日本映画屈指の名作といわれる『無法松の一生』(1943)の4K修復版が、第77回ベネチア国際映画祭のクラシック部門に選出され、8月31日にイタリア・ボローニャで上映された。明治時代の九州・小倉を舞台に、破天荒な人力車夫と、急死した陸軍大尉の未亡人やその息子との交流を描いたこの作品。日本映画の基盤を作った一人とされる稲垣浩がメガホンをとり、日本映画界を代表するカメラマン・宮川一夫が撮影した。しかし戦中・戦後に2度の検閲を受けるなど、作品が歩んだ道のりは決して順風満帆ではなかった。そんな名画の修復作業に奔走したのが、宮川の助手を30年以上務めた、宮島正弘さん(78)だ。「死ぬまでにこれだけはやりたい」。コロナ禍のなかで、宮島さんはなぜ修復に乗り出したのか。蘇った作品は、戦後75年を迎えた私たちに何を伝えるのだろうか。 ■「修復したら死んでもいい」宮川の撮影作品に魅せられた宮島さんの原点 「コロ
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