だったか。現代とは違うのだけど、このあたりの感覚は納得させられるもがあった。つまり、独立すると支出は格段に増えるということ。 ラクをしないと成果は出ない: 日垣 隆 読みやすいような読みづらい本なんだけど、そここにどきっとするようなことが書いてある。でも、やっぱ、普通は読み落とされるのではないかな。 お勧めはしますよ、この本。 ついでに、まただけど、古いけど、古本だと安いしお勧め。 四十歳からでは遅すぎる―野心家のための方法論 (PHP文庫): 邱 永漢
私は海外で生活したことはないけど、なんとなく日本的な環境からはずれることがあって、そのせいなのか、あるいは原因と結果が逆で、日本的なものがなんとなくイヤだったからなのか、いずれにせよこの年こいちゃうとどうにも引き返せないけど、なんか日本の精神風土というのがよくわからないなというのがある。「あれ? 普通の日本人はそう考えるのですか?」みたいな。ただ、じゃあ、自分が日本人離れした発想しているかというとそうでもないくらいの自覚はあるけど。 ネットとかの言説で、ぶくまとかで可視になっただけかもしれないけど、正論といいうのが、それ自体で成立していなくて、グループというか、うんだうんだワシら、みたいの反響というかそういう、共感目線で成りっている感じがして、なんか萎えるというか。 私は、このエントリには共感する、このブロガーには友愛を覚える、というのはあるけど、エントリやブロガーを中心に、うんだうんだワ
竹熊先生⇒たけくまメモ : いろいろもう死んでいる(株価暴落編) 戦争もそうですけれども、こういう経済恐慌みたいな事態に接するたびに、政財界にはどれほど優秀な人たちがいるかは知りませんが、いくら勉強ができたとしても、優秀な人材が何人いようがこうした破局は避けられなくて、そうなったらどんなエリートでも俺の父親(農家の三男。専門学校出)に「こいつらバカか」と言われてしまうのだなあ、と思いました。 ただ、ここで本当に頭のいい人というのが見られるかもしれませんよ感はある。 それと、話が少しそれるけど。 なんだかんだ言っても、米国は向こう半世紀ガチで成長する(ラティーノの国になるけど)。国力は増していく。米国は終わったとかいう人が私にはまるで理解できない。 日本のほうがマジで終わる。まあ、終わりかたの問題だけど。というか、すでに終わりは始まっているけど。 中国は意外と高齢化に向かう。小皇帝は暴発する
たまたま日本で生まれただけだし。 日本への愛国心なんてないし。 けっこう自分だけハッピーならいいし。 なにより、日本的な空気って重いじゃないですか。 っていうか、適当に、中間的な沖縄に逃げちゃいましたけどね。 で逃げられたかと思ったらダメでしたね。 オレはダメね。 外国とかに逃げられる人は逃げたらというのもいいんじゃないの、とは思いますよ。 日本にいて、そういう道もあるみたいにフカしているのは意味ないとは思うけど。 っていうか、実際に体ごと逃げてみて、ああ逃げられないじゃんという、日本を見つけたら、あまり愛国的というかナショナリスティックにならなず、自分の大切なものとして、それはそれなりに受け入れればいいんじゃないですか。 日本ってそんな悪い国じゃないですよ。 っていうか、いい国でしょ、他の国の人も日本人になったらぁ、とか開いて言えるといいと思いますよ。大声で言うと嘘になるから。身近なとこ
「あたまが悪い」とは思わないのな。 日本経済がこのままおバカな選択でまた沈んでいくとしても、それが国民の選択で、合意のプロセスでできたのならしかたないじゃん、って思う。 人生も、と、議論が飛躍するけど。 間違った選択してそれで悔いるというのは、それ自体をマクロ的に見れば、いいんじゃないのと思う。 話がさらに飛躍すると。 国家というのは、一部のあたまのいい人がどんなに優れた政策をやっても、どうしようもないものとして現れているというか、本質的な矛盾を持っているというか、矛盾を本質としていると思うのだよね。 で、中国とか、ヘッドクオーターに日本人の政策担当より優れた人がいると思うのですよ。でも、ダメだろうと思う。 国民がその歴史のなかで、うーん、ほいじゃ、国民としてやっていきますかぁ、みたいな合意がないと国家というのは動かないと思う。 そのために、日本の近代史を顧みると、よく生き延びたなあと思う
⇒経営を理解している労働者と、そうでない労働者の格差が拡大していく理由 - 分裂勘違い君劇場 ドラッカーの思想を前期後期、あるいは何期かに分ける定説はないかもしれないし、初期からずっと継続されている部分はあるんだけど。 けど、というのは。 現代日本の場合、このエントリの意味でのドラッカーの「労働者」というのは、ちょっとざっくり言うと基本的に終わっているんですよ。 ではなにかというと、ドラッカーは「テクノロジスト」と呼んでいます。 ドラッカーというのは、ドラッカー自身を研究したいのでなければ、晩年の物から逆に読んでいくほうがよいです。 で、と、「経営を理解してない労働者は、どんどん居場所がなくなり、年収も下がって」というのは、テクノロジストの課題ではないんです。つまり、現代的な課題じゃないんですよ。 「全世界的なトレンド」という全世界っていうのは均質じゃないし、日本はBricsのセクターじゃ
そういえば、昨晩、極東ブログのほうをコメント欄許可制にした。あとからぐぐってみるとすでにいろいろ議論があったようだ。許可制にしても「死ね」コメントは見るだろうというのもある。それはそうかもしれない。だが、だからコメント欄は閉鎖したほうがいいというのは若干飛躍だ。そのグラデーションでバランスを取る人もいる。というか妥協というのはそれなりの裁量による自由でもある。 というか、コメント欄許可制は、炎上ゲームを終わりにしましょうということだ。「炎上?ああ、そういうの昔あったよね」みたいな時代よ来い。 私は、よく揶揄されるようなふうには自身をアルファブロガーだとは思っていない。でも自分は自分のアルファブロガーというのの理念を持っていて、いつか「後から考えてみるとあいつがあの時代アルファブロガーだったな」「地味で気が付かなかったけど記録を残してくれたな」みたいな、そんなふうに思われたいなみたいな幻想は
思考は関数で、「私」はその返却値ではないか。 別の言い方をすれば思考というメカニズムが「私」を機械的に生み出している。思考が止まれば、「私」はいない。 ただし、そういう比喩で語るとき、それでも「私」のコアのようなものはありそうだし、現在知覚の所持者として「私」が存在しそうに思える。ここがたぶんこの難問の急所だろう。 世界を知覚している主体としての「私」はありそうに思える。だが、それは常に疎外、客体化、遅延、物語化を介している。デリダ的な差延がありそうだ。というより、差延は、そうした現在知覚の「私」を、デカルトのゴギトのように原初的なもの(アルケー)として措定している。 でも、その措定とは、原初的なものを求めるための、詐術にすぎないだろう。 実質的な意味での「私」とは、「私語り」という記憶の権限として、語られるうるものとして現れる。 記憶とは「私語り」である。そして語られる出来事は、「私」に
これの続きっぽい⇒http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050801/1122859862 この手の話はうまく言えないのだが、すでに48歳にもなったせいかときおり思うのだけど、若いころはどうしても抑えられないような衝動というかなんかある。性欲とかも関連するのだろうけど。 で、それって、なんであれ、人とのつながりや人との軋轢を生み出す。本当は愛やコミュニケーションが欲しいのだろうけど。 で、それってうまくいかないようにできているような気がする。 うまくいく人もあるのだろうとは思う。なんというか、つがいの鳥のようにきちんとメートを見つけて生きていくような。 ただ、衝動の強い人はただ、周りの人に挫折するだけなのではないか。 さらに言うと、大人というのは、若い人の知恵とか体力とか性的な魅力とか…を、ちゅーっと吸って生きているものなので、ようするに若い人なんて大人の餌で
これ⇒■ [economy]財投機関債廃止のために郵政民営化をすべきなのか? ざっと読んだ感じでは、異論はないです。こうした問題を整理したかたちで読みたかったなと思います(もっともbewaadさんにしてみるとすでに書いているじゃないかということでしょうね)。 以下、タメの反論ではありません。関心をもたれるかたがあれば、その参考としてください。 むしろ、交通整理に近い話です。(結論を先にいえば、bewaadさんと私とでは原則部分での理解の差はあまりないようです。政府案の鵺的な性格をどう受け取るかの差異でしょう。) さて。 この理解はそれで概ねOKです。 finalventさんの最大の問題意識は、いわゆる暗黙の政府保証にあるのだと受け止めました。財投機関債、すなわち政府保証のない財投機関発行債券は、法律上(ないし契約上)政府がその支払を保証するものではないにもかかわらず、市場からは政府が尻拭い
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