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台湾と歴史に関するfutenrojinのブックマーク (2)

  • 沖縄戦没者の“遺骨の声”が聞こえる─台湾有事で沖縄はまた「捨て駒」にされるのか | 遺骨収集人・具志堅隆松の闘い

    ガマを掘る人「ガマフヤー」 具志堅隆松は、じめじめとしたガマ(洞窟)の中でしゃがみ込んだ。そばには、土埃でくすんだ色をした遺骨が積み重なっている。ルビー色のフレームに細長いレンズのメガネを鼻先に引っかけたその姿は、まるで宝石を鑑定しているようだ。 彼は縁の欠けた三日月形の骨を取り、荒れた手でそっと撫でた。大腿骨と脛骨の間にある半月板で、大きさから察するに、子供のものだろうと話す。 遺品も出てきた。ヤゴという名前の人の櫛、時計の文字盤、ボタン、歯ブラシ、錆びついた手榴弾のキャップ……。洞窟のすぐ外には、細かく張りめぐらされたクモの巣がかかっている。

    沖縄戦没者の“遺骨の声”が聞こえる─台湾有事で沖縄はまた「捨て駒」にされるのか | 遺骨収集人・具志堅隆松の闘い
  • 日本によって作られた数多の防空壕を「文化的オアシス」に変えた台湾の街 | そこは「生の空間であり、死の空間でもある」

    防空壕と地下道のラビリンス 台湾北部の山に囲まれた港湾都市、基隆(キールン)。ここを訪れる人々は当然、シー・フイフゥアの朝屋の後ろにある白い壁をただの壁だと思うだろう。唯一、壁にいくつかある空気穴だけが、反対側に何かあるのかもしれないことを予見させる。 「これは防空壕です」と、朝の混雑を待ち構えるシー(53)は言う。「ここは生の空間であり、死の空間でもあります」 基隆が最初に外国から攻撃を受けたのは、1642年にオランダが攻めてきたときだった。シーがいる通りも、基隆の他の通りも、その景観は防御のために形作られている。 家々の台所は地下通路に繋がり、それは砂岩の防空壕へと通じている。路地の突き当たりにある錆びた門は、戦争の記憶や、ときにはゴミやコウモリでいっぱいの、いまにも飲み込まれそうな暗い空間に通じていたり、祭壇やレストランの離れに繋がっていたりする。 人口36万人のこの街には、700

    日本によって作られた数多の防空壕を「文化的オアシス」に変えた台湾の街 | そこは「生の空間であり、死の空間でもある」
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