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2014年11月3日のブックマーク (14件)

  • 誰でも楽しんで踊れるルネサンス・ダンス

    こんにちは!「交響詩モンタニャール」です。 ちょっと舞踏についてご案内させていただきたいと思います。 ワタクシ、Kogakulian の会計担当でございますが、もう一つ特筆すべき点がございます。 体育の成績は1だったり、スポーツテストは級外だったり、球技で私の入るチームは連敗、 というわけで、何を隠そうKogakulianきっての運動音痴でもあります。(^^;;; そんな私が他の企画メンバーを差し置いて、 偶然にも小澤先生のダンス・レクチャーを先に受けることが出来ました。 v(^o^)/ その経験を踏まえ、ルネサンス・ダンスのことを、 「難しそうで心配」と思っているお方に、取って置きの朗報をお届けしたいと思います。 ルネサンス・ダンスは、健康の問題がなければ誰でも踊れますのでご安心を!! (とはいえ、数分踊っているうちに少し息も上がって来ますので、 軽いエアロビくらいに体力を消耗します。健

    誰でも楽しんで踊れるルネサンス・ダンス
  • 1439 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ツナミの小形而上学 ジャン-ピエール・デュピュイ 岩波書店 2011 Jean-Pierre Dupuy Petite Métaphysique des Tsunami 2005 [訳]嶋崎正樹 装幀:戸田ツトム リスボン、ヒロシマ、スマトラ、ハイチ、東日大震災。 1755年11月、1945年8月、2004年12月、 2010年1月、2011年3月。 いずれも地震とツナミと、そして核が襲った。 これらを受け止めて、ジャン-ピエール・デュピュイは、 もはや正義と悪とを天秤にかけられないことを、 リスク計算が破局の回避にはならないことを、 とても静かに語ったのである。 ヒロシマが道徳的破局であったすれば、フクシマは産業・技術的破局であった。ヒロシマは「悪」を演じようという意志から「悪」を生み、フクシマは「善」をなそうとして破綻を招いた。 イヴァン・イリイチ(436夜)は、現代での最も大きな脅

    1439 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 慶應義塾大学 教養研究センター|イベント・セミナー

    学術シンポジウム 「ジャン=ピエール・デュピュイの思想圏 ―カタストロフ、科学技術、エコノミー―」 スタンフォード大学教授、フランス理工科学校名誉教授、フランス放射線防護原子力安全研究所 倫理委員会委員長・・・『ありえないことが現実になるとき』、『ツナミの小形而上学』、『経済の 未来』、『聖なるものの刻印』・・・「賢明な破局論」、「予言のパラドクス」、「自己超越」、 「テクノロジー収斂」・・・ いま最も注目される哲学者の一人ジャン=ピエール・デュピュイの全体像に迫る。

  • 鈴木大介『最貧困女子』 - 紙屋研究所

    九州の地方都市住まいのぼく。 家の近くにある公園が、階上にあるぼくの家から見える。 つれあいによれば、その公衆トイレの前で深夜に20代くらいの女性が立って、男性といっしょにトイレに入り、一定時間たつとまた別の男性とトイレに入っていくのが見えた。 あれは買売春の現場ではなかろうか。 書に出てくる「最貧困女子」とは、裏表紙にその定義が簡潔に書いてある。 働く単身女性の3分の1が年収114万円未満。中でも10〜20代女性を特に「貧困女子」と呼んでいる。しかし、さらに目も当てられないような地獄でもがき苦しむ女性たちがいる。それが、家族・地域・制度(社会保障制度(という三つの縁をなくし、セックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない「最貧困女子」だ。 ロジカルなルポ 読んで思ったことは二つ。 一つは、とてもロジカルなルポだということ。どういう意味か。 このはとても「自己責任」論を強く意識して

    鈴木大介『最貧困女子』 - 紙屋研究所
  • T-BOX 2014/11/03 A

    Komoto Hiroshi 香博 交響絵画展 天と地と水 [SpaceA] 2014年11月3日(月)〜11月8日(土) (11:00〜19:00) (土曜日は16:00まで) 「懸け橋」 (キャンバスに水彩) 65x50cm 【¥70,000】 「地上の星」 (キャンバスに水彩) 40x53cm 【¥40,000】 「ねぎらい」 (紙に水彩) 32x25cm 【¥15,000】 「希望と絶望」¥150,000    (作者) (会場風景) ●天と地と水コンセプト 昔から自分は、空を見ると海を感じ、 海を見ると空をイメージします。 10代で悲壮感を持っていた頃も、 そんな波とも雲ともいえぬ空の動きにだけは、 心と思いが解放されていました。 川に流れていく雲たち・・いっしょに追いかけて、 歩いたりもしました。 創世記では、天の下の水が一つ所に集まって、 渇いた陸地が造られたとありますが、

    florentine
    florentine 2014/11/03
    香本博 交響絵画展 天と地と水 [SpaceB] 2014.11.03(月)〜11.08(土) (11:00〜19:00) (土曜日は16:00まで)
  • トップページ - マトグロッソ|イースト・プレス

    なかとかくみこ 『塩田先生と雨井ちゃん』 付き合ってます、が前提の先生×生徒の日常ラブコメ。雨井ちゃんはいよいよ3年生に進級! ドキドキのクラス替え……担任の先生は誰!? まりあちゃんとは離れ離れに!?

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  • OK Goの日本で撮影された新作PVがすさましいので、おれが聞いたOK Goの話をするよ

    トップ > オタクが世界を救う > OK Goの日で撮影された新作PVがすさましいので、おれが聞いたOK Goの話をするよ いしたにまさきの新刊:HONDA、もうひとつのテクノロジー ~インターナビ×ビッグデータ×IoT×震災~ 01 それはメッカコンパスから始まった|Honda、もうひとつのテクノロジー 02 ~インターナビ×GPS×ラウンドアバウト~ 運転する人をサポートすること|Honda、もうひとつのテクノロジー 03 ~インターナビ×災害情報×グッドデザイン大賞~ 通行実績情報マップがライフラインになった日 2014.10.28 あのOK Goの新作PV「I Won't Let You Down」が公開され、その内容のすさまじさ、日で撮影されたこと、冒頭にPerfumeが登場していることもあり、公開するなり、超話題です。 リンク: OK Go「I Won't Let You

    OK Goの日本で撮影された新作PVがすさましいので、おれが聞いたOK Goの話をするよ
  • 殊能将之を再読する/『黒い仏』(5) - TBCN

    【殊能将之『黒い仏』の趣向に触れていますので、未読の方はご注意ください】 『黒い仏』はどのようにして書かれたのか 前回、新しい書き手に出てきて欲しい、ということを述べたので、『黒い仏』がどのようにして書かれたのかを私なりに推測してみたい。というのは、『黒い仏』の執筆時期について興味があるからだ。 書までの作品の刊行時と舞台となる時期は次の通り(刊行年月――作中年月)。 『ハサミ男』1999年8月――2003年11月 『美濃牛』2000年4月――1999年9月(プロローグとエピローグはおそらく2000年夏) 『黒い仏』2001年1月――2000年10月 すぐにおわかりのように、刊行時と作中の時間が『黒い仏』はかなり近い。それも、野球の日シリーズという実際の出来事を大きくとりこんでいるから、その近さはさらに異様な印象を与える。 奥付には2001年1月10日発行とある。つまり、21世紀初の講

    殊能将之を再読する/『黒い仏』(5) - TBCN
  • 殊能将之を再読する/『黒い仏』(1) - TBCN

    どの分野にもいえると思うけれど、ジャンルというものは、人を捕らえ、従属させ、その領域から別の領域へ横断する者を見ると不快感をかき立てる、何か危険な力を備えているらしい。慣れ親しむうちに内面化された規律は、判断の感度を高めるいっぽう、透明な、空気のようにあって当たり前の、無意識のほうへ近づいてゆく。 この規律について、ミステリにおいてはよくいわれるように、作品内と作品外とで、パラレルな関係をもっている。犯罪という、社会のルール違反を行なった人間は罰せられる。と同時に、読み手自身も探偵となって、書き手の規則破りを検証する。さらに重要なのは、にも関わらず、書き手には単なる市民道徳の遵守ではなく、ゲームを通じて未知を既知に回収し、“領土”を耕すことが期待される点だろう。 この未知を求めて、時折、大胆な者が、天界の火を盗んだプロメテウスのように、領土の外から、新たな異物をもちこんでくることがある。見

    殊能将之を再読する/『黒い仏』(1) - TBCN
  • つらつらと5:『鏡の中は日曜日』を10年後に読む - TBCN

    【※殊能将之『鏡の中は日曜日』『樒/榁』、麻耶雄嵩『隻眼の少女』の真相に触れていますので、未読の方はご注意ください】 『鏡の中は日曜日』(2001。以下『鏡』と略す)を初めて読んだのは、今から八年くらい前になる。当時私は、「とにかく驚きのあるもの」が好きで、あらすじ紹介に「驚天動地」「大どんでん返し」などとあろうものなら、かまわず飛びついた。だからとりわけ叙述トリックものをよく読んだ。 清涼院流水の大作群に触れたことで、その無邪気なユートピア幻想も崩壊するのだが、『鏡』を読む前にはもちろん、綾辻行人の館シリーズは全て読んでいたので、この作品のことは、館シリーズへのオマージュで、うまく叙述トリックを決めた快作、というふうに思っていた。逆にいえば、快作、としか思っていなかった。 しかし再読して感じたのは、これは快作どころの話ではなくて、そのまま殊能将之がコンスタントに作品を発表していけば、いっ

    つらつらと5:『鏡の中は日曜日』を10年後に読む - TBCN
    florentine
    florentine 2014/11/03
    これは、あとでがよさそう。また読んでから
  • 殊能将之を再読する/『鏡の中は日曜日』(1) - TBCN

    【殊能将之『鏡の中は日曜日』の趣向に触れていますので、未読の方はご注意ください】 『鏡の中は日曜日』については、三年前の夏にも再読した。その少し前から、自分の中では「詩と散文」への関心が大きくなっていたから、だいたいそれに引きつけて読んだような感じだが、関心は今でも途切れていないから、前のものに付け加えるかたちで書いてみたいと思う。 このは『ハサミ男』と並んで、今でも紙媒体で書店に置かれている。没後の去年あたり、平積みされている光景もよく見た。一般的には『ハサミ男』に次ぐ代表作といえるだろう。大雑把に考えれば、そのように読者が広がったのは、作品の中心に叙述トリックを用いたからではないかという推測はできる。ただし、道具立てのほうは、こちらがよりミステリ的にマニアックである。作品のできばえとして、こちらに軍配を上げる読者もいる。 叙述トリックというのはそう安易に(自覚的な作者であればあるほど

    殊能将之を再読する/『鏡の中は日曜日』(1) - TBCN
  • 「むさぼりの心」 〜 ルターの罪悪感 - HODGE'S PARROT

    小牧治、泉谷周三郎の『人と思想 ルター』より。マルティン・ルターの「使徒パウロの『ローマ人への手紙』についての講義」(ローマ書講義)で示される宗教改革的思想。そこには罪とその赦しにおける新たな認識が挙げられる──すなわち、それによってローマ・カトリック教会を批判し、そのあり方を問い、後のプロテスタント神学者に大きな影響を与え、それらの神学者を通して、キリスト者として「来の」生き方の指針が与えられる。それは「偉大な神の摂理という以外に表現のしようがない」(p.123)。 ルターは、『ローマ書講義』においてパウロの手紙を以下のように要約する。 使徒パウロの手紙の要旨は、われわれが自己のあらゆる義と知恵とを打破し、自己の義のゆえに今まで存在しないと思っていた罪と愚かさを確認し、大きくし、最後にこれらの罪と愚かさを打破するために、キリストとその義とがわれわれに必要だということを理解することである

    「むさぼりの心」 〜 ルターの罪悪感 - HODGE'S PARROT
  • A Q&A with Gene Wolfe

    A Twelve Tomorrows exclusive: Science fiction legend Gene Wolfe looks back on his career. Gene Wolfe was born in New York City in 1931 and spent his early childhood in Peoria, Illinois, where he lived near his future wife, Rosemary. He moved to Houston with his parents at the age of six, attended Lamar High School, and enrolled at Texas A&M. But when Wolfe dropped out of college, he was drafted in

  • http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11123216c.html