ブックマーク / blog.goo.ne.jp/kamimagi (3)

  • モノーキー:時代を経ることにカリスマダウンするエロゲ主人公たち、そして重くなったヒロインの過去。

    ■ヒロインが他人から、幼馴染や妹にシフトして行ったのは主人公がカリスマダウンして等身大に近づいたから? 同級生の主人公ですら学園で様々なトラブルを巻き起こしたり伝説を作った破天荒な性格で、無類の女好きかつナンパ師、腕っ節も強い。しかし決断力に富み、人を身分や肩書きでなく質で見ることが出来る為、次第にヒロイン達を惹き付けてゆくってくらいカリスマがあるんだよなあ。昔のエロゲの主人公って。 だから、見知らぬ他人と付き合っても自然にエッチができた。ってのはありそうだよな。 最近のゲーム、たとえばToHeartの人間関係は友達と幼馴染がメインだったりするわけで。 いままでの、接点のない状態から気合で接点を作ってみたいなのが減った。 それこそ、リアルなら違う学年の子なんて同じ部活でもなきゃ仲良くなれないわけで、同じクラスであっても委員会とか共通の友達がいるとかじゃなきゃ、なかなか繋がれない

  • 作家のなりそこないと評論家が言われるのは作家性だけ自走してるから。 - モノーキー

    追記、当ブログ恒例、ここより優れたエントリ紹介。 NaokiTakahashiの日記 - 作家性よりも作品性だと思う。 [ [■ Takahashi's Web ■] ] 自分のヤツは批評家を論じるために作家性を持ち出したから、ああなったので批評そのものに於ける作品論なら作品性の方が適切かも。 批評家を説明するのに作家性を持ち出すと端的で判りやすかったので。 批評は作品性というより、作家性のカタマリなんで、そんな苦しいオレの言い訳。 http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060918/p1 [single F - 試作実験用。暫定版。-] >批評家と批評に必要なのは「批評性」。批評性だけでは売れなかったりするから「作家性」を付加したり(そも、批評っつーか評論はそれはそれで作品でもあるので、作家性や作品性を分離不能だけど)もしたりも。 あれかもしれ

  • もう、キャラクターが記号化とか真顔でいえる人は想像力が無い人だとしか思えない。 - モノーキー

    ■属性にその物語固有の意味づけをする。記号から生まれる世界観。 kanonにおける奇跡とかアクエリオンにおける合体じゃないけれど 一つの「言葉」からいろんな意味を引き出せるように「記号」からもさまざまな意味を引き出せるって話。 いろんな意味を「言葉」や「記号」に背負わせる事で物語に深みを与え、構造や世界観を多様化させ複雑にする。 ITmedia +D Games:PCゲーム恋愛シミュレーションと、そのコンシューマー化について考えてみた (1/2)(via:はてなブックマーク) >吉田氏はまた、現在の状況を見るとキャラクターが記号化していると語る。「メガネや金髪といったキャラクターを並べてしまえばゲームができあがる現状。これをプレーヤーも無批判に受け入れている。このままでは差別化できなくなって、そのまま喪失へ向かう危険性もある」 喪失するのはたぶん吉田氏の脳味噌でしょ。 勝手

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