タグ

ブックマーク / www.kojinkaratani.com (3)

  • 浅田彰【映画史のリミットで―淀川長治とジャン=リュック・ゴダール】

    ジェイムズ・ミラーの『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』(筑摩書房)は、1993年に原著が刊行されたときから、激しい批判にさらされてきた。フーコーの生涯と業績のすべてを、ニーチェ=バタイユ的な「限界経験」(普通は「限界体験」と訳される)――ただしロマンティックに単純化して理解された――への志向、とくに同性愛SMを通じた自己破壊衝動によって説明しようとする。そこで出発点とされるのは、エルヴェ・ギベールの小説の中でフーコーをモデルにした人物の「告白」する幼年期の思い出――たとえば、外科医だった父に脚の切断手術を見せられたというような、意味ありげな記憶だ。そして、終着点とされるのは、もちろんAIDSによる死だが、作者は、すでにこの病気の流行が話題になっていた83年にフーコーがサンフランシスコでゲイのバスハウスに通い、結局HIVに感染して死んだことを、半ば意図的な自殺ではないかとさえ自問してみせてい

  • 温暖化と原子力発電 (2008) - 柄谷行人

    福岡伸一:30年近く前になりますが、柄谷さんは生物学者の日高敏隆さんとの対談の中で、生物学者のナイーブさや素朴さを笑われました。その状況は今もほとんど変わっていません。生物学者は生物をテクノロジーの対象としてとらえ、機械論的に考えて操作できるという幻想を依然として追い求めています。 また、生命現象において、二つ以上の出来事の間に原因や結果としての結びつきがあるという「因果性」が当時ほど明確ではなくなってきているということもあります。 たとえば同じ遺伝子のセットを使って生命を操作しても同じ結果が現れるとは限らない。再生医学の切り札として注目を集めている胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞(IPS細胞)などの万能細胞も、われわれがコントロールできるかどうかわからない。

  • ラカン、アルチュセール、デリダ――ジジェクの『汝の症候を楽しめ』をきっかけに/浅田彰

    スラヴォイ・ジジェクの『汝の症候を楽しめ』は、もともと1992年に出ただが、今年になって「『リアリティはつねに複数である』のはなぜか」という章を末尾に加えた増補版が刊行された。その序文で著者は「私の標準的なの形式は6章の長さであり、このの初版は5章しかなかったので、8年の遅れをへた今になってはじめて『汝の症候を楽しめ』はまさしく私のとなった」と言っている。その直後に初版の邦訳(筑摩書房)が刊行されたというのは、こうしてみると、いささか間の抜けた話には違いない。 このは、例によってヒッチコックなどの映画に則しつつラカンの精神分析理論をざっくばらんに解説していくもので、いつも通りのジジェク節が展開されている。だが、新版のカヴァーに寄せる言葉でジョアン・コプチェクの言うとおり、『汝の症候を楽しめ』というタイトルは、当時からどんどん強まってきた「他者の倫理」(「他者に応答責任をとれ」)と

  • 1