2011年5月26日のブックマーク (2件)

  • 武田邦彦 (中部大学): 科学者の日記110526 みんな死ぬのだから・・・という論理を考える

    の法律では「1年1ミリ」が被曝限度だが、「1年100ミリまで大丈夫」と国、専門家、医師、自治体、新聞記者が言っている. 他の人の意見が自分と異なる時には、 「なぜ、教養も責任感もある人が、自分と違うことを言っているのだろうか」 と考えることが私のやり方だ。 自分が正しいということはない.自分の意見と他人の意見が違うだけだ。 ・・・・・・・・・ 「1年100ミリまで良い」と言った人は、たとえば、 1)   衆議院の委員会で私と一緒にでた原子力安全委員会の委員の方、 2)   朝日新聞の女性の記者で署名記事を書いた人、 3)   長崎大学の教授で福島のアドバイザーをしているお医者さん、 4)   東工大の若手の女性の原子力関係の研究者(放射線防護) 5)   松戸市のお役人などの地方自治体の人、 などでいずれも蒼々たるメンバーだ。 そのほか、原子力安全委員長、文科省の大臣、厚生労働省、官房

    fmht7
    fmht7 2011/05/26
    @snowystreet 武田先生がこの毎日の中川恵一先生の記事をご覧になったかわかりませんがこんな文章を。「みんな死ぬのだから・・・という論理を考える」
  • 東日本大震災:福島第1原発事故 崩壊した「ゼロリスク社会」神話=中川恵一 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇放射線被ばくの試練、プラスに これまで日は「ゼロリスク社会」だといわれてきた。この言葉は「(生存を脅かす)リスクが存在しない社会」ではなく、「リスクが見えにくい社会」を意味する。そもそも生き物にとって、死は最大のリスクといえる。私たちに「リスクが存在しない」はずがないのだ。 たしかに、急速な近代化や長寿化など、さまざまな要因が重なった結果、私たちはリスクの存在に鈍感になっている。日人の半数が、がんになるというのに「がん検診」の受診率は2割程度(欧米は8割)にとどまる。根底には、私の恩師の養老孟司先生も指摘する「死ぬつもりがない」といった歪(ゆが)んだ死生観があるのではないかとも思う。 しかし、ときに「垣間見える」リスクに対して、日人は過敏な反応を示すことがある。たとえば、抗菌グッズやアンチエージングが大人気なことが代表的な例だろう。リスクへの、こうした両極端な反応は、まさにアンバラ

    fmht7
    fmht7 2011/05/26
    “自ら選択する”リスクと自分の意志とは関係ない“降ってわいた”リスクには大きな違い。このまとめはおかしい。