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村上春樹に関するgarakのブックマーク (8)

  • ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性 - 内田樹の研究室

    午から取材。BPという雑誌の村上春樹特集。 村上作品はどうして世界的なポピュラリティを獲得したのか、という問いに対して、「ご飯とお掃除」について書かれているからであろうとお答えする。 世界中、言語や信教や生活習慣がどれほど違っていても、人々は「ご飯を作り、掃除をする」ということにおいて変わらない。 いずれも人間にとって質的な営みである。 「ご飯を作る」というのは、原理的には「ありもの」を使って、そこから最大限の快楽を引き出すということである。 金にものを言わせて山海の珍味を集め、腕のいいシェフに命じて美を誂えさせるというのは「ご飯を作る」という営みの対極にある。 「ご飯を作る」というのは、人類史始まって以来のデフォルトである「飢餓ベース・困窮ベース」に基づいた営みである。 その基は「ありものを残さず使う」、もっと平たく言えば「えるものは何でもう」である。 村上春樹作品には「ご飯を

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    garak 2009/06/26
    橋本治氏いわく<「現場に入ったら、まずゴミを拾いなさい」と即答された。 「プロデューサーの仕事はゴミを拾うことです。全部が見えている人間にしかゴミは拾えないのだから」> しびれるなあ。
  • asahi.com(朝日新聞社):関西学院大学時計台など116建造物 登録有形文化財に - 社会

    北海道立根釧農業試験場農具庫=文化庁提供関西学院大学時計台(旧図書館)=文化庁提供真宗大谷派四日市別院堂=文化庁提供白川小学校校舎=文化庁提供  文化審議会(西原鈴子会長)は19日、北海道立根釧(こんせん)農業試験場農具庫(北海道中標津町)、関西学院大学時計台(旧図書館、兵庫県西宮市)など、46カ所116件の建造物を、登録有形文化財として登録するよう塩谷文部科学相に答申した。  北海道立根釧農業試験場の前身の旧北海道農事試験場根室支場は1927年に設置された。農具庫は、赤い切り屋根の中央に塔屋風の明かり取りを乗せた特徴的な外観を持つ。  29年に建てられた関西学院大学時計台は、明治から昭和にかけて日で活躍した米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表作の一つ。赤い瓦とクリーム色の壁が鮮やかな対比をみせる。  そのほかの主な登録は次の通り。  三条市歴史民俗産業資料館(旧武徳殿、

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    garak 2009/06/19
    <29年に建てられた関西学院大学時計台は、明治から昭和にかけて日本で活躍した米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表作の一つ。> −−芝生の刈り方が気に入らなかったんだ。
  • asahi.com(朝日新聞社):1Q84 BOOK 1・2 [著]村上春樹 - 書評 - BOOK

    1Q84 BOOK 1・2 [著]村上春樹[掲載]2009年6月7日[評者]鴻巣友季子(翻訳家)■「根源悪」を追究 何かが変わった なにか吹っ切れた感じがする。あのとき感じた「意志」は実践されたのだ――7年ぶりの新作長編を読みだしてすぐにそう思った。前作の中編『アフターダーク』には、深い森から踏みだす決意のような、飛び立つ直前の構えにも似た気配が漂っていた。『1Q84』には、新しい村上春樹がいる。読者は「何かが変わった」と感じるだろう。その一方、やはり村上ワールドは不変とも思うだろう。 オウム真理教の問題に向きあい、90年代に2冊のノンフィクションを書いた作者が、事件から14年を経てカルト教団を素材に小説を発表した。舞台はイラン・イラク戦争が続くバブル以前の1984年。予備校講師をしながら小説家を目指す「天吾」と、スポーツジムに勤めながら非道な男たちの殺しを請け負う女性「青豆」2人の視点で

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    garak 2009/06/11
    <一人称にほぼ変換可能な三人称一視点の並置><変わったのは大方、人称だけで視点ではない><書かれた物語と書かれなかった物語が同じぐらい豊潤に含まれている。読み手の中でいつまでも「書き直して」いける作品>
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…

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    garak 2009/06/11
    この二人が、こうして一つの文脈で語られるのは意外に少なかったかも。(私の“本&レコード棚”には平然と隣合わせに並んでるが)<彼らのファンは別にセンスエリートではなくて、むしろサイレントマジョリティ>
  • エルサレム賞スピーチ、再び。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2009.03.22 エルサレム賞スピーチ、再び。 (6) カテゴリ:ヒラカワの日常 いま書いているの校正が、ほぼ終了した。 いくつかのトピックは、全面的に書き換えたり、 あるいは、まったく別のものと入れ替えたりした。 一冊の図書においては、<流れ>が重要であると考えて、 惜しいものもあったが、敢えて削除したのである。 削除したものの中に、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチに 関する文章もあった。 以前、ブログで書いたものと重複する部分が多いが、 書き足したところもある。 それをここで公表しておくことにしたいと思う。 政治的な現在、文学的な立ち位置 さて、村上春樹についての文章で書を締めくくろうとしていたとき、その村上春樹がエルサレム賞を受賞との報があった(二〇〇九年二月十五日)。このエルサレム賞受賞に関しては、賛否両論があった。イスラエルによるガザ攻撃の直後ということもあり、かれがど

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    garak 2009/03/24
    <政治的であること> <同時に経済的であること> <人間は誰もそれらから自由にはなれない。しかしそうであるがゆえに、政治的な力学関係や経済合理主義的な思想に回収されることのない「個の思想」の立ち位置を>
  • 壁と卵(つづき) - 内田樹の研究室

    村上春樹のエルサレム・スピーチについて二件の電話取材を受けたと書いた。 電話取材というのはむずかしい。 30分ほどしゃべったことを5行くらいにまとめられているコメントの場合には、「言いたいこと」が活字になっているということはほとんどない。 私が「言いたいこと」というよりは記者が「理解できたこと」が書いてある。 場合によっては記者が「言いたいこと」が私の名前で書いてあるということもある。 たぶん読む方もそれくらいに割り引いて読んでくれるだろうから、あまり硬いことは言わないつもりである。 それでも、わずかな字数では意を尽くせないことがある。 私がそのとき言いたかったことをここに書きとめておきたい。 それは「壁」というメタファーについてである。 もっとも一般的な解釈は「壁」を政治的な暴力装置、「卵」をその犠牲者と見立てることである。 もちろん、村上春樹自身もその解釈を否定しているわけではない。

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    garak 2009/02/21
    そう、ほんとうに村上春樹が父親について話すことは、きわめて稀なこと。何度も何度も、繰り返し読めば読むほど、あのスピーチのテキストの重要性が沁みてくる。極東の一市民としても、村上作品の一読者としても。
  • 壁と卵 - 内田樹の研究室

    村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチが公開されている。 非常にクリスプで、ユーモラスで、そして反骨の気合の入ったよいスピーチである。 「それでも私は最終的に熟慮の末、ここに来ることを決意しました。気持ちが固まった理由の一つは、あまりに多くの人が止めたほうがいいと私に忠告したからです。他の多くの小説家たちと同じように、私もまたやりなさいといわれたことのちょうど反対のことがしたくなるのです。私は遠く距離を保っていることよりも、ここに来ることを選びました。自分の眼で見ることを選びました。」 そして、たいへん印象的な「壁と卵」の比喩に続く。 Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how r

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    garak 2009/02/19
    <卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方><弱さは文学だけが扱うことのできる主題> 付け加えるならロック・ミュージックもまた弱さを扱える器のはず(本来は)。L.Reed,B.Springsteen,清志郎,Joy Division,Radiohead...
  • 村上春樹のスピーチ。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2009.02.18 村上春樹のスピーチ。 (53) カテゴリ:ヒラカワの日常 村上春樹のエルサレム賞受賞に関しては、賛否両論があった。たとえば大阪の「パレスチナの平和を考える会」は、かれに受賞を辞退するよう求めていた。 賞を辞退すべしの論拠は、この賞をスポンサーしているのがエルサレム市であり、エルサレム市長から賞が手渡されるその式典に村上春樹が出席することは、イスラエルによるガザ虐殺の犯罪性を隠蔽することに加担することになるというものであった。 勿論、村上春樹の小説や、洩れ聞こえてくるかれの言動から、かれがガザ虐殺(こう呼ぶべきものだとおもう)のような行為に対して同意を与えてはいないということは明らかである。だからこそ、市民運動の立場から見れば、その村上さんが、無辜の犠牲者の敵が贈る賞を嬉々として受け容れるべきではないということになる。 この賞が「社会における個人の自由」を標榜しており、

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    garak
    garak 2009/02/19
    <小説家の仕事とは、この中途半端さに耐えながら、敵の中に届いていく言葉を探すこと> 実にいいことを云う。春樹さんも克美さんも。
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