うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのが食べられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…
![はてなブログ | 無料ブログを作成しよう](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)
うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのが食べられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…
「男って言うのはな」 「女ってね」 酔ってもいないのに語り始める人がいる。何故だかこちらを諭すように。 「男はプライドが高いんだから立ててあげないと」 「女の幸せは結婚だ」 「男は不器用なんだ」 「女は恋に生きる生き物だ」 ブラウン管の中のキャスターも、当たり前のように言う 「世の男性は必見」 「女性なら誰もが」 そこに語られている「男」って「女」って、誰だ? その人がそう思うのは構わない。企業がマーケティング戦略を立てることは否定しない。けれど、それを何処にも彼処にも応用し、一般化しないで欲しい。「一般化できる」と受け手に錯覚させないで欲しい。刷り込みしないでほしい。 テレビを見ないため最近の事情は知らないが、ひと昔前は主夫あるいは男性看護士を取扱うドラマや映画にさえ、幼い子どもに向かって「男の子でしょ」と、ことばを投げる大人が登場した。それが物語のアンチテーゼやアイロニーとして使われて
女に生まれついたことが悔しかった。女であることが苦しかった。男に生まれ変わりたいと願った。でも今更、男になろうとは思わない。いくらさらしを巻き、体のラインの見えない服を着ようとも、髪を刈り、武道を習い体を鍛えても、そこまでが私の限界だった。進学先の下級生(♀)に告られ、教鞭をとった女子高で数通のファンレターをもらっただけだった。今となれば、相手の気持ちなど考えもせず舞いあがっていた、当時の自分の短絡さがイタイ。持病を抱えたとき、医師に妊婦並の高さの女性ホルモン値を指摘され、気力や気概のベクトルだけでは、生れもっての肉体を凌駕できないことを悟った*1。今は、それらの葛藤を過去形で語れる程度には、自身の性を諦観したつもりだ。 マジョリティであるだけで君臨しているケモノには腹が立つ。時に、ありえない詭弁と個人的妄想を弄し、「男ってさ」「女なんだから」という枕詞を駆使しては、殊さらに被害者を貶め、
……僕は昨日の午後、アルコール水槽に保存されている、解剖用死体を処理する仕事のアルバイターを募集している掲示を見るとすぐ、医学部の事務室へ出かけて行った。 大江健三郎 『死者の奢り』 『死者の奢り』 は昭和32年に発表された短編小説であり、大江健三郎のデビュー作である。《大学病院で死体を処理するアルバイトを募集している》 という都市伝説めいた噂話が存在するが、その元ネタとなったのがこの小説だといわれているらしい。 アルコール水槽に雑然と浮かんでいる数十体の死体を、別の水槽に移動させる、という作業の描写が延々と続き、夕方に仕事がほとんど終わったところで、連絡上の手違いがあったことが分り、もう一度、別の場所へ死体を移動する、というストーリーである。 元々、非現実的な設定であって展開も不条理な作品なのだが、本作にはそれとは別におかしなところがたくさんある。非現実的で不条理な小説というのは、それ以
文学部を卒業してプログラマとして働き、休日には音楽とプログラミングに明け暮れる、趣味のよくわからない人間の日常。 最近webが(というかぼくの観測範囲が)性犯罪に対する自衛がらみで盛り上がってる。簡単にまとめると、「最近のおなごはミニスカートとか履いてるし暗い道を平気でひとりで歩くし、これじゃ犯されたって文句言えないわよ!」みたいな、ちょっと何をいってるのかわからないですねって人の意見を発端に、いろんなひとが「いやいや、それおかしいだろ」って言ったり「これおかしいとか言ってるけど、自衛を説くことのなにがいけないの」みたいな話になってる。 正直この話については、被害者のみが「夜道を出歩くな」だとか「ミニスカート履くな」というように行動を制限され、加害者の行為は「なくせない」と「容認」されるその非対称性、おかしいよねってことでFAなので、これがわからないひとは本当に頭が悪いとしか言いようがない
ガッサーン・カナファーニー(アラビア語: غسان كنفاني, Ghassan Fayiz Kanafani, 1936年4月9日 - 1972年7月8日)は、パレスチナの小説家、ジャーナリスト。代表作に「太陽の男たち」、「ハイファに戻って」などがある。PFLPの活動家でもあり、1972年に爆殺された。 略歴[編集] ガッサーン・ファイーズ・カナファーニーは、1936年、イギリス委任統治領下のパレスチナのアクレ(現イスラエル領)で、スンナ派ムスリムの両親のもとに生まれた。弁護士だった父はフランス系のミッション・スクールに彼を入学させたが、1948年、第一次中東戦争が起こり、一家はレバノンへ逃れたが、間もなくシリアのダマスカスに移り、そこでパレスチナ難民として生活することになった。 1952年、ダマスカス大学のアラビア語学科に入学するが、1953年に知己を得たジョージ・ハバシュの紹介で
たとえば目玉焼きにはソースであると誰かが言う。するとケチャップをかけて何が悪い!と誰かが言いだしたり、ソースとはとんかつか中濃かと議論し始めて最終的に目玉焼きについて話していたことをさっぱり忘れるのがはてなだと思うのだが。
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
資料ばかりよんどります。 誰か、わたしに「バベル魚」くださいっ! 外国語、読めるようになりたいなあっと言う前に、 ほんとのところ、物書きには日本語(母国語)がいっちゃん大事! ってわけで、今日は翻訳家のみなさまの著書をつらつらとご紹介しようかと。 まずは、先日よんだばっかりの、こちら。 反骨精神に満ち溢れてます。気骨のあるひと、大好きっ! パヴィチの訳で、やっぱり凄いと感嘆し、即読みました。 いちお、書いてらっしゃる難読語は全部よめましたよ~(ほっと安心)。 うん、なんか、こういう生き方に共感をおぼえます。 つづいては、こちら。 おっと、岩波続きだっ。 この、三島がジョイスを訳したであろうと想像するくだりの美しいこと! 三島ファンにもおすすめですね。 上下二段で二葉亭四迷の改訳具合が見られるのも凄い。 むちゃくちゃ勉強になったです。 柳瀬さんの本は大好きなのでまたいつか、まとめてご紹介した
経緯 http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091208/p1 こちらのコメント欄の続き。 現状、様々な状況で、性的暴力的犯罪に、女性が自衛しなければならない自体が悲しいことであるが起きている。 これについて、「男は獣だから女性が用心しなきゃね」と男性が言っていたりする。 これは、悪質な責任逃れではある。 暴行の責任は加害者にあるし、被害者にはない。「獣だから責任はとれない」という暗黙の前提で、暴力の被害者となることの責任を、一方的に被害者側に押しつけているわけだ。 さて、そのような幻想を持っている人に「じゃぁ男が獣なら、獣は檻に入れないとね」という皮肉で返すことで、自己矛盾に気付いてもらおう、という説得があるのではないか、という話が出た。 個人的に、この「獣は檻に」という部分が、説得の言い回しとして、引っかかった。 違和感 なぜひっかかるのかを考え
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く