都ローマの真っ只中にあるサン・シルヴェストロ広場は、市内を網の目のように走るバスのターミナルの地であるとともに、現代的な中央郵便局がこれに面し、人通りが絶えることがない。その郵便局側の左端には、この名を負う教会、名高いサン・シルヴェストロ・イン・カピテ聖堂が、やや奥まった風情で建っている。聖堂の前庭と堂内は静かで、外光眩しい広場と違い、別天地である。 ところで、イタリアの、特にローマのどの教会に入っても、ヒューマニストや宗教改革者の批判もなんのその、至るところに聖遺物がでんと陳列され、霊験あらたかに今に生きている。サン・シルヴェストロ・イン・カピテ聖堂も例外でない。むしろ、ここには驚愕すべき、洗礼者聖ヨハネ(サン・ジョヴァンニ)の頭首があり、この地の住民の崇敬を大いに集めてきた。 昨年二〇〇八年の五月五日、同聖堂の見学時に、ローマに在外研修の身であった私は、常に携帯した案内書にはまったく触
生没年:1403年~1485年 在位:正義の旗手 1449年3月~4月、1454年7月~8月、1460年7月~8月 父:ロレンツォ・ソデリーニ 妻:ディアノーラ・トルナブオーニ 子:パオラントーニオ・ソデリーニ フランチェスコ・ソデリーニ ピエロ・ソデリーニ カテリーナ・ソデリーニ ■別表記 トマソ・デ・ソデリーニ ■外部リンク GeneAll.net ■参考文献 『イタリア史』 『逆光のメディチ』 『フィレンツェ史』 『メディチ家』 『メディチ家の人びと』 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
親衛隊員を処刑する米兵とされる写真。(1945年4月29日)[Note 1] ダッハウの虐殺(ダッハウのぎゃくさつ、Dachau massacre)またはダッハウ解放後の報復(ダッハウかいほうごのほうふく、Dachau liberation reprisals)は、1945年4月29日のダッハウ強制収容所解放後にアメリカ陸軍によって行われた、収容所職員および戦争捕虜に対する虐殺行為である。収容所を解放したアメリカ陸軍第7軍第45歩兵師団(英語版)の兵士は、引き続き収容所職員とドイツ人戦争捕虜の殺害を行った。犠牲者数は情報源により大きく異なる[1]。また、他の収容所でも看守の殺害や元囚人による拷問が行われた。 報復的な虐殺は米軍の収容所占領の直後に始まった。アメリカ兵は収容所到着直前に40輌もの無蓋貨車に押し込まれた痩せ衰えた死体を目撃していたという[2][3]。また収容所の制圧後、セメント
伝える。遺す。廃炉の記録。 現場で今、何が行われているのかをきちんとお伝えすること。 そして次の世代へ記録として遺すこと。 長期にわたる廃炉作業を、みなさまとともに進めていくために、福島第一原子力発電所の今を定期的に掲載いたします。 撮影趣旨 福島第一原子力発電所の廃炉に関しては、国内はもとより世界に現場の状況をきちんとお伝えし、将来に資する形で記録を遺す必要があります。現場の状況を分かりやすくお伝えするために、原子力発電所を含む電力施設を震災前から取材し、かつ、ロケット関連施設など数多くの施設を撮影している実績のあるプロカメラマンに撮影を委託し、定期的に記録写真を撮影しています。撮影 西澤 丞 氏 科学や工業、インフラ設備など、日本を支えている現場の数々を撮影し、著作物や雑誌などで発表。 http://joe-nishizawa.jp/ 2018年5月30日 (1/9) 【3・4号機海側
<概要> 1号機は使用済燃料プールの中にある燃料取り出しに向けて、2018年1月より原子炉建屋上部にあるオペレーティングフロアのガレキ撤去が始まりました。 2021年度中の完了を目指して、がれき撤去が開始されたこと、4つの治具(吸う、掴む、切る、砕く)を活用しながら、安全に作業を進めていくこと等を、大山リスクコミュニケーターがわかりやすく解説します。
私は中東のエルサレムで戦後70年を迎える。どこに目を向けても戦争や紛争が日常の風景になっている中東。ここから日本を見ると、70年間、一度も戦争をしなかった国があるなどとは信じられない。逆に平和と繁栄が当たり前の日本から見れば、中東ははるか遠い世界であろう。しかし、日本はかつてアジアの国々を侵略し、国際社会と対立した軍事国家だった。いま中東で歯止めなく武力や暴力を行使する政府軍や過激派の姿は、かつての日本の姿でもある。 Photo by 特輯満洲事変大写真帖 私は長年、中東でジャーナリストとして働き、暴力が暴力を生むという負の連鎖をいやというほど見てきた。米国が始めたイラク戦争は、その最たるものである。世界最強の軍隊が8年間の「対テロ戦争」で4400人の兵士を失った。戦争の巻き添えになったイラクの民間人の死者は公表された集計で15万人。50万人以上という推計もある。戦争はさらに血みどろの宗派
ワイ(三国志あんまり知らへん・・・そや、有名なことわざあったな) 「馬謖です、上司が泣いて惜しむ人材になります」 面接官「」 誰と答えれば合格できたんや
本書は、戦後における日本人の宗教生活、精神世界の変容を明らかにしようとするものである。分析の基軸となる要素は三つあり、すなわち、天皇制・祖先崇拝・新宗教(当初は新興宗教と呼ばれた)である。三つは相互に響き合い、戦後の日本人の精神性のあり方に強い影響を与えた。 太平洋戦争以前、日本は国家神道の統制下にあった。神道は宗教の上位に位置づけられ(神道は宗教にあらず)、天皇は現人神であった。だが一九四五(昭和二〇)年の敗戦によって神道の超越は否定され、天皇は人間であることを自ら宣言する。とはいえ、天皇制は存続し、天皇が祖先を祀ることも制限を受けなかった。明治時代に淵源をもつ国家神道の根幹は、靖国神社とともに引き継がれていく。一方で「信教の自由」が強調され、様々な新宗教が力をもち始めた。 一九五〇年代に入ると、日本経済は急速に成長していく。この高度成長期、戦後宗教史上、もっとも大きな事件が起きる。創価
『海軍の選択—再考真珠湾への道—』 (中央公論新社、2002年) 「戦間期日本海軍の対英戦略—『反英』への道—」『日英交流史3 軍事』(東京大学出版会、2001年) 「『奇襲断行』か『威力偵察』か?—旅順口奇襲作戦をめぐる対立—」『日露戦争(二)—戦いの諸相と遺産—』 (錦正社、2005年) 「東アジアの覇権と海軍力」『岩波講座 東アジア近現代通史2 日露戦争と韓国併合』(岩波書店、2010年) 「山本五十六は”真珠湾後”をどう見通していたか」『中央公論』(2011年12月号) 「太平洋戦争開戦時の日本の戦略」『日本と連合国の戦略比較-検証太平洋戦争とその戦略3』(中央公論新社、2013年) 「ロンドン会議後の航空軍備と山本五十六」『日本海軍史の研究』(吉川弘文館、2014年) "The Tripartite Pact and the Japanese Navy's Strategy",
太平洋戦争開戦時の日本の戦略 相澤 淳 はじめに 1941(昭和 16)年 11 月 15 日、当時の日本の最高戦争指導機構と言える大本営政府連 絡会議において 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」 (以下、 「腹案」 が採択された。 ) この時、日本はすでに事実上の戦争状態にあった対蒋戦(日中戦争)の勃発から4年あ まりを経ていたが、この「腹案」は、さらにその約 1 ヶ月後(12 月8日)に突入してい く結果となる米英蘭との開戦(太平洋戦争)における、唯一の日本の戦争計画あるいは 戦略と言えるものであった1。 ただし、この決定は、その「腹案」という言葉が示すとおり、国の「正式」の「戦争 計画」と呼ぶには、やはり不完全なものであったと言わざるを得ない。実際、この「腹 案」は、この年の 9 月 6 日に対米英開戦の方向を最初に決めた「帝国国策遂行要領」の 御前会議決定以降、陸・海軍省部お
case3:コミュニケーションと段取り 最後に現在進行形の話を。来年3月に刊行予定の書籍の準備をそろそろはじめないといけないと思っている。けれども、急な仕事の対応に終われ、ついつい準備ができないでいる。自分の頭の中では、段取りのイメージが出来上がっているのに、それを実行できないでいる。 これって、自分のヤル気と「めんどくせーなー」という気持ちとのせめぎ合いが原因なのだろう。その克服のために何ができるかといえば、結局は場数を踏むしかないのと、刑事じゃないけれども、足で稼ぐしかないと実感している。 昨日、お世話になっているある資料館の学芸員の方とお話をしてきた。ちょっと教えてほしいことがあったからだ。話は脱線し、仕事論みたいな話になった。その学芸員の方は「やっぱり最後は企画力。そのためにも遊び心は重要」と再三述べていた。ではそのためには?となった時、やっぱり「コミュニケーション」と言っていた。
case2:五里霧中でライティング 次のケースは、つい昨夜まであったこと。東京の某制作会社から、国内の世界遺産を紹介する冊子の原稿作成の仕事での話。小生はライターさんに書いてもらった原稿をチェックしたり、場合によっては手直しをしたりするなどの仕事を頼まれていた。最初の校正原稿をもらった時、正直驚いた。こちらが指示したことがあまり修正されていない。さらに、クライアントからよくわからない修正指示の文書が送られ、これを見て手直しをしてくれと言われた。 ここで早めに電話なりして、東京の制作会社の担当者と直接話をしながら確認すればよかった。会ったこともない人間との仕事は往々にしてある。メールだけだと、相手の意図することを汲み取るのは難しいことが多い。話せばわかる、じゃないけれども、話せば、どういう人間なのかある程度は想像できる。今回のように、細部に神経を使う仕事だとなおさらと痛感した。 最終的に、一
どうもご無沙汰しております。 夏ですねぇ。 暑いですねぇ。 みなさん、素敵なお盆をお過ごしかと思います。 小生、お盆関係なく、貧乏暇なし、仕事に邁進しております。 仕事に追われ、読書もままならない今日この頃。 最近思うことがあるのです。 なんだかんだ言っても、結局仕事は相手といかにコミュニケーションをとっていくか。 これに尽きるなと。 コミュニケーション如何によっては、仕事の質がかなり変わってくると思うのです。 「そんなの知ってるよ。当たり前だろーよー」とおっしゃらないでください。 小生、最近になってようやく実感したのですから。 そんな訳で、最近感じた「仕事とコミュニケーション」について、いくつかケース・スタディとしてつらつら書いてみようと思います。 case1:途中で引き受けた仕事。船頭が見当たらず路頭に迷う とある書籍の編集をいきなり任された時のこと。発行元の担当者がいっぱいいっぱいで
Patti Smith’s 40 Favorite Books in Books, Music | April 2nd, 2018 5 Comments Image of Patti Smith performing in Rio de Janeiro by Daigo Oliva As a little girl, Patti Smith found liberation in words — first through the bedtime prayers she made up herself, and later in books. “I was completely smitten by the book,” she writes in her memoir, Just Kids. “I longed to read them all, an
人気ノンフィクション作家・高野 秀行と歴史学者・清水 克行による、異色の対談集『世界の辺境とハードボイルド室町時代』。第2回は「「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ーー 未来が後ろにあった頃」について。未来の指す方向から読み解く、時間と空間の転換点とは?(HONZ編集部) ※第1回はこちら 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ーー 未来が後ろにあった頃 清水 日本語に「サキ」と「アト」という言葉があるでしょう。これらはもともと空間概念を説明する言葉で、「前」のことを「サキ」、「後ろ」のことを「アト」と言ったんですが、時間概念を説明する言葉として使う場合、「過去」のことを「サキ」、「未来」のことを「アト」と言ったりしますよね。「先日」とか「後回し」という言葉がそうです。 でも、その逆に「未来」のことを「サキ」、「過去」のことを「アト」という場合もありますよね。「先々のことを考えて……」とか、「後
8月26日発売の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』は、人気ノンフィクション作家・高野 秀行と歴史学者・清水 克行による、異色の対談集である。「世界の辺境」と「昔の日本」は、こんなにも似ていた! まさに時空を超えた異種格闘技の様相を呈す内容の一部を、HONZにて特別先行公開いたします。第1回は「高野秀行氏による前書き」と「かぶりすぎている室町社会とソマリ社会」について。(HONZ編集部) はじめに by 高野 秀行 私はふつうの人が行かないアジアやアフリカなどの辺境地帯を好んで訪れ、その体験を本に書くという仕事をしている。こんなことで生活できるのはありがたいと思うが、一つ困るのは話し相手がいないことだ。 たとえば、ここ5年ほど通って取材を行っているアフリカのソマリ人。彼らは数百年前から続く伝統的な社会システムを現在でも維持しており、それに従って内戦も和平も恋愛 も海賊行為も行われている。
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