memoとゲームに関するfm963のブックマーク (11)

  • 三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな ~任天堂社長 岩田聡氏~ - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

    ちょっとご無沙汰しておりました「三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな」。梅田望夫さんの著書「ウェブ時代をゆく」で下記の文章に大変感銘を受けたことをきっかけにスタートしております。 「三十歳から四十五歳」という難しくも大切な時期を、キャリアに自覚的に過ごすことが重要である。(P194) 今回ですが、梅田望夫さんのウェブブック「生きるための水が湧くような思考」の中で、若者たちの新しい「ロールモデル」(お手)として見つめ直す必要がある。」と記述されている人物。その名は任天堂代表取締役社長 岩田聡。 当時ソニー「プレイステーション2」の後塵を拝していた任天堂の代表取締役社長に就任後、ニンテンドーDS/DS Lite、Wiiを世に送り出し、瞬く間に任天堂を首位の座に返り咲かせた立役者、岩田聡。現在のその華麗な実績に至るまでの30歳から45歳の道のりは、極めて苦しく険しいものでした。今回は岩田聡さん

    三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな ~任天堂社長 岩田聡氏~ - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談
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    fm963 2009/02/03
    「わたしはきっと当事者になりたい人なんです。あらゆることで傍観者じゃなくて当事者になりたいんです。(中略)当事者になれるチャンスがあるのに、それを見過ごして「手を出せば状況がよくできるし、なにかを足してあげられるけど、たいへんになるからやめておこう」と当事者にならないままでいるのはわたしは嫌いというか、そうしないで生きてきたんです。(ほぼ日刊イトイ新聞 –社長に学べ!糸井重里と岩田聡の対談より)」
  • 任天堂 宮本茂さんのインタビューがおもろいです。 - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

    先日のエントリー三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな ~任天堂社長 岩田聡氏~、任天堂 売上2兆円突破を記念し、数字を色々と集めてみましたを色んなブログ、ニュースサイトなどで取り上げて頂きました。Mixiで取り上げて下さった方もおられたのですが、ある方が私のエントリーとともに、現在任天堂の専務取締役で「マリオ」「セルダ」の生みの親として超有名な宮茂さんのインタビューを紹介されていました。 宮茂(みやもとしげる)任天堂専務取締役 情報開発部長 ご存じ『マリオ』『ゼルダ』をはじめとした数々の傑作を生み出してきたゲームクリエイター。1952年11月16日京都府園部町生まれ、1977年金沢美術工芸大卒、任天堂入社(配属は企画部)。ゲーム関連にとどまらない数々の賞を受賞、2006年にはフランス政府芸術文化勲章シュバリエ賞 受賞。 1ゲームソフト開発に注力する立場から、任天堂関連ソフトを全体

    任天堂 宮本茂さんのインタビューがおもろいです。 - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談
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    fm963 2009/02/03
    「宮本さんの言葉で特に私に響いたのは「(何かを成し遂げるためには)コツコツと正しいと思うことをやる以外にない」という言葉。 ここで思うのは、「正しいこと」と「正しいと思うこと」の違い。世間一般で正しいと考えられていることではなく、「何が自分にとって正しいことなのか」を考え続けて、見つけて、それをコツコツとやる。自分の頭で考える。考え続ける。」
  • 社長が訊く ゲームセミナー2008~『どうぶつの森』ができるまで~

    わたしは『どうぶつの森』が出た頃に 理想論のような話を聞いて、 「それはないなあ」と思ったことがあるんです。 いつも帰りの遅いお父さんが 夜帰ってきてから『どうぶつの森』をはじめると、 子どもから手紙が届いていて、 「お父さん、今日は○○をしたよ」 というようなことが書かれていると。 お父さんはお父さんで、 子どもがほしがっていたモノを思い出して、 それを夜のうちに見つけて 「これはなんとかしておいたよ」と 手紙といっしょに子どもに届ける。 わたしは「そんな都合のいいことが起こるわけない」 そんなふうに思っていたんです。 ところが・・・けっこう起こったんですよ、 そういったことが。 どうしてそういう仕掛けをつくることができたんですか?

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    fm963 2009/01/29
    「タイトルもすごく悩んで、 『その日暮らし』にしようかとか」「家具が何個あるとか言わない。 底が見えないし、どれだけあるかわからないから これぐらいでいいかと思って、 集め度合いがみんな違う、 という狙い 」
  • 社長が訊く ゲームセミナー2008~『どうぶつの森』ができるまで~

    みなさん、『どうぶつの森』がもともと、 ダンジョンを冒険するゲームだったというのは ちょっと想像を絶する話だったんじゃないでしょうか。 でも、設計したときはそうだったんですね。 もともとダンジョンを冒険するというのは 導入部分で入れるつもりでした。 そのあと、プレイヤー同士が いっしょに遊ぶといったことをやりたかったので、 NINTENDO64に変更することになってから 導入部分をごっそり取って、 プレイヤー同士がコミュニケーションをするところだけで ゲームをつくろうと決めたんです。

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    fm963 2009/01/29
    「コミュニケーションにつながるようプレイヤーごとに差をつける」「一生懸命やらなくても、空いた時間に遊んですぐやめて、 それで満足できるようなゲーム」「 だらだら遊んでいると やることがなくなるようにした」
  • 社長が訊く ゲームセミナー2008~『どうぶつの森』ができるまで~

    そういうことは、宮さんたちの ゲームづくりの秘密のように思えています。 はじめにキャラクターや世界はないんです。 もちろんストーリーもないんですね。 わたしは、いろんな人が書いた 企画書を見る機会が多いんですけど、その中で キャラクターや世界観は熱く語られてはいるけれど、 ゲームシステムについては まったく触れられてなかったりすると、 「これだと、まだ大事なことが決まっていないので、 作り始めてから迷走することになるんじゃないかなぁ」 と思ったりするんですよね。

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    fm963 2009/01/29
    岩田「最初の企画段階では、徹底して仕組みから入っていったんですね。宮本さんたちのゲームづくりの秘密のように思えています。 はじめにキャラクターや世界はない。 もちろんストーリーもない」 「ゲームシステム」
  • 社長が訊く ゲームセミナー2008~『どうぶつの森』ができるまで~

    わたしは2時まで京都の社で会議をしていて、 新幹線に飛び乗り、さっき着いたばかりです。 今日は「生・社長が訊く」をやろうと思います。 ホームページの「社長が訊く」と実際のところ あまり変わらないと思いますけど、 〝生〟で見るとどんな感じになるのか みなさんにお見せしたいと思います。 そこで、今回のテーマは何にしようかと思ったのですが、 ちょうど『街へ行こうよ どうぶつの森』が出たことですし、 開発に関わったお2人に協力してもらうことにしました。 それでは、自己紹介をお願いします。

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    fm963 2009/01/29
    岩田 「これからはネットワークゲーム」「4人がテレビの前で 遊べるもの」「江口さんたちがやろうとしたことは ちょっと違っていたんです。 複数の人が時間をずらして ひとつのゲームを遊ぶあそびだったんですね」
  • 野安の電子遊戯博物館:みんなが、みんなを楽しませる(後編)

    みんなが、みんなを楽しませる。 というのは、じつは、日人が得意とするところです。 けっこう誤解されているんだけど、「創作する」能力の高さは、日という文化圏が持つ、最大のアドバンテージのひとつなんです。日ほど、市井の人たちが創作活動を楽しんでいる国は珍しい。 なにしろ、30年以上も前から「コミケ」というイベントがスタートしているわけですよ。ごく普通の人たちが、「自分で何かを作り、みんなを楽しませ」てきた。このイベント、世界中を見回しても、きわめて特異なんですね。 これは、日教育立国だからかもしれません。 日は、それこそ江戸の時代から、庶民が「読み書き算盤」を子供たちに学ばせていたほど、教育熱心な国。町民が町民に向けて発信するコンテンツ(ノンフィクションも、フィクションもありました)が、ごく当たり前のように存在していました。 たとえば「封切り」という言葉が、その

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    fm963 2009/01/13
    「みんなが、みんなを楽しませる。 という仕組みに、日本のユーザーは敏感に反応できる。これが、日本のゲーム文化が持つ、最大のアドバンテージのひとつ。」
  • 野安の電子遊戯博物館:みんなが、みんなを楽しませる(前編)

  • http://www012.upp.so-net.ne.jp/noyasu/game/first/gameetc2.htm

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    fm963 2009/01/13
    「商業作品に関して、 それが買うに値するものであるかどうかの指針を 目標として書かれたものが「批評」であり、 商業主義を離れたところで 作品について書かれたものを「評論」である、 と定義することにする。」
  • ゲームはなぜ「面白い」のかというロジック

    ゲームはなぜ「面白い」のかというロジック ~ゲームはなぜ「面白い」かをめぐる試論~ (1997年11月23日更新) [1] を読んでいるとき、背後からそのを読まれるのは、不愉快だ。 だけど、ゲームをプレイしているとき、その画面を見られるのは快感である。 これが、ゲームというメディアが持つ特異性のひとつである。 自分のプレイの結果(あるいは経過)を、自分以外の誰かが認識する。 その瞬間、ひとりでプレイしているとき以上に、ゲームは楽しく感じられるものなのだ。 実際にゲームをプレイしてなくてもいい。 誰かと、ゲームの情報を交換するだけでいい。 「○○の剣は、あの町の北にあるよ」 誰かとそんな会話をするのは、とっても楽しい。 ひとりでプレイしていたとき以上に、それは楽しい瞬間なのだ。 ゲームは、ひとりでプレイするだけでは、その真の面白さを見せてくれない。 自分が体験したこと、あるいは自分が体験

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    fm963 2009/01/13
    「ぼくたちは、「伝える」ことの面白さに気づいた。 幸せなことに、日本のゲームの作り手たちも、 「伝える」ことのの面白さに気づいている。 だからこそ、日本のゲームは、世界一の座に到達した。 」
  • 序論:ゲームとは何か コスティキャンのゲーム論を越えて - 未来私考

    近年、特にDSのムーブメント以来、ゲームであるのにゲームっぽくない、あるいは従来ゲームと思われていなかったのにゲームとして受容されているそういたったソフトウェア群が増えています。例えばどこでもいっしょ、脳トレ、WiiFit、あるいは選択肢のないノベルゲームなど、それがゲームなのかどうかを判別しないまま、受容している。確かに非ゲームやシリアスゲームという呼称はあり、それらは印象論的に使い分けられているが、それらが娯楽として同一平面上にある(=それらはすべてゲームとして感受されている)んですね。 そもそもゲームとは、ゲーム性とは何か。ゲームに対する定義としてもっとも有名なものとしてはグレッグ・コスティキャンによるゲーム論があります。 コスティキャンのゲームゲームと意思決定 ここでコスティキャンは、ゲームとは【意思決定】であると断じています。意思決定とは、ある状況において複数の代替案の中から

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    fm963 2008/11/30
    【娯楽の核】と【意思決定】が揃って、そこにゲームが生まれる。優れたゲームとは、多くの人が共感できる【娯楽の核】を持ち、それを繰り返し享受するための【適切な大きさの課題】を持続的に供給できるものである
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