第1回 2010年4月 石井恭二という人 鈴木創士 第1回「石井恭二という人」から第21回「最後のエドモン・ジャベス」は、鈴木創士著『サブ・ローザ』(2012年1月発刊)に収録いたしました。本書をご覧ください。
『私家版SF年代記』1981 1981年2月 主な事件 世間は平穏であるが、受賞後の雑件が多いところへ、文庫化に関してとんでもない事態が生じた。 会社の仕事は相変わらず、開発業務と工場での作業が重なり、疲労が抜けない。 家族関係までがおかしくなりはじめた。 SF ・日本SF大賞授賞式 日録 810201日 午後、かんべむさし氏のご自宅訪問。共著の構成打ち合わせ。タイトルがいまひとつ決め手なし。光子夫人はふだん「海外SF」の話ができないので、ホーガンの評価などが面白いらしい。夕方から、うどんすきでビール4,5本、シーバス半分ご馳走になる。気がつけば22時。帰宅23時。 810202月 池田の職場。 810203火 早朝のこだまで家内と長男を静岡へ。米原で在来線に乗り換え、ユニチカ垂井工場で工事続行。中日新聞にも写真入りの記事が載ったので、工場の人たち、パートのおばちゃんま
L' erma ritratto, di età augustea, è stata rinvenuta nell'atrio della casa del famoso argentarius pompeiano Lucius Caecilius Iucundus, e ne raffigura un avo. Le fattezze dell'uomo sono riprodotte con un realismo che non indulge ad alcuna deroga: di età non più giovanile, le orecchie a sventola e la vistosa verruca completano un volto segnato da rughe sulla fronte ed ai lati del naso, la cui espres
hebakudanさんの事ばかり、今日一日考えていた。昨年、hebakudanさんの飼い猫が行方不明になり、張り紙をみて連絡してきてくれた親子についてのエントリーが、初めて触れたhebakudanさんの文章だった。その日の日記は現在では削除されていて、残念な事に読み返す事は叶わないが、その嘘も飾りもない言葉は切り込んでくるように私の胸に刺さった。星をひとつだけ残して立ち去ってからしばらくして、hebakudanさんが、私のこの場所をアンテナ登録してくれた事に気づいた。それから短い期間ではあるけれど、コメントを残してくれたり、星をつけてくれたりするようになった。頻繁に更新する方ではないこの消灯ラッパにhebakudanさんが足跡を残してくれるのが、私は心から嬉しかった。仕事での失敗を書いた日のコメント欄には、hebakudanさんらしいこんな言葉を残してくれた。最も優秀なパイロットは操縦ミス
心の旅 最期まで潔い方だった。 屁爆弾さん(id:hebakudan)の訃報をご本人のブログ「血止め式」で知ってから数日。その間、何度も彼女の事を想い、ブログを訪れてはご本人が厳選された記事を拝読した。なかなか彼女の死を現実的に捉えることができないでいる。彼女とのお付き合いは言葉のやりとりのみ、しかも決して長いお付き合いではなかった。彼女についても、彼女の言葉で語られた範疇でしか知らない。しかしながら、肉体とは異なり、言葉はいつまでも生きているだけに、その言葉を生み出した方の不在を受け止められないでいる。 初めて屁爆弾さんを知ったのは、数年前。id:fumi_oさんのブログにコメントを書かれていて、そのお名前のインパクトに驚いたのが正直なところ。ご存じな方も多いと思うが、fumi_oさんのブログには美しい写真とクールな言葉が淡々と並んでいる。そこにいきなり屁という名前である。しかしながら、
「行ってまいります」 そのひとは、このブログのコメント欄にそう言いおいて出かけられた。 少し前には、「遅れても必ずブログを拝見するよ。元気になったらスターのてんこ盛りで襲撃してやるから待ってて(笑)」と声をかけてくれた。 その後ブクマで、「いつか創作小説を拝読してみたいな」との言葉を頂戴し、跳ね上がるほど嬉しかった。 だから、5月8日の誕生日、わたしは小説サイト『唐草銀河』を新しくした。目の状態がよろしくないと書かれていたので、お戻りになったときに読みやすいほうがよろしかろうとイロイロ悩んでテンプレを選んだ。 ところが。 その夜、そのひとに「お帰りなさい」を言えなくなったことを知った。 「血止め式」筆者、死す。 - 血止め式 昨夜、ここで泣きながら届く宛てのないお便りを書いた。消えたけど。 きっと、わたしの書いた、涙の跡が点々と滲む読みづらい手紙のような文章がお気に召さなかったのだと思う。
|徒然| 数日前、id:hebakudanさんが亡くなられたことを知り、只ぼんやりと途方に暮れて居る。途方に暮れながら、それをどう受け止めるべきか分からなくて、仕様も無い事件簿なんかに、だらだらと時間を割いて居た。患って居た病が悪化して入院されると書いてらして、けれども暫しのお休みの後には、またいつもの歯に衣着せぬ、小気味良い屁爆弾節を読めるものとばかり想って居た。想って居たのだ。 屁爆弾さんの名前を初めてお見掛けしたのは、昨年。確か馴染みのゲンノさんの所であったと記憶して居るのだけれど、違ったろか。(それでなければ、日頃の徘徊先として居る、そのご近所の何方かの所。)そこでの取り交わしの妙に心惹かれ、以来ちょくちょく 『血止め式』 を覗かせて頂くよになって、そしていつ頃であったか。何かの拍子に、屁爆弾さんのアンテナへ拙日記が登録されて居るのに気付いて、毛の生えた心臓がひっくり返った。何しろ
日記前の日記で書いたhebakudanさんが、クモ膜下出血のため急逝されました。 訃報を知ったのは5月8日。 「うつ状態」の崖っぷちをフラフラしていたところに奈落に叩き落とされるような衝撃を受けましたがどうにか持ちこたえています。 また前のような酷い状態になるのはいつも心配してくれていたhebakudanさんが一番悲しむであろうから。 hebakudanさんのご主人と、お姉様がhebakudanさんの最期の言葉をアップしてくださっています。そして、その記事に続々とトラックバックが贈られています。そのおかげで、私もhebakudanさんの死を受け入れることができそうです。皆様に感謝いたします。 もう少ししたら私も、他の皆様のようにhebakudanさんの最期の言葉にトラックバックを贈ろうと思います。 台湾は五月のゴールデンウィーク等はなく、多忙故、hebakudanさんに最期にいただいたコメ
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