ブックマーク / d.hatena.ne.jp/negadaikon (3)

  • ピーター・バーク著・井山弘幸訳『知識の社会史2』読書メモ - みちくさのみち(旧)

    書では、思想を語らないというわけではない―制度を理解するうえで思想を省くことはできないのだから―、ただ、思想の内在的歴史より外在的歴史を、知的な問題より知的な環境の方を重視するということだ」(p.13) 書は、イギリスの歴史家、ピーター・バーク(Peter Burke)のA social history of knowledge II : from the Encyclopaedie to Wikipedia. Cambridge: Polity, 2012. の邦訳である。 2というからには1もあって、1は2000年に原著が発行され、2004年に邦訳が発行されている。1の副題は、邦訳では意訳されてしまっているが、「グーテンベルクからディドロまで」なので、18世紀中葉にディドロが作った百科全書からウィキペディアまでを副題に持つ書はまさに続編ということになる。 自分は門外漢であるため

    ピーター・バーク著・井山弘幸訳『知識の社会史2』読書メモ - みちくさのみち(旧)
    fugufugu
    fugufugu 2015/11/15
  • 私のささやかな「人文学」 - みちくさのみち(旧)

    ところで「人文学」というのは結局何なのだろうか――と、この半年くらい(正確にはもうちょっと長い間)考えている。 「人文学」という言葉の由来については、私自身、過去に気になって語誌を辿ってみたことがあるのだが、1920年代には「人文学」は「地文学」に対応する言葉…学問領域でいうと、今でいう「人文地理学」とほぼ同義で用いられていたらしい。 「人文」については、「文化」という訳語が成立する前の単語という見方もできる。大正時代に「文化」という単語がはやったというのは割と色んなに書いてある事柄だが、「文化」に相当する語として、明治から「人文」が使われていた。 西周が書き、山覚馬が発行した『百一新論』には、「人文ノマダ十分ニ開ケナイ間ニハ法トモ教トモ就カヌ交セ混セナ事デモ甘ク治マル者デゴザルガ」(『百一新論』十六丁裏。近デジ)という一節があるが、これなどはむしろ「文明」の意味っぽい。ちなみに、『百

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    fugufugu 2013/09/02
  • 「残念な論文」執筆法 - みちくさのみち(旧)

    院生時代に愛読していた『MASTERキートン』に好きな話がある。研究者と保険屋の間で「優秀な保険の調査員」であることに悩んでいたキートンが大学図書館に行ったときのもので、図書館でバイトしている院生がカウンターに現れた人物をキートンと知るや、その手を握りしめ「あんな素晴らしい論文初めて読みました!僕はあれを読んで研究者になろうと決心したんです!」と語り、言われたキートンがびっくりする、というシーンである。「あんな素晴らしい論文初めて読みました」と、いつか一度は言われてみたいものだと思いながら、その願いを果せず今に至っている。 論文の書き方を考えるときは、私の場合、いつも上手く書けていない、書いたけれど不満が残った、もっと上手になりたい、そんな風に思うときだと相場が決まっている。上手く書く方法や文章術についてネットで探せばいくらでも出てくる。文章読の読まであるご時世である。 けれど、そんな

    「残念な論文」執筆法 - みちくさのみち(旧)
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    fugufugu 2012/12/14
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