ジェイムズ・ミラーの『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』(筑摩書房)は、1993年に原著が刊行されたときから、激しい批判にさらされてきた。フーコーの生涯と業績のすべてを、ニーチェ=バタイユ的な「限界経験」(普通は「限界体験」と訳される)――ただしロマンティックに単純化して理解された――への志向、とくに同性愛SMを通じた自己破壊衝動によって説明しようとする。そこで出発点とされるのは、エルヴェ・ギベールの小説の中でフーコーをモデルにした人物の「告白」する幼年期の思い出――たとえば、外科医だった父に脚の切断手術を見せられたというような、意味ありげな記憶だ。そして、終着点とされるのは、もちろんAIDSによる死だが、作者は、すでにこの病気の流行が話題になっていた83年にフーコーがサンフランシスコでゲイのバスハウスに通い、結局HIVに感染して死んだことを、半ば意図的な自殺ではないかとさえ自問してみせてい