NIKEのCMを考える。「黒人はレイプ魔だ」は差別だとして、「ある黒人をレイプ魔として描くこと」は差別なのか?
漫画版「戦争は女の顔をしていない」を読んだので記事を書くよ。読んだのは2か月くらい前だよ。記事を書き始めたのはそのちょっと後だよ。遅筆(めんどくさがり)すぎぃ! ******** 萌え絵やアニメ絵やオタク文化というのは、結局は刹那的なポルノ消費の袋小路に陥って破綻してるわけで、右を見ればなろう原作イカレ漫画(アニメ)、左を見れば奇形幼女ロリコン性的搾取アニメ(漫画)ばかりで、戦後の廃墟のなかから日本の文化的知性を再建するのだと誓った出版界の先人たちがみれば、これはもう涙を流さずにおられないであろう惨憺たる有様である。 粗製濫造で数が増えすぎて、バッサリと再編する勇気もない出版社のすることと言えば、手っ取り早く本を売るために、徹底的にわかりやすく脳死萌えポルノ漫画を量産することだけで、かつて革命思想の葛藤から執筆された「風の谷のナウシカ」のような作品は、もう二度とこの荒野と化した業界からは生
さて、今回はタイトルにもあるように韓国側の視点から定義されるヘイトスピーチとはなんなのかについて、いくつかの実例を挙げながら説明していきます。 ここ数年、日本では嫌韓現象に対してヘイトスピーチという単語が使われる事がメディアを中心によくあるのですが、ほぼ同じ論調がここ1年ほどで韓国でも定着し、対日批判の主要構成要素となってきています。 そして、そこで韓国側が日本と韓国の対比として頻繁に使う単語として、「韓国には反日もヘイトスピーチもないが、日本には嫌韓とヘイトスピーチがある」というものがあります。 反日に関しては、以前こちら(日本人の考える反日と韓国人の考える反日は違う)で書いたように、韓国人は日本人が反日と定義する行為を反日と定義していないため、反日を行っているという自覚が無いと書いたわけですが、実はヘイトスピーチに関しても全く同じなのです。 彼らの中で定義される一般的なヘイトスピーチは
初めて秋葉原に来たときの興奮を覚えているだろうか? 愛知の片田舎でパソコン通信で遊んでいた筆者が初めて秋葉原にいったのは、確か16のときだ。青春18切符を使って大垣発の深夜電車に飛び乗りコミケのついでに秋葉原を見に行った。 「秋葉原にはなんでもある!!!!!!!」 そのときの衝撃は今でも忘れられない。celeronのCPUも、最新のPD(光磁気)ドライブも、怪しい裏ソフトも、同人誌の専門店もある! 雑誌やネットでしか見たことないものが、ここにはすべてそろってるんだ! 「シンセンにはなんでもある!!!!!!」 先日、中国のシンセンに旅行にいき、全く同じ興奮を思い出した。 人生の角度をねじ曲げるほどの強烈なインパクトを味わい、少しでもブログに残そうとおもった次第だ。 本レポートは2014年8月5日~10日に、"世界の工場"である中国のシンセンに旅行にいってきたときのものだ。DMM.makeを担
周南市観光コンベション協会が企画、販売する「特攻の島カレー」が、一部ネットユーザーの間で話題になっているようです。 (タワンタナカ @Tawan83 https://twitter.com/Tawan83/status/472016260994060288 より引用) 徳山駅を訪れた方が駅に展示されている「特攻の島」のパネルを見かけて憤慨し、その後、「特攻の島カレー」を発見しブチ切れるという流れのツイート。 5/30 11:00現在で306リツイートされています。 こちらの商品は、僕がイラストの使用を許諾している案件で、観光コンベション協会が主催する「平和の島プロジェクト」の企画の一環で制作された物です。 プロジェクトには、僕も微力ながらご協力しています。 人間魚雷「回天」後世に 漫画「特攻の島」と協力 山口 話題となっているカレーは、今年の4月頃から発売されていました。 他にもいろいろと
日清戦争時のレイシズム日清戦争の時代、日本人は清国の人々を、チャンチャン坊主、芥子坊主、豚尾漢などといった蔑称で呼んでいた。 これはなかなか歴史のある蔑称でして、明治十六(一八八三)年にはすでに新聞紙条約などで、お前らこういうの書くの止めとこうなって禁止されてもいる。 ところがそれらの蔑称が、日清戦争で復活する。なんでかっていうと日清戦争で日本好きな奴らが興奮しすぎたからで、清国の悪口を歌にした書籍が大量に出版され大人気になってしまうのです。 こういうのが100とか余裕で続く地獄みたいな書籍で、今の人が読んでも意味があんまり分からないと思うけど、とにかくそういう本が存在したのです。 [事例:日清戦争における李鴻章への悪口について , 日清戦争時の児童文学] 戦後の人らはこういう創作物を見て、日本というのはレイシズムの国だッと怒ってたんだけども、そういうことを言う人は基本的には忙しいし、頭も
今回の記事はとても長いです。 日清戦争の裏に市井の人々の活躍があった まずは歴史のお話です。 近代化されたメディアを利用したプロパガンダ活動が、日清戦争では盛んに行われました。日清戦争を、世界初の近代情報戦争とも定義することができるでしょう。 事実、清国によるプロパガンダに日本は悩まされます。それでは日本国はというと、戦時におけるメディア戦略が曖昧だったり、近代国家として諸外国に認めてもらうためルールに従って戦争したりしていましたから、なかなか微妙な状態でした。 そんな中、なす術のない日本政府に成り代わり、立ち上がった市井の人々がいたッ!!!! 高度すぎてもはや我々には理解不能ですが、これは清国の悪口ソングです。当時の日本では、このような清国の悪口ソングが大量に生産されていた。 なぜにこんなもんが大量生産されていたのかというと、あるオッさんがイチかバチかで、ちやんちやん征伐音曲集とかいう本
総理大臣が靖国神社参拝したら外人がすごい怒って、ヤッベーみたいになっている。 こういう時に感情的になってはならない。大切なことは過去から学ぶということです。そんなわけですから、本日は明治二年に起きた靖国問題をひとつの事例として紹介したいと思います。 靖国神社っていうのは元々は招魂社っていう名前で、明治の二年七月に東京九段坂に設けられ、その時には五日間の大祭が施行されました。 大祭ですからいろんなオッさんが、様々な物品を奉納するわけですけど、残念なことにその中で熱血すぎるオッさんがいた。 このオッさんは熱血すぎる以外は良い人で、とにかく国のために死んだ奴らが喜ぶのもを奉納しようとすごく悩んだんだ。それは良いんだけども、いろいろ悩みすぎた結果、オッさんは武者がキリストを踏み潰している旗を奉納するという最低すぎるアイデアを思い付いてしまった。 これは再現画なんだけど、絵師が知識とか曖昧なまま描い
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