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映画とメディアに関するgauquiのブックマーク (2)

  • 九州帝國ブログ板:映画『ムカデ人間』の愚劣さ

    2011年07月12日 映画『ムカデ人間』の愚劣さ (注意:この記事には映画『ムカデ人間』に関する、いわゆる「ネタバレ」が含まれます。) 私たちは氾濫する無数の言葉に取り囲まれている。その言葉は、現実の似姿としての「情報」というかたちで流通しており、私たちは「情報」を与えられれば与えられるほど、出来事を見る力や聴く力、それを名づける力を奪われている。ネット上で更新された情報を配信する仕組みのことを「フィード」というが、「フィード」というのは動物に餌をやることだ。私たちは大量で色とりどりの糞のような餌ばかり与えられているあいだに、自分で獲物を狩ってう力を奪われている。 そんな問題を考えるために「3・11」などという符牒を持ち出さなくてもよいのかもしれないが、電力会社の虚偽情報に翻弄され、マスコミにリークされた情報に浮き足だち、自分たちが何ら関与できない回路のなかで政治家の下した決定が、また

  • 「ハリウッド映画」と「ハリウッド映画みたい」の間(I)/北野圭介

    「ハリウッド映画みたい」という言葉が氾濫した。だが、これは、映画研究の片隅にいるものにとって、どうにも腑に落ちない物言いであったととりあえずはいわざるをえない。いやというほど垂れ流されたWTCの爆撃映像は、ハリウッド映画をかたちづくる基的な映像文法とはほど遠いものであったからだ。望遠レンズでの撮影、固定したカメラ、長いロングテイクで、編集(カット)の全くない映像、それらはむしろ単純素朴に非ハリウッド映画的な映像というべきではないのかという疑念が目から離れなかったのである。 だから、「ハリウッド映画みたい」という印象を素朴に信望して、これまた素朴なアインデンティ・ポリティックスと結びつけ、CNNの偏った映像報道にしかすぎないと言った社会学者のコメントをみても、あるいはまた、「ハリウッド映画みたい」という表現に過剰に感情的に反応して、映画は代理体験に過ぎないだの、ハリウッド映画の物語想像力に

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