国内排ガス最大手の必要悪ホールディングス(東京)は4日、排ガス製造事業から撤退すると発表した。環境保護が世界的な課題となる中、「必要悪」としての存在感が薄れ業績が悪化していた。 必要悪ホールディングスは、国内で鉄道運行が始まった1872年創業。当初は蒸気機関車から排出される黒煙と煤を製造していたが、自動車の発明とともに排ガス製造事業へ転換。自動車や空気清浄機などを製造するメーカーにとっての「必要悪」ポジションを不動のものとし、国内で一年間に排出される排ガスの9割近くを製造してきた。 だが近年、環境保護意識の高い海外資本に国内家電メーカーが相次ぎ買収されたことや、電気自動車の普及、若者の自動車離れが直撃。今期の排ガス製造事業は5期連続の赤字となる見通しだ。 こうした状況を受け、同社は4日の取締役会で排ガス製造事業からの撤退を決定。都内の工場は今年度中に閉鎖し、17名の従業員と設備は海外も視野
ノルウェー・ノーベル委員会は4日、今年のノーベル平和賞を、ノーベル平和賞を主催する「ノーベル財団」に授与すると発表した。授賞理由は「ノーベル平和賞の創設と授与を通じた国際平和への貢献」。100年以上にわたって平和推進に尽力してきた積極的な姿勢が評価された。 ノーベル財団は、ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルが創設した財団。その遺言に基づいて、1901年以降毎年ノーベル賞各賞を授与している。 とりわけノーベル平和賞は赤十字社の父アンリ・デュナン(1901年)以降、人種差別撤廃を訴えたマーチン・ルーサー・キング牧師(64年)、インドの修道女マザー・テレサ(79年)ら平和運動・人権活動家の功績をたたえるだけでなく、近年では「核なき世界」を提唱するバラク・オバマ大統領(09年)に賞を贈るなど政治性を帯びたメッセージも発信してきた。日本人では「非核三原則」を表明した佐藤栄作元首相が74
京都府向日市の向日町競馬場で2日、全国から激辛料理が一堂に会し、その売り上げを競う「第5回激辛グランプリ<激ONE(ワン)>」が開かれ、多くの来場者で賑わった。 「激ONE」は全国の激辛料理店でつくる団体「日本激辛料理委員会」が年に1度開催する激辛料理の祭典。この日行われた決勝大会には、全国8つのブロック予選を勝ち抜いた8店舗が出店。午前9時の開会から午後5時の閉会までの8時間で最も売り上げ金額が多かった店舗が優勝となる。 優勝候補として前評判が高かったのは北陸ブロック代表・富山県の激辛そば「富山レッド」(480円)。隣の長野県から取り寄せた赤そばに濃縮カプサイシンをふんだんに練り込んだ、地元特産品とは全く関係ない激辛料理だが、辛さの度合いを示すスコヴィル値が1億を超えるその辛さは化学兵器への転用も可能なことから、北朝鮮への全面禁輸が取られている食品の1つだ。激辛料理愛好家による前評判の高
高円寺区画整理組合は大正12年(1923年)に発足、17年の歳月を経て昭和15年(1940年)に完了しましたが、桃園川の改修はその初期に行われています。下の地図に重ねたのは大正14年(1925年)の「杉並町全図」で、数条の流れがオレンジ線で示した馬橋、高円寺境で一本にまとめられています。昭和6年(1931年)、遅れて開始された馬橋地区の区画整理は、阿佐ヶ谷からの 流れを一本にまとめて高円寺に引き継ぐ、アダプターの役割を担いました。左右から合流する支流を含め、すべて馬橋地区内で本流に戻っているのはそのためです。 ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
東橋から八反目上橋にかけて、→ 「段彩陰影図」に明らかなように、左右から谷筋が合流しています。どちらも→ 「馬橋村絵図」に二本の水路が描かれ、間に水田を挟んでいて田用水だったことが分りますが、うち右岸からのものが、天保11年(1840年)に開削された新堀用水です。その馬橋、高円寺、中野の各村に与えた恩恵については、→ 「千川用水2 / 天保新堀用水」以下で、千川用水とのかかわりで触れたことがあり、今回は水路跡を合流地点からたどっていくことを主とします。 ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
新堀用水をさかのぼる二回目です。→ 「馬橋村絵図」や→ 「東京近傍図」を見ると、二本の水路が並行し、間の水田を灌漑していますが、今日確認できる右岸流は、「阿佐ヶ谷神明道」から合流地点までに限られています。区画整理時に改修した際、田用水としての機能が失われていたのでしょう。なお、大正14年(1925年)の「杉並町全図」では、合流地点の二本の水路に囲まれた長方形の区画は、前回さかのぼったあたりまで釣り堀となっています。 ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
新堀用水をさかのぼる三回目です。「阿佐ヶ谷神明道」を越えたところで、左岸流一本となりましたが、右カーブで西に向きを転じ、すぐに馬橋通りを越えます。なお、下の地図に書き込んだのは「杉並町全図」(昭和4年 小林編纂部)などにある右岸流ですが、実測図ではないので大雑把なものです。また、日本地形社の「昭和11年測図 同22年補修」(1/3000)に描かれている弁天池も重ねましたが、同図の右岸流は現行と同じく「阿佐ヶ谷神明道」以降です。 ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
新堀用水をさかのぼっての四回目で、馬橋通りを越え、にしはら公園の南縁に沿います。同公園の開園は昭和53年(1978年 )ですが、「昭和33年第二回修正」を見ると周辺は荒地になっていて、かっては水田として耕作されていた時期もあったのでしょう。なお、西原は杉並村(のち杉並町)大字馬橋の字ですが、「新編武蔵風土記稿」には収録されていません。 ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
銀座エリアへも気軽に足をのばす事ができる有楽町駅周辺。ビジネス街のイメージもありますが、実は子連れにうれしいスポットが充実しているんです。 有楽町駅周辺での、子連れ散策モデルコースをご紹介します! 【午前】まずは東京交通会館で、新幹線と子どもの2ショット撮影! 【お昼】お腹が空いたら、有楽町マルイ「SKEW(スキュー)」でランチ 【午後】思いっきり走り回ることができる、日比谷公園へ! 【おむつ交換はここが便利】有楽町へのアクセスはJRがおすすめ 【午前】まずは東京交通会館で、新幹線と子どもの2ショット撮影! 東京交通会館3階の屋上庭園は、無料で利用できるフリースペース。頻繁に行き交う新幹線を間近に見ることができる、穴場スポットです。走る新幹線と、子どもの良い表情を一緒に写真に収めることは容易ではありませんが、新幹線は頻繁に走っているので、シャッターチャンスは何度もやってくるから安心ですよ。
新堀用水の元となった桃園川の支流の主要な水源として、青梅街道の南の田端村境近くにあった湧水池があります。そこからの流れは青梅街道と直交しており、文久2年(1862年)の→ 「村絵図」には橋が描かれていています。馬橋の名前の由来ともいわれる、馬でひとまたぎほどの狭い橋だったようです。なお、この付近は蕎麦(そば)窪と呼ばれていました。「新編武蔵風土記稿」に「西の方にあり」と書かれた小名ですが、文字通り蕎麦の窪なのか、あるいは(青梅街道の)傍の窪なのか、そのへんはよくわからないところです。 p> ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
今日はバイク関係では、全日本岡山ラウンド&キングオブユーロファイター ダンスはスーパーダンス選手権 なのに。 バイクは手伝う予定のライダーが昨日の時点でリタイヤしたので、岡山には行かず、Ustreamで観戦。 ダンスは相方いなくなったし。 ツマンネー(´Д`) 仕方がないので、たまった録画を観たり、頼まれたパソコン仕事をチョコチョコと。 テレビ見てたら、チビタさんが寄ってきまして。 モモまくら 寝返りしても モモ枕は離さない 動いたらあかんで 今日は暑いんですけど(°Д°) 野生たぬは狭い穴とかに住んでるので、身体のどこかが何かに触れていないと落ち着かないんですよねぇ。 ついでにしっぽの観察もしてみました。 フサフサ 先日よりもフサフサになったかな。
怖さも桁外れ?海の向こうの心霊スポットへようこそ このブログは基本的には世界史とその周辺のテーマを取り扱っていますが、たまーにオカルトめいたことも書いています。 何でかっていうと、個人的に好きだからです。 ぼくの実家の近くの山は県内有数の心霊スポットとして有名で、ガキの頃から度胸試しみたいなことやって遊んでいました。今でもホラーが好きなのは、そうやって心霊スポットを探して遊んだ昔を思い出すからかもしれません。 さて、ホラーはどの国・地域の人も好むようで、世界中に心霊スポットが存在しますが、中でもとびきり有名で恐怖の対象となっている「呪われた町」を紹介します。 1. アル・ジャジーラ・アル・ハムラ(UAE) Photo by Alexandermcnabb 悪霊によって住民が食い殺されたペルシア湾岸の町 アル・ジャジーラ・アル・ハムラはペルシア湾岸にある歴史のある港町で、真珠採取や貿易を目的
前にもチラッと話したんですけど、日本人の絵ってどっちかというと 「明るい色に影をつける」 て塗り方する人のが多い気がするんだけど、西洋人の絵って 「暗い色に光を落とす」 て塗り方が多いんだよね…アメコミの塗り方とかほんとそれ。メイ… https://t.co/oqzLpWMFNI
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