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ブックマーク / www.kojinkaratani.com (39)

  • 田中純【都市の探偵たち ――東京論の困難をめぐって――】

    東京が近代的大都市の相貌を備え始めた時期は、推理小説に登場する探偵の視線の誕生と一致する。江戸川乱歩が推理作家としての活動を開始したのは1920年代初頭であり、とくに関東大震災直後には、東京を舞台にいわば都市それ自体の探偵的調査行為として、今和次郎らによる考現学が生まれている。都市空間と推理小説を結びつけるこのようなパラダイムはすでにヴァルター・ベンヤミンなどによって提起されている。ベンヤミンはさらに、ウジェーヌ・アジェの人けのないパリの街路を撮影した写真を取り上げ、都市空間を犯罪現場と見なし、そこに犯罪の痕跡を読み取ることこそ、写真を「歴史のプロセスの証拠物件」*[1] として活用することだと指摘した。ここにあるものもまた一種の探偵の視線である。もとよりそれは写真が文字通りに犯罪行為の痕跡を記録しているからではない。そのような痕跡が拭い去られたかのように街がアジェの写真のなかで空っぽにな

  • 丸山真男とアソシエーショニズム (2006) - 柄谷行人

    1960年代以来、丸山真男といえば、西洋に比べて日の前近代性を批判する知識人、つまり、近代主義者という否定的なイメージができあがっていた。私もその通念から自由ではなかった。初めて丸山について真剣に考えるようになったのは、1984年ごろである。それは日でポストモダニズムの現象が注目を浴びた時期である。それは先ず、「現代思想ブーム」というかたちであらわれた。私自身がその代表者の一人と目されていたが、私はそれをはなはだ不意に感じた。私はそれまで「近代批判」の仕事をしてきたが、それとこのようなポストモダニズムとはまるで違うものだったからである。 このとき、私はそれまで取り組んできた仕事がまちがいではないが、どこか的が外れていると感じた。私が考えていた「近代批判」はつきつめると、自発的な主体(主観)に対する批判ということになる。各人は自発的な意志をもつと思っているが、それは「他人の欲望」によっ

  • イスラームから見た「世界史」  - 柄谷行人

    欧州・日、中心史観を相対化  日人がもつ「世界史」の観念は、基的にヨーロッパ中心である。むろん、日人はそれだけでなく、東アジアから世界史を見る視点ももっている。しかし、その間にある西アジアに関しては、無知も同然である。西アジアはある時期からイスラム圏であり、それはアラビアやアフリカからインド、インドネシアなどに及ぶ。2001年9・11以来、このイスラム圏が突然、大きく浮上してきた。ところが、われわれにはまるで見当がつかない。その政治社会についても、宗教についても、皮相的で紋切り型の知識しかない。しかし、それを補うためにたくさんのを読んでも、いよいよ不鮮明になるばかりだ。  書は、イスラム圏の内部でふつうに考えられている「世界史」を書いたものだ。これを読むと、この世界を外から観察するのではなく、その内部で生きてきたかのように感じる。そして、イスラム圏の人々が他の世界をどう見てきた

  • 近代日本の中国認識―徳川期儒学から東亜協同体論まで - 柄谷行人

  • 日本精神分析再考(講演)(2008) - 柄谷行人

    今日、私が「日ラカン協会」に招かれたのは、かつて「日精神分析」という論文の中でラカンに言及したからだと思います。そこで私は、ラカンが日について、特に、漢字の訓読みの問題について述べたことを引用しました。今日、それについて話すつもりなのですが、その前に少し経緯を説明させていただきます。「日精神分析」という論文は一九九一年頃に書いたもので、「柄谷行人集第4巻」(岩波書店)に収録されています。これは『日精神分析』(講談社学術文庫)と題するとは別のものです。後者は2002年に書いたもので、この時点では、前に書いたものに嫌気がさした、というようなことを述べています。かつて「日精神分析」を書いたとき、自分は日人論、日文化論を否定するつもりで書いたけど、結局その中に入るものでしかなかった、と。実際、それ以後、私は「日論」について一切書いていません。だから、現在の気分としては、読み返す

    gauqui
    gauqui 2011/09/14
    08年の講演がアップされてた
  • ゴダール『愛の世紀 Eloge de l'amour』-United Statesに抗して/王寺賢太

  • 王寺賢太【ジャック-アラン・ミレールの「啓蒙」】

  • 浅田彰【音楽・政治・哲学――ノーノをめぐって】

    ここ秋吉台では、音楽監督の細川俊夫を中心に、内外のすぐれた音楽家の参加を得て、きわめて充実した活動が積み重ねられてきました。そして、10年目にあたる今年(1998年)は、磯崎新による国際芸術村の見事な建物ができあがり、そのユニークなホールでルイジ・ノーノのオペラ《プロメテオ》の日初演が実現されるはこびとなったわけです。そもそもこのホールは《プロメテオ》を念頭に置いて設計されたのですから、これほど贅沢なことはないと言うべきでしょう。並々ならぬ努力によってここまで漕ぎ着けられた細川俊夫をはじめとする関係者の皆さんに、深い敬意を表したいと思います。 この歴史的な機会に、ノーノの歩みをもういちどざっと振り返ってみたい。とはいえ、私は音楽の専門家ではないので、むしろノーノをとりまく状況をできるだけ広く展望することにし、ノーノの音楽については作品そのものに語らせることにしたいと思います。 ノーノは、

  • 王寺賢太【余暇と哲学】

  • いま、憲法は「時代遅れ」か―〈主権〉と〈人権〉のための弁明(アポロギア)  - 柄谷行人

    「国家権力縛る」基は今日的 書はつぎのエピソードから始まっている。伊藤博文は明治の憲法制定に関する会議で、「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と発言した。この事実を、著者が法律関係者の多い聴衆に話したとき、衝撃をもって受けとめられた、という。 立憲主義の基は、憲法は、国民が国家権力を縛るものだという考えにある。それは、別の観点からいうと、国家は性的に、専制的であり侵略的であるという認識にもとづいている。だから、憲法によって国家を縛らなければならない。明治時代に日帝国を設計した政治家にとっても、それは自明であった。しかし、今や、法律関係者の間でさえ、この基が忘れられている。 たとえば、憲法9条にかんする議論がそうである。改憲論者はもっぱら国家の権利を論じる。そして、日の憲法は異常だという。しかし、9条の趣旨は、伊藤博文の言葉で

  • 岡崎乾二郎【「パウル・クレーの芸術」展】

    gauqui
    gauqui 2011/07/07
    93年の
  • 反原発デモが日本を変える - 柄谷行人

    3月11日の東日大震災から、この6月11日で3か月が経過する。震災直後に起こった福島第一原発の事故を契機に、日国内のみならず、海外でも「反原発・脱原発デモ」が相次いでいる。東京においても、4月10日の高円寺デモ、24日の代々木公園のパレードと芝公園デモ、5月7日の渋谷区役所~表参道デモとつづき、6月11日には、全国で大規模なデモが行なわれた。作家や評論家など知識人の参加者も目立つ。批評家の柄谷行人氏は、六〇年安保闘争時のデモ以来、芝公園のデモに、およそ50年ぶりに参加した。今後、この動きは、どのような方向に向かい、果たして原発廃棄は実現可能なのか。柄谷氏は、6月21日刊行の『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』(内橋克人編、岩波新書)にも、「原発震災と日」を寄稿している。柄谷氏に、お話をうかがった。(編集部) *  *  * 【柄谷】最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり

  • ジェイコブズ対モーゼス―ニューヨーク都市計画をめぐる闘い - 柄谷行人

    住民運動が阻んだ巨大プロジェクト 書は、一口でいうと、1950年代から60年代にかけて、モーゼスという人物が強引に推進したニューヨークの再開発を、ジェイコブズという主婦が阻止した事件をあつかっている。モーゼスが推進したのは、衰退していた19世紀的な都市を再生するプロジェクトである。それは多様なものが混在していた都市を、商業区や住宅区に分け、それらを高速道路網でつなぐ現代都市のプランニングである。これは、ル・コルビュジエの「輝く都市」に示されたモダニズムの都市理論にもとづくものだ。 モーゼスは40年代から、歴代の州や市の政府の下で、一貫してこの計画を進め、ニューヨークの風景を一変させてしまった。彼はそれを実現するために、住民に対する買収、反対者への脅迫、メディアによる宣伝を徹底的におこなった。誰も容易に反対することができない体制を創りだしたのである。その結果、モーゼスは「マスター・ビルダー

  • 温暖化と原子力発電 (2008) - 柄谷行人

    福岡伸一:30年近く前になりますが、柄谷さんは生物学者の日高敏隆さんとの対談の中で、生物学者のナイーブさや素朴さを笑われました。その状況は今もほとんど変わっていません。生物学者は生物をテクノロジーの対象としてとらえ、機械論的に考えて操作できるという幻想を依然として追い求めています。 また、生命現象において、二つ以上の出来事の間に原因や結果としての結びつきがあるという「因果性」が当時ほど明確ではなくなってきているということもあります。 たとえば同じ遺伝子のセットを使って生命を操作しても同じ結果が現れるとは限らない。再生医学の切り札として注目を集めている胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞(IPS細胞)などの万能細胞も、われわれがコントロールできるかどうかわからない。

    gauqui
    gauqui 2011/04/04
    公式サイト 2008/4/7の文章
  • 世界史のなかの中国―文革・琉球・チベット  - 柄谷行人

  • 災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか - 柄谷行人

    相互扶助の出現、無法状態でなく 大災害が起きると、秩序の不在によって暴動、略奪、レイプなどが生じるという見方が一般にある。しかし、実際には、災害のあと、被害者の間にすぐに相互扶助的な共同体が形成される。著者はその例を、サンフランシスコ大地震(1906年)をはじめとする幾つかの災害ケースに見いだしている。これは主観的な印象ではない。災害学者チャールズ・フリッツが立証したことであり、専門家の間では承認されている。にもかかわらず、国家の災害対策やメディアの関係者はこれを無視する。各種のパニック映画は今も、災害が恐るべき無法状態を生み出すという通念をくりかえし強化している。 むしろこのような通念こそが災害による被害を倍加している。サンフランシスコ大地震でも、死者のかなりの部分は、暴動を恐れた軍や警察の介入による火災や取り締まりによってもたらされた。同じことがハリケーンによるニューオーリンズの洪水に

    gauqui
    gauqui 2011/04/04
    記事アップが遅すぎる
  • Web Critique - セザンヌと村上隆とを同時に観ること/古谷利裕

    村上隆の「DOB」シリーズの最も完成度の高い作品、例えば2001年に制作された『Melting DOB D』や『Melting DOB E』といった作品を観た時に、セザンヌやマティス、あるいはゴーキーやポロックといった画家の作品と共通する「感覚」を感じないとしたら、その人は絵画を「形式的」に観る能力に欠けているのだと思う。村上氏がそのことをどこまで意識しているのかは知らないが、これらの作品はたんにパロディとか観照とかを超えて「近代絵画」的に相当高度な作品だと思う。 このことを分り易く説明する時に有効なのが、コーリン・ロウによる「虚の透明性」と言う概念だろう。透明性とは《二つまたはそれ以上の像が重なり合い共通部分をゆずらないと、 見る人は隠れた部分の視覚上の存在を仮定せざるをえない。 このとき像に透明性が付与され、 像は互いに視覚上の矛盾や断絶なく相互貫入する》(ジョージ・ケベシュ)というこ

  • 古代ローマ人の24時間―よみがえる帝都ローマの民衆生活 - 柄谷行人

    ■一日を再現、積年の疑問解けた 書は、古代ローマ最盛期の社会を、一人の人物(語り手)の一日の経験として描くものだ。もちろん、フィクションであるが、細部に関しては最新の史料にもとづいている。私は古代ローマの政治や経済について多少勉強したが、具体的な姿はわからなかった。せいぜい小説映画から得たイメージしかない。また、それに関して疑問に思っていたことがたくさんある。たとえば、なぜ彼らはいつも公衆浴場にいるのか、誰が奴隷かどうしてわかるのか、というような。 ローマは最盛期に人口150万人といわれるが、狭い土地にどうしてそんなに人が住めたのか? 高層の集合住宅が林立したのである。そのために投機的で悪質な開発業者が横行した。家賃が払えないと野宿者になる。その意味で、現代の都市と似ている。だが、最大の違いは、水道や電気がないということだ。炊事場・風呂・便所はたかだか2階までしかできない。富裕者は下の

  • 仏教と西洋の出会い - 柄谷行人

    ■チベットへの憧れ、「鏡」としての歴史 書は、仏教が西洋においていかに受容されてきたかを古代・中世から包括的に考察するものである。その場合著者は、西洋人は仏教の理解を通して、実際は、自らの問題を表現してきただけだ、という見方を一貫して保持している。たとえば、ヨーロッパ近世の宗教論争においては、仏教に似ているという理由で他派を批判したり、その一方で、カトリック教会はラマ教(チベット仏教)に開放と寛容の態度を見出(いだ)し、それがカトリックに類似すると考えたりした。また、18世紀の啓蒙(けいもう)主義者は、カトリック教会を攻撃するために、仏教の合理性を称賛した。つぎに、ロマン派は啓蒙主義を攻撃するために、仏教を称賛した。さらに、ショーペンハウエルは、生を苦とみなす自分の考えが仏教と合致すると考えた。その結果、仏教は、彼のいう「仏教厭世(えんせい)主義」と同一視されるようになった。 以上のよう

  • 黄金の夢の歌 - 柄谷行人