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2024年6月24日のブックマーク (2件)

  • 【対談】山田五郎と村上隆が、近現代の日本の美術史から読み解く「なぜ村上隆は嫌われるのか?」

    美術の近現代史の歪みが生んだ、村上隆の「嫌われる理由」村上:今日はありがとうございます。山田さんのYouTube番組は、ずっと拝見していました。 山田:「村上隆 もののけ 京都」は、お世辞抜きで期待以上に良かったですよ。《お花の親子》(2020)が東山を借景にした日庭園の池にじつによくフィットしていましたし、《風神図》《雷神図》(ともに2023〜24)にしても、《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》(2023〜24)にしても、力作ですよ。 京都で開催する必然性のある展覧会になっているところがすばらしいと思いました。 村上:今日は山田さんに、クリティカルに忌憚(きたん)のない解説をいただけるという期待をしています。じつは、2020年オリンピックの東京開催が決定した2013年9月7日(日時間8日)の、その5分後に、「村上隆だけにはキャラクターを作らせたくない」という言葉がTwitter(現

    【対談】山田五郎と村上隆が、近現代の日本の美術史から読み解く「なぜ村上隆は嫌われるのか?」
  • 経度の歴史 - Wikipedia

    経度 経度の歴史(けいどのれきし)では、経度にまつわる歴史について記述する。 経度という概念は緯度とともに古代から存在したが、基準に基づく経度の測定は緯度と比べて難しく、正確に求められるようになるまでには長い年月を要した。 また海上で航海に必要とされる精度で経度を求めることは歴史的に困難な課題だったが、クロノメーターの開発により実用上解決された。経度の基準も、ロンドンのグリニッジ子午線を基準(初子午線)として世界中で採用された。 エラトステネスの地図(19世紀に再現されたもの) 地図を経線と緯線で区切って、その座標で各地点の位置を表すという発想は古くから存在した。古代に地球の大きさを求めた地理学者エラトステネスは、シェネ(アスワン)とアレクサンドリアを結んだ線を基準として、それと平行に数の直線を引いた地図を作成した[1]。ただしこの線の間隔は現在の地図のように等間隔ではない。また、基準

    経度の歴史 - Wikipedia