「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という慣用句があります。原文は『三国志演義』が出典で、呉(ご)の武将(ぶしょう)呂蒙(りょもう)の故事から出ています。 こんな逸話(いつわ)です。 呂蒙という人は、呉王(ごおう)孫権(そんけん)に度々重んじられてきましたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会もなかったこともあり、武力一辺倒で学問に全く興味のない人でした。そのため、書類なども自分が話した内容を聞き取らせて、部下に作成してもらっていたそうです。そんな呂蒙の学識のなさを笑って、人々は、「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」とからかっていたのです。「阿蒙」というのは、今で言う「蒙ちゃん」といったニュアンスで、さげすんだ言い方ではなく、親しみを込めて、「おばかな蒙ちゃん」的な感じでからかっていました。 そんないつまでも「阿蒙」のままでいる呂蒙を見かねた呉王孫権は呂蒙に学問を勧めましたが、はじ