講演・講座・ワークショップガザ攻撃1周年追悼・報道規制を訴える集会ガザで起こった“本当のこと”〜『沈黙を破る』・兵士が語るガザ攻撃〜 【趣旨】「爆弾が降っている時の方が希望があった。あの時は、ガザ攻撃に反対して世界の多くの人々が声を上げてくれた。でも、今、世界はガザを忘れてしまった」――現在のガザ住民の悲痛な叫びです。 約1400人が犠牲となり、5000人以上が負傷したイスラエル軍のガザ攻撃から1年2ヵ月が経った今も、破壊されたガザの復興は進まず、人びとは生き続けるための必死の闘いを強いられています。 このガザの現実を覆い隠すため、イスラエルは今、報道規制を強めています。その象徴的な1例が、ジャーナリスト・土井敏邦へのプレスカード発行の拒否です。これによって、長年、ガザを取材し伝え続けてきた土井は、今その現場から切り離されようとしています。 しかし、これは、土井敏邦個人の問題に終わらず、
※本稿は2010年1月16日付エントリ『冬物語 雪語り: vol.1 しづかな蒼い雪あかり』の続編です。エントリごとに独立した話題を取扱っていますが、順番に読み進んで頂いた方が解りやすい部分もあるかと思います。ご了承ください。 ■ハクチョウといふ巨花を水に置く 大人たちはその湖を「ハクチョウの湖」と呼び、子らに教えた。村が新嘗祭の準備を始める頃、鉛色の空を仰ぐと、遠くシベリアからカムチャツカ、オホーツクを経て、サハリン、クリル諸島(千島列島)、北海道と南下した、美しい冬の使者の飛影が目に入る。ハクチョウのような大型冬鳥が作る逆V字の飛行編隊は、前で羽ばたく仲間がつくった気流(翼端渦)を後続の個体がうまく利用することで、群れ全体の体力の消耗を最小限に抑える、彼らの旅の工夫である。毎年多少の数の増減はあるものの、オオハクチョウ、コハクチョウ、ユリカモメ、オナガガモ、マガモの大群が湖畔で羽を休め
言葉は手段であり伝達もまた手段であるのだから目的を持たない俺が言葉に執着するのは筋が通らないとお思いだろう。バベルの塔を築くつもりがないのならば言葉が通じようが通じまいが構わないだろうと。そうではない。これは祈りのようなものだ。天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人々に平和あれ。祈りを言葉に紡ぐが如く俺は俺の台本を読み上げる。言葉は研ぎ澄まされねばならない。祈りの言葉は天上の音楽の如く美しくあらねば用を為さないから。 憎悪というのもまたひとつの優れたエネルギーでありモチベーションであって俺は人を忌避すれど憎まないし呪わないし最近はもう人の幸せばかり願っている。誰も彼もみな和解して肩を抱き語らってくれ。どこか世界の果ての草原で焚き火を囲んで車座になってみんなニコニコしながら酒を酌み交わしてくれ。俺のことは忘れてくれていい。そこに俺の席は無くていいし、招かれなかったことに恨み言を言うつ
パレスチナ問題あまりにすばらいエントリなのでこちらで一部転写・紹介させていただきます。ほくと未来ネットワークさんより「ガザ自由行進に参加するホロコースト生存者は語る」です。 80歳のおばあさんがテロリストですか?性器に爆弾を隠しているとでも言うんですかね?近い将来にはないでしょう。私は執念深い楽天家です。そしていつか平和は訪れます。ただその前には多くの変化が必要です。この「私は執念深い楽天家です」というところに感動してしまいました。力のある言葉だなぁと思います。私もそんな風にありたいなぁと思います。 どのようにしてイスラエル−パレスチナ問題に関心を持ちましたか? 「私はドイツに生まれたユダヤ人です。アドルフ・ヒットラーが権力の座についた時、両親はドイツが家族を養うのに適当ではないと早い段階で察知しました。世界のどこへでも喜んで行く気であった両親が唯一行くことを拒んだのがパレスチナです。彼ら
三橋順子、「女装と日本人」、講談社現代新書、2008年、\900+税、ISBN978-4-06-287960-6 既にあちこちで取り上げられていますので、今更の感が否めませんが、新書版で約370ページと大部な割にはサクサク一気に読める筆致で、これほどの文章の練達者にはお目にかかったことがありません。著者がご自身のブログで述べておられるように、インドのヒジュラをモデルとする双性原理という概念を打ち出し、日本の歴史を掘り起こす作業は発見と示唆に富むものです。歴史学で鍛えられた調査能力、資料の取捨選択眼、いずれもさすが新進気鋭の学者です。 どんな内容かについては、著者ご自身によるガイダンスがありますので、こちらをご参照ください。また、書評の中でも、平山氏のものが秀逸ですので併せてお勧めします。 日舞は曲目に応じて、女踊り、男踊りがあります。身体の動作表現で女踊り又は男踊りを行う場合、それぞれのジ
日記■伽藍とフェミニズム フェミニズムということにこだわり続け、そこに引きこもることで、自分を再構成した一年が終わった。ふと顔をあげると、そこかしこにそれらしきことばが落ちている。自分の立っている価値観だの正義っぽいものに自信がないから、権威がある伽藍に立てこもってみた。随分と歴史もあるし、シッカリした建築素材だし、ここならば、揺らがないだろうしと。けれど、伽藍から出てきてみると権威がないほうでもふんばって立っている言葉はたくさんあった。 こんどは権威がないほうでふんばっている言葉を捜してみようかと思う。 私が逃げ込んだ伽藍のフェミニズムは迷宮だ。細分化されたフェミニズムの呪文は呪文を解読するための言葉を得なければ、解読できない。そして、細分化されたフェミニズムは内部での矛盾と齟齬をきたしており、そのたびに言葉を捜してさまよい続ける。 伽藍とは寺院だ。 そのとき、フェミニズムは私にとって俗
着物の形状には様々な変遷がありますが、着物を着る上での約束事で長らく守られてきたことがひとつあります。 それは右袵(うじん)。右前、右襟ともいいますが、着物を着て襟を合わせる時、最初に右襟、その上から左襟を打ち合わせ、ちょうど右手を懐にすることができる状態にします。袵(じん:おくみ)とは、現在では襟下から褄(つま:裾)にかけての部分を指しますが、元々の意味は襟のことです。 この右袵の決め事は、719年の養老令に「初令天下百姓右襟」、すなわち、すべての人々は右衽にせよと定めたことによります。右衽が実際に庶民にまで定着したのは平安時代になってからと言われていますが、千年以上前の法律が連綿と今に生きているともいえます。 さて、養老令そのものは現存していませんが、「続日本紀」に残されており、上記右衽の記述があります。 J-TEXTS 日本文学電子図書館 続日本紀 第8巻 http://www.j-
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