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ブックマーク / blog.livedoor.jp/ussyassya (30)

  • その意志はホンモノか? : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    自分の幼少期の記憶を、どこまで正確に遡ることが出来るのか――と考える事がある。私は私なりに幼少期の記憶がある方だと自覚していたのですが、幼少期の記憶の中には情報からつくられてしまうものもあるらしいというので、或る時期から疑い出したんですね。 その例を説明すると――私は母方の祖父を知っているつもりであった。祖父が水道の蛇口を設置して水場をつくってくれた事を知っている。つまり、その蛇口は祖父自らが素人なりに取り付けた水場であった。その記憶に疑いは持つ事もなかったのですが、その記憶が正確な記憶だとすると3歳もしくは4歳時の記憶があった事になってしまう。なので、大人になってから「あれ、この記憶は当なのか?」となってしまったんですね。 しかし、4〜5歳の記憶になると微妙ながら少なくと5歳時として幼稚園の記憶はいくつかはハッキリとウラづけが出来ている。幼稚園のバスの車内の空気、トイレの様子、教室の様

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    fuktommy 2018/06/16
  • ゾロアスターの見た「神」の正体とは? : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    「情報伝達の中で起こる齟齬と脱線」の続きですが、現文明にも多大な影響を及ぼしているとされるゾロアスター教の話です。 丁度、先週もNHK総合の「歴史秘話ヒストリア」という番組内で往生要集が取り上げられ、日にある「極楽と地獄」が取り上げられていましたが、あの極楽と地獄、天国と地獄とがあるという死後の世界観や、或いは救世主信仰、更には「最後の日に神の審判が下される」という信仰は、ゾロアスター教を祖にしているという。古代インド哲学のリグ・ヴェーダとも多くの接点を持っている事が分かっているとされる。 アーリア人は中央アジアの黒海付近に住んでいた遊牧民であったが紀元前1500年頃にユーラシア大陸を南下してカブール渓谷を通過して紀元前1000年頃にインドに到り、既にあったインダス文明を支配したインド・アーリア人と、中央アジアからイラン高原に南下してペルシャ文明を築いたイラン・アーリア人に分かれたとされ

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    fuktommy 2017/07/01
  • 欧米はいつ世界を支配したのか〜ヨーロッパって? : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    以下、下田淳著『「棲み分け」の世界史』(NHKブックス)に沿って、諸問題を眺めていきます。 先ず【ヨーロッパ】というものの登場は、いつ、どんなものであったか? ヨーロッパをヨーロッパとして語るには、広く世界全体を認識している事が全体になりますよね。北があって、南があって、東があって、西があって、その上で、アジアやアフリカを意識して、ヨーロッパというものが格的に意識されることになる。 これは日の話でも同じですよね。「倭人」というのは中国大陸側からの呼称であり、倭に住む者を指していた。「倭」は地域名だったのでしょうか。やがて「倭国」という呼称が使用された。しかし、察するに当の倭人は自分たちの帰属国を「ヤマタイ」とか「ヤマト」と名乗っていた。或る時、何らかの理由で国号を「日」に改めたと通知した。おそらくは「日の(もと)の方角だから」という意味であり、これは「朝陽が鮮明だから」という意味合

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    fuktommy 2016/10/23
  • カタカナ新語に備える : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    オリンピック開催期間中、新たなカタカナ新語に気付かされました。 「アスリート・ファースト」 だって。 なんでカタカナにするのかって、そりゃ、カタカナにする事で新しいトレンドの概念なのだと喧伝したいからなんだろうなって思う。多分、意味合いは、選手第一主義とか要は「アスリートの皆さんを第一に優先しましょう」の意味なんだろうからね。 で、そうこうしている内に4年後の東京五輪の話題になって、「アスリート・ファースト」と掲げられ、更に、子供や高齢者には優先的に観覧させるようにしてはどうかという風に続けられる。要は、優先順が決定されているワケですね。 4年後の東京オリンピック、未来のある子供たちに何かしらの優遇措置をとって観覧しやすいようにするという提案には賛成できる。しかし、高齢者も子供と一緒にして優先すべきかという提案には賛成しかねますかね。ホントは高齢者は経済的には弱者ではなく強者だから。また、

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    fuktommy 2016/08/28
  • 発達障害を考えてしまう。 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    高畑淳子さんの息子の俳優が強姦致傷容疑で逮捕。しかも、そこそこ売れっ子だったようだと知ることとなりました。うーん、正直、印象ないんだよなぁ…。私が視聴しないタイプのバラエティ番組に出演していたって事か。 しかし、なんだか発達障害というものを直視させられてしまったような感慨も受けましたかね。インターネット掲示板で指摘されている「発達障害か何かあるのではないのか?」という意見に説得力を感じてしまっている。言動そのものから違和感を感じ取れる。個性といえば個性だけれども、何か回路が違う人じゃないかなって印象を受けるし、それを映像で確認できてしまう珍しいケースのような。 専門家が然るべき診断をして初めて病気が成立するのだ的なプロセスを余り信用していないので、実際に自分が映像を視聴して、その不思議な言動を確認できるよな、という意味です。数日前まであれこれとDVDを視聴していて、PTSDやアダルトチルド

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    fuktommy 2016/08/28
  • 菅家さん冤罪事件の情緒的な風景 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    菅家さん冤罪事件(足利事件)というのは、語ろうとすると自然と膨大な量の話になってしまうと思う。語り口が何系統にもなってしまうんですね。〝冤罪〟という部分にクローズアップして裁判システムの矛盾を語れるだろうし、また、DNA型鑑定の誤判定が明らかになった事からすれば科学主義の盲信というテーマで語ることもできる。それと、冤罪が確定してしまったが故に真犯人は現在も捕まっていないという事になり、事件そのもの、或いは、この事件の場合は連続性も疑われている事件であるから北関東連続幼女誘拐殺人事件の中の一未解決事件としての語り口もあるワケですよね。 清水潔著『殺人犯はそこにいる』(新潮文庫)のページ数が500頁。それと、もう一冊、下野新聞編集者編『冤罪 足利事件〜「らせんの真実」を追った400日』(下野新聞社)の方も400頁超でしたが、どちらも裁判に関わる内容や、DNA型鑑定に関わる内容があるので、自ずと

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    fuktommy 2016/06/23
  • 神談シリーズの感想 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    ナショジオ・チャンネル「ストーリー・オブ・ゴッド WITH モーガン・フリーマン」第五回のテーマは「悪」、そして第六回のテーマは「奇跡」でした。それなりに最前線のレポートという趣きもあるので、備忘録的に。 先ず、「悪」について――。 キリスト教で言うところの「アダムとイブの原罪」というのがありますが、番組に登場したキリスト教関係者は、モーガン・フリーマンの「原罪とは何ですか?」という問い掛けに対して、「衝動とか、欲望を指しています」※と即答で応じたシーンがありました。ヒトが生まれながらに背負っているという原罪とは、衝動や欲望を指しているのであるとしたら、これは中々、現実的な回答だなという印象を受けました。 その上での「悪」とは何かになりますが、キリスト教では悪を擬人化して「悪魔」としているという。更に、新約聖書になると「ベルゼブブ」のような名称も付けられた――と。しかし、それは「原罪」から

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    fuktommy
    fuktommy 2016/06/19
    善悪
  • その名は「解釈者」 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    右脳と左脳という具合の役割の話というのは既に周知の通りで、現在ともなると、日常会話中でも右脳だ左脳だというツッコミは溢れていると思う。大雑把には右脳が空間認識能力で、左脳が言語体系のようにして定着していると思う。 昨今、流行の脳科学の話というのは小難しいので、アレコレと捉えるのが厄介になってきたと感じているんですが、今一度、その右脳と左脳の基的な話というものについて調べていると、「むむっ、そうなのか?」という新鮮なオドロキがあったりしますかね。 で、その中でも、解釈者(インタープリター)理論なるものについて。 分離脳研究というのが1960年代があったという。脳味噌には右半球と左半球とがあって、その左右の半球を脳梁という神経の束が繋いでいるという基構造をしている。(以前にブログ内で、その脳梁の太さで男女差があると触れた記憶がありますが…) で、まぁ、右半球と左半球というのは右脳と左脳です

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    fuktommy 2016/06/17
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  • 脳の変性と「啓示」の関係について : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    菅家サンが冤罪を勝ち取った栃木県足利市に於ける幼女殺人事件の顛末というのを、清水潔著『殺人者はそこにいる』(新潮文庫)に目を通している最中。あの冤罪劇の裏側にあったドラマは膨大であり、そちらには後日、ゆっくりと触れるとして、先に、菅家さん冤罪事件に取材スタッフらを導いたという不思議な原動力(動機付け)について。 いわゆる足利事件と呼ばれる事件は、4歳の幼女がパチンコ店駐車場で行方不明となり、後日、渡良瀬川の河原で遺体が発見されたという事件でした。 しかし、連続幼女誘拐殺人事件の可能性も指摘されていた。栃木県足利市と群馬県太田市は隣接市であり、実は僅か10キロ半径で、1979年〜1996年にかけて4〜8歳の女児5名が行方不明となり、その内の4件で殺害事件、つまり遺体が発見されていたというもの。(その内、現在も行方不明になっている一件は昨日もニュースになった横山ゆかりちゃん事件。パチンコ店から

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    fuktommy 2016/06/09
  • 意外と意志はアテにならない : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    軟禁か監禁か? そんな問題を考えてしまう事がありますかねぇ。 例えば松永太による北九州一家消滅事件では、通電なる制裁措置と人質らに序列を設定して相互監視していたという。脱走を試みても成功せず、脱走がバレた場合には壮絶な制裁が加えられるというようになっていたという。事件が露見したのは、当時17歳少女が命がけの脱走を試みて成功。その17歳少女は生爪を自分で剥がすように命令され、自ら生爪を剥がすなどの仕打ちを受けていた――というのが第一報で、その後に事件の実態が明らかになってゆくに従い、とんでもないレベルの薄気味の悪い事件であった事が判明した。 角田美代子事件では美代子一味に乗っ取られている状態の被害者らが意図的に窃盗犯で捕まるなどの抵抗をしていた。この事件でも、何故、被害者になった人達は事前に救われなかったのかという疑問がありましたが、基的には松永太事件と同じで、人質らに序列をつくって相互監

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    fuktommy 2016/04/03
  • 源頼朝についてダラダラと。 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    1990年代に米『TIME』誌が、それぞれの世紀に影響を及ぼした人物を特集する中で源頼朝が取り上げられたことがあのだそうな。サラディン等と並べられていたというから、確かに日本代表は源頼朝なのかもね。で、やはり西洋でも武家社会を成立させたという部分に注目が集まるのだそうな。 よくよく考えてみると、凄い偉業なんですよね。この源頼朝という人物は謀反を起こした謀叛人であるのに、そのまま政権を樹立させている。天皇制が継続されているから、その史観を通常、我々は持たないのですが、検証してみると、ホントにそうなんですよね。平将門の謀叛も、途中から坂東八ヵ国の独立を画策し、新皇と名乗り出すが失敗している。しかし、源頼朝はといえば巧みに政治的手腕を振る舞い、天皇制を残したまま、幕府という体制の統治体制を編み出している。 日史の多くは何かの模倣であり、古代は中国の律令制度を模倣していたし、明治以降の日も見

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    fuktommy 2015/12/05
  • 水木しげる、西へ。 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    漫画家の水木しげるさんの訃報を受けてですが、まぁ、何か、そういうものです。高齢である事は周知のはなしであったから、いつかは、こんな日が来るのではないかと思っていたものではありますが…。 私が水木漫画から受けた影響は大きいという自覚がある。サンコミックス版『河童の三平』の単行は宝物のように繰り返し読んだだし、貸シリーズも全巻揃えていたし、『悪魔くん』&『がんばれ悪魔くん』も複数版で揃えているし…。世間的には『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメーションの影響が大きいのかも知れませんが、やはり、『河童の三平』と『悪魔くん』ですかねぇ。『河童の三平』については過去にも取り上げたか。『悪魔くん』はというと、救世主のはなしになっているんですよね。 『悪魔くん』はキリストを売ったユダのはなしがベースになっており、救世主として現われた精神的異能児・悪魔くんのラストシーンは、ヤモリ男の裏切りにより、暗殺されて死

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    fuktommy 2015/12/03
    "水木しげる、西へ。"
  • 平将門の時代〜その3 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    武蔵国の国守として武蔵に赴任した百済王貞連は興世王とは姻戚があったが、百済王貞連は興世王を政治から遠ざける等した為に不和となったという。行き場を失った興世王は下総国の平将門の元へ身を寄せるようになったという。 太政大臣の藤原忠平は源経基の訴えた将門謀叛の真偽を確かめるべく、武蔵密告史の派遣を決定するが派遣するよりも早く将門から二通の弁明書が届き、評議が行なわれたが将門は無罪となる。源経基は讒訴(ざんそ)した事になり禁錮に処せられている。 939年6月中旬、上総で平良兼が病没する。また、この頃に平貞盛が将門を召喚する官符を持って常陸へ帰国し、常陸介・藤原維幾(ふじわら・これちか)に渡り、維幾は将門に召喚の官符が来ていることを頻りに通告するが、将門は維幾を無視する。 同年7月15日、再び出羽に於いて俘囚反乱の知らせが届き、折からの飢饉を憂いて天台座主(天台宗トップ)の雨乞いの読経が行なわれたと

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    fuktommy 2015/08/13
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  • 平将門の時代〜その2 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    935年12月、朝廷から武蔵、安房、上総、下総、常陸の国司らに官符が届いた。官符には平良兼、源護、平貞盛、良兼の子であたる平公雅(たいらのきんまさ)、平公連(たいらのきんつら)らを平将門に追捕(ついぶ)させよ命じるものであった。事前に将門が良兼らの軍勢に朝廷の施設である官厩を焼き討ちにされたことを申し出ていた事に拠るものであった。朝廷は官位もない平将門に対しても一定以上の理解を示していた事がうかがえるという。 将門は官符に追捕の御墨付きを得て意気は上がったが、諸国の国司らは官符に従がう素振りはみせなかったという。そもそも諸国の国司に、良兼らの武装軍事帰属を取り締まれる警察力そのものが無かったものと推察できるという。 その折、将門の遣いの丈部子春丸(はせつかべ・こはるまる)を良兼は捕まえる事に成功。子春丸を取り立てて、味方に引き入れる。子春丸を案内人とし、将門の軍事拠点としていた猿島郡石井(

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    fuktommy 2015/08/10
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  • 関東史を考える〜その四 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    武蔵国造は、笠原直を含めて天穂日を祖とする物部直が8世紀前半までは続いていたかのような解釈が可能になる。しかし8世紀半ばに足立郡司家の丈部直(はせつかべのあたい)が武蔵宿禰と改姓し、国造に就任しているという。ここで登場する「丈部」(はせつかべ)は部民の意味で、且つ「直」は既に触れてきたように伝統的には屯倉を朝廷に献上している地方の有力豪族に与えられた姓である。武蔵国造家の姓は「直」で継承されているが、問題は部民・丈部の出自という事になりそう。 丈部の祖先については、まちまちで判然としないという。丈部の祖先について「新撰姓氏録」では孝昭天皇皇子・天足彦押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の孫、比古意祁豆命(ひこおけつのみこと)の後としていたり、丈部を管掌する丈部首に武内宿禰の男、紀角宿禰の後と称していたり曖昧さが目立ち、更には、阿倍を名乗る者が多く、阿倍氏と密接な関係を有していたと指

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    fuktommy 2015/08/09
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  • 関東史を考える〜その三 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    谷川健一著『隠された物部王国「日」』(情報センター出版局)では「ヒノモト」と呼ばれる勢力と、「ヤマト」と呼ばれる勢力、更に東には蝦夷の勢力圏があったという仮説で構成されている。谷川著『白鳥伝説』を再考した内容でもありましたが、確かに神武東征以前に畿内にはニギハヤヒやナガスネヒコらが既に統治していたが、つまり、神武以前にも畿内に統治体制なり統治者があった事を意味しているんですよね。それを谷川は「物部王朝」と呼んだ。 【モノノベ】の解釈が広範すぎて混乱させられてしまうのですが、今一度、可能な範囲で整理すると、いわゆる物部氏には「氏族としての物部氏」があり、また、それとは別に部民(べみん)として「物部」を名乗った人々があり、そこに混乱させられる。日史で多用される「物部守屋」は物部氏族の総家の物部氏であり、カバネとして「大連(おおむらじ)」が付けられている。その物部氏に対して、地方行政官とし

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    fuktommy 2015/08/09
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  • 関東史を考える〜その五 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    中大兄皇子と中臣鎌足らが、朝廷では絶大な権力を誇っていたとされる蘇我入鹿を暗殺し、政治改革が起こる。大化改新では、中華王朝である隋や唐の国制を模した律令国家の建設が目指されたという。乙巳の変から僅か二ヶ月後には東国に国司が派遣された。この場合の【国司】という役職名は「日書紀」の編者が編集する為に官名として当て嵌めた言葉らしく、国司が置かれた側の「常陸国風土記」に於ける国司とは即ち【総領】であり、実際の役職名も【総領】であったものと考えられるという。 また、この場合の「東国」とは、東海及び東山道一帯を示していたという。 具体的に武蔵地方が、どの国司・総領の管理下にあったのか不明ながら、武蔵国については東山道に所属し、且つ、上野国と接していた事からして、毛野と一緒の地域であった可能性が考えられ、その国司・総領としては長官に紀臣麻利耆拕(きのおみ・まりきた)、次官が二名あり、三輪君大口(みわの

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    fuktommy 2015/08/09
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  • 関東史を考える〜その二 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    さきたま古墳群の中の稲荷山古墳から出土したオワケ(乎獲居)の銘鉄剣が現存する。乎獲居という人物が鉄剣に文章を銘していたワケですが、ワカタケル(獲加多支鹵)の杖刀人(じょうとうにん/親衛隊長なり護衛長のような意味)として仕えていたという。そして、乎獲居はオオヒコ(大彦・意富比垝)を祖とする八代の系譜を刻んでいた。銘が刻まれたのは辛亥年7月であり、西暦に換算すると471年となる。 (ワカタケルが雄略天皇であることは確定的であり、且つ、雄略天皇を「倭王武」という事もコンセンサスが出来上がっている。そのワカタケルの杖刀人が乎獲居。) 以前にも触れていて、乎獲居臣(おわけのおみ)は畿内の有力者が古代の埼玉県行田市にまでやって来たものなのか、それとも古代北武蔵の出身の有力豪族であったのか。これについては明確な方向性は打ち出せないものの、古墳ガイドに目を通していたら、その実、有力なのは乎獲居は武蔵豪族で

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    fuktommy 2015/08/06
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  • 関東史を考える〜その一 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    「魏志倭人伝」に記されている女王国(邪馬台国)に従属しているしている国名というのがありましたよね。 斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴里国、支惟国、烏奴国、◇奴国 似た音を持つ地名を当て嵌めることに意味はないとされているが、「おや?」と思う当て嵌めは出来てしまうものでもあるという。たとえば【斯馬国】とは【しま】という音であるが、大和盆地に隣接している【志摩】(三重県地方)の意味ではないのか、更には【弥奴国】は【みぬ】という音であるが【美濃】(岐阜県地方)にあたる。更に【鬼国】の音は【き】となりますが、これは『常陸国風土記』に拠れば筑波県の古い名称は「紀国」に当たるといい、その鬼国の次には【鬼奴国】が配置されており、その音は【きぬ】になるワケですが、現在の群馬県と栃木県地方は「毛野」であり、

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    fuktommy 2015/08/06
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  • モサコの記憶 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    子供というのは残酷な生き物で、小学生の頃の回想の中には不可思議な記憶が含まれていると思う。私の場合は「モサコ」という一人の女児の記憶でした。年月が怖ろしく経過しているので、「女児」なんて言っているけれど私よりも3学年上でした。で、全校生徒が彼女のことを「モサコ」と呼び捨てにしていた。 入学したばかりの小学1年生でも彼女を見つければ、 「うわ、モサコだ。えんがちょ」 という具合。もう、そういうのが日常。 からかいというか、冷やかしというべきか、壮絶でしたねぇ。センセイ方は勿論、そんな事はないのだけれど、全校生徒がそんな感じ。全校集会だとか一斉下校だとか、モサコを見つければ、何かと騒ぎになるのが常態化していた感じ。 何故、あれほどアカラサマな差別が蔓延していたのか分かりませんが、とにかくホントにそういう状況だったんです。 思えば上級生たちが下級生たちに伝達していたのだったかな。 「ほら、あそこ

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    fuktommy 2015/07/20
    "モサコの記憶" -