利休によって生み出された茶の湯の文化を広め、牽引したのは、戦国武将であるといってよいだろう。利休の高弟である利休七哲が、全て戦国武将であることからも明白である。 当時、茶の湯が戦国武将の間で広く親しまれたのは、こうした武将たちが乱世を忘れ無心で茶と対峙できる静謐な場と時を欲したからともいえよう。生死と隣り合わせの武将たちの茶室、そしてその窓はどのようなものであっただろうか。 如庵 第2回は、国宝の茶室・如庵を取り上げる。如庵は、戦国武将であった織田有楽(長益)による二畳半台目向切1の小間の席で、利休の待庵とは対極ともいえる茶室である。織田有楽は、かの有名な織田信長の末弟であり、戦国時代を生き抜いた武人であったと同時に、利休と同じ時代に生き、利休十哲に数えられる茶人であった。 当初は京都・建仁寺正伝院にあったが、明治に東京・麻布の三井本邸、そして昭和初期に神奈川・大磯の三井別邸へと移され、現