開幕から首位を守り続け、独走でのJ1復帰。先制点となる今季21点目を挙げた広島の主将、佐藤寿は「みんなで一緒に戦って、ここまで来ることができました」とスタンドに報告した。昨年12月8日、多くの選手とサポーターが涙を流した「ビッグアーチ」は、歓喜の舞台に変わった。 J1から陥落したことで辞任を示唆したペドロビッチ監督だが、本谷球団社長は「選手からの信頼が厚い」と続投を指示した。駒野(現磐田)、ウェズレイ(現大分)こそチームを離れたが、残留を決めた佐藤寿、柏木ら主力に、成長した若手が融合した。 J2降格が決まった後、佐藤寿は「この悔しさを味わったメンバーでJ1に戻りたい」と言った。この日の先発のうちGKを除く10人は昨季もチームの中心選手。J2の舞台で格の違いを見せ続け、一度も連敗することなく35試合目で約束を果たした。 「J1でも戦えるチーム。若い選手が多く、まだ成長できる」。佐藤寿は来季を
先制して自爆…中沢ボンバーで“全得点” J1第26節第1日は23日、各地で6試合が行われ、横浜のDF中沢佑二(30)が国立競技場で行われた川崎F戦で“全得点”を記録した。前半42分に右CKを頭で合わせて先制点を決めると、後半27分には相手の左CKを頭でクリアしようとしてオウンゴール。それでもチームは1―1で引き分けて13位に浮上し、神奈川ダービーはボンバーヘッドの独り舞台となった。 【J1試合結果 J1順位表】 良くも悪くも存在感は抜群だった。先制弾とオウンゴール。中沢が国立競技場のネットを2度も揺らした。前半42分に狩野の右CKを頭で合わせて今季4点目を決めると、後半27分には相手の左CKをクリアミスしダイビングヘッドで自陣ゴールに突き刺した。「“もう1点取ればハットトリックだったね”と(栗原)勇蔵から言われた。笑えませんね」。試合後は複雑な表情で頭をかいたが、今季26試合27得
2008年Jリーグの各ラウンドレビュー 第26節(2008年9月23日、火曜日) 二試合のポイントをまとめます・・(マリノスvsフロンターレ、1-1)(ジェフvsグランパス、2-1) レビュー 「立ち上がりは、中盤でのミスが重なったこともあってフロンターレにペースを握られた・・まあ、相手の方が上だという意識があったのかもしれない・・その流れが、ゴールを境に好転しはじめた・・またハーフタイムでも、そんな意識とポジショニングの修正を行った・・そんなこともあって、後半はよいサッカーになったと思う・・だから引き分けは残念だ・・もちろん選手たちも悔しい思いをしたに違いない・・」 マリノス、木村浩吉監督が記者会見の冒頭でそんなニュアンスのことを言っていた。ということで、そのポイントについて続けて質問することにした。「おっしゃるように、前半はフロンターレにかなりやられていた・・ウラの決定的スペースも攻略
第28回よこはま国際ちびっこ駅伝大会の参加者を募集。日産スタジアムで2019年2月16日開催。登録受付は1月9日まで
<J1:横浜1-1川崎F>◇第26節◇23日◇国立 川崎FのDF井川祐輔(25)は、前半42分の失点について「チームというより個人の問題」と言い、肩を落とした。相手CKの際にDF中沢をマークしながら、競り負けてヘッドで決められ場面について、「自分が修正すればいい」と猛省した。 0-1で敗れた20日の東京戦に続き、2戦連続セットプレーから失点し、嫌なムードが漂い始めた。それでも後半27分に同じ中沢のオウンゴールによって、何とか引き分けに持ち込んだ。GK川島永嗣(25)は「失点したが、しっかりマークはできていた。ラッキーな形で引き分けたけど、やっている方向性は全然間違っていないと思う」と前向きに話していた。
<J1:横浜1-1川崎F>◇第26節◇23日◇国立 川崎FのFW鄭大世(24)は、3戦連続不発に終わった。チームも3戦未勝利で「前半は完全にうちのペースだったのに、決められないのはFWの責任」と、悔しさをにじませた。前半24分に強烈なミドルシュートを放ったが、バーを直撃するなど運にも見放された。 27日には同じ国立競技場で柏と対戦するが「また、この地に戻ってくる。サポーターと勝利を分かち合いたいです」と、必勝を誓っていた。
J1リーグは23日に6試合が行われ、残留争いからの完全脱出を狙う横浜は、東京・国立競技場で「神奈川ダービー」として川崎Fと対戦。先発が濃厚な「マムシの祥平」ことMF小椋祥平(23)が「ジュニーニョ封じ」に名乗りを上げた。J2水戸時代に粘り強い守備で抑え込んだ実績があり、小椋が今季横浜に移籍したことで4年ぶりの対戦が実現。最近の3試合で4ゴールを奪われている天敵を倒し、15位からの急浮上を狙う。 狩猟の場が、ついにやってきた。22日の最終調整で、3バックを組む中沢、栗原とともにミニゲームで汗を流した小椋は「楽しみですね。この4年間で、僕自身も力をつけたはず。体がぶっ壊れても、抑えますよ」と不敵に笑った。 忘れもしない、04年9月26日。当時J2だった川崎Fが水戸を2-1で下し、J1復帰を決めた日だ。19歳のルーキーだった小椋はジュニーニョをマンマーク。「マムシの祥平」「水戸のガットゥーゾ(イ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く