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「ハリウッド映画」と「ハリウッド映画みたい」の間(I)/北野圭介
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「ハリウッド映画」と「ハリウッド映画みたい」の間(I)/北野圭介
「ハリウッド映画みたい」という言葉が氾濫した。だが、これは、映画研究の片隅にいるものにとって、ど... 「ハリウッド映画みたい」という言葉が氾濫した。だが、これは、映画研究の片隅にいるものにとって、どうにも腑に落ちない物言いであったととりあえずはいわざるをえない。いやというほど垂れ流されたWTCの爆撃映像は、ハリウッド映画をかたちづくる基本的な映像文法とはほど遠いものであったからだ。望遠レンズでの撮影、固定したカメラ、長いロングテイクで、編集(カット)の全くない映像、それらはむしろ単純素朴に非ハリウッド映画的な映像というべきではないのかという疑念が目から離れなかったのである。 だから、「ハリウッド映画みたい」という印象を素朴に信望して、これまた素朴なアインデンティ・ポリティックスと結びつけ、CNNの偏った映像報道にしかすぎないと言った社会学者のコメントをみても、あるいはまた、「ハリウッド映画みたい」という表現に過剰に感情的に反応して、映画は代理体験に過ぎないだの、ハリウッド映画の物語想像力に