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ブックマーク / yoshim.cocolog-nifty.com (13)

  • 夏休み雑談@人生を変えた6枚   - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    ひな鳥は卵から生まれて最初に見た「動く物」を(それが何であれ)「親」と認識するらしい。これをインプリンティング(刷り込み)と言うそうだが、音楽も似たような処がある。おそらく物心ついて最初に出会った音楽が(それが何であれ)その人の音楽の基盤となり、一生ついて回る。 私の音楽との最初の出会いは1960年代後半、そして作曲家として活動し始めたのが70年代後半。雛鳥の期間はこの1960年代後半から70年代前半の間で、この間に刷り込まれた(聴いた)音楽が私の音楽の「親」ということになる。厳密に言うと1967年から74年までの7年間なのだが、この時代、公平に見てもかなり音楽的に面白い時代だったという気がする。 1960年代は、戦後の混乱が落ち着いて色々な新興勢力が雨後の筍の如く出てきた時代。古き伝統や旧世代が戦争で淘汰され、人類史上初〜新しい世代による「やりたい放題の時代」が訪れたと言える。 クラシッ

    夏休み雑談@人生を変えた6枚   - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • 音感よもやま話 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    独学で作曲の勉強を始めた高校生の頃、父親に「音楽の才能があるかどうか専門家に見て貰おう」と言われて、とあるプロの音楽家の処に連れて行かれたことがある。 家を訪問すると、グランドピアノが置いてある部屋に通され、「この音何の音?」といきなりピアノの音をひとつポーンと鳴らされた。「B♭」と私が答えると、「残念。Aだよ。うーん、どうやら絶対音感はないみたいだね」と言われてしまった。 そして、「まあ、とにかく音楽大学を目指すか、あるいは音楽趣味でやるか、よく考えて結論を出しなさい」という(まあ、私も友人の息子に「音楽の才能があるか鑑定してくれ」と言われたら、そう答えるしかないだろうという)真っ当な助言をいただいた。 とは言え、もともと音楽の「才能」に目覚めたわけでもないし、音楽大学にも「絶対音感」にも興味はまったくなく、助言はそのまま右の耳から左の耳に抜けてしまった。 ただ、「音」の件だけは気にな

    音感よもやま話 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • 大河ドラマ「平清盛」音楽制作メモ - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    今年(2012年)のNHK大河ドラマ「平清盛」の音楽を一年間担当することになった。1月8日(日)が第一回放送。12月まで全50回の長丁場である。 NHKの大河ドラマは個人的に1963年の第一作(花の生涯)からリアルタイムで見ている。当時はまだ小学生で、64年の「赤穂浪士」、65年の「太閤記」の頃まではまだ白黒テレビの時代。1969年「天と地と」(音楽:冨田勲)からカラーになり、以後、毎年ほぼかかさず見るようになった。 もともと戦国武将が出て来るような歴史ドラマが好きだったこともあるが、60〜70年代は、芥川也寸志(赤穂浪士:1964)、武満徹(源義経:1966)、三善晃(春の坂道:1971)、林光(国盗り物語:1973)、山直純(風と雲と虹と:1976)といったクラシックの錚々たる作曲家たちが音楽を担当していたのが大きい。 なにしろオープニングのテーマ曲はNHK交響楽団が演奏し、タイトル

    大河ドラマ「平清盛」音楽制作メモ - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • オペラの悪役考 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    ドラマの世界には「悪役」というのが必ずいる。 そして、ドラマは「悪役」が存在することで動き出す。 というより「悪役」がいなければドラマは動き出さないと言ってもいいほどだ。 西洋の騎士物語なら「魔法使い」や「ドラゴン」、推理小説やミステリーなら「犯人」や「悪の組織」、時代劇なら「悪代官」や「敵役の剣豪」、恋愛小説なら「恋敵」や「結婚を邪魔する大人たち」などが悪役になる。 いずれも分かりやすく一目で見ただけで「悪役」と分かるのがベスト。なぜ悪いのか延々説明しないとならないようでは、ドラマの力学が薄くなり、当然ストーリーの展開が鈍り、最後のカタルシスも弱くなる。 □悪人と善人 もっとも、現実世界にはそんな分かりやすい「悪役」と「主役」はいない。 法律を犯せば「悪人」だが、スピード違反や脱税や万引き窃盗ではいまいち「悪」が足りないし、普通の人との違いは限りなく希薄だ。 もう少しエスカレートして人を

    オペラの悪役考 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • 創造の軽さと重さ - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    忙中閑の一瞬の休みにふとページを開いてみたのがきっかけで、久しぶりにシャーロック・ホームズ物語を何編か読み返すことになった。今は「バスカヴィルの家の犬」のクライマックスだ(笑)。 ホームズ譚は何年かに一度は読み返したくなる不思議なで、最初に買った創元推理文庫版が今も書架に並んでいるし、iPadの中にも全巻が電子書籍で揃っている。ついでにジェレミー・ブレッドがホームズ役のグラナダTV版のDVDもCD棚に全巻並んでいるという具合だ。 ホームズは言うまでもなくコナン・ドイルが創造した探偵小説の主人公。 1887年に「緋色の研究」で世に出て、1891年にイギリスの月刊誌「ストランドマガジン」で短編として連載されるやいなや爆発的なヒットとなった。現在に至るまで人気は衰えを知らず、「聖書に次いで世界中で読まれている」などと言う人もいる。 彼が相棒ワトソン博士と住んでいたというロンドンの「ベーカー街

    創造の軽さと重さ - 月刊クラシック音楽探偵事務所
    gauqui
    gauqui 2011/11/10
  • 人と単位と音楽と - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    人間の文明というのは、「人のかたち」をしている。 例えば、西洋で古くから使われている長さの単位「フィート(約30センチ)」は、人の足(Foot)の大きさ(つま先からかかとまで)が基準だと言うのは、御存知の方も多いだろう。 東洋の「尺」も、元々は(尺取り虫というのがいるように)指を広げた時の親指から中指の長さから来ていて、昔は18cmくらいだった。 だから、漢字の「尺」という字も、親指と中指を広げた形からきている。 これはその後、時代や国によって変化し、日で使う「尺」は約30.3cm。これは、ほぼ人間の腕の長さ(肘から手首までの尺骨の長さ)で、1尺=10寸。「尺八」と言ったら「一尺八寸」=約60cmということになる。 ただし、地域あるいは職業などによって(高麗尺、曲尺、鯨尺など)尺の長さは微妙に違うのは御存知の通り。 面白いのは重さの単位で、「ポンド」(約450g)は、人が一日にべる麦の

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  • 夏休み特集1〈音楽のもうひとつのチカラ〉 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    時々、テレビなどで思いがけず自分の音楽に出会うことがある。 思いがけずと言うのは、クラシックの音楽番組などで「○○作曲・・・」と予告されて放送されるのではなく、普通の番組の背景にBGMとしてふいに自分の書いた音楽が聞こえてくるからなのだが、作曲家にとっては嬉しくもありちょっと吃驚させられもする瞬間だ。(注:参照) 全ての番組をチェックできるわけもないので実態は分からないが、アートっぽい映像に静かなピアノ曲…とか、ドラマの抒情的なシーンにストリングス系の曲…というクラシカルな使い方は「なるほど」という感じ。 ちょっと現代音楽っぽい変拍子の曲をいくぶんコミカルな場面に使われるのも、まあ「アリかな」という感じ。 しかし、時には、バラエティ番組でいきなりオーケストラのど派手な部分…とか、クイズ番組でブリッジ風に一瞬…というような使い方をされることもあり、これはさすがに、「そう来たか!」とギョッとし

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  • 夏休み特集2〈クラシック音楽:最初の一枚〉 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    むかし、行きつけのレコード店で(つまり、まだLPレコード盤が主流だった頃)、面白い光景に出くわしたことがある。 高校生くらいの男の子が一人、クラシック音楽コーナーのレコード棚をあちこちぐるぐると歩き回った挙げ句、店員にいきなりこう相談を持ちかけたのだ。 「すみません。〈これ1枚持っていたらクラシック通の顔が出来る!〉みたいなレコードありませんか?」 店員が「どういうことですか?」と聞くと、少年いわく… クラスの女の子で、クラシックに興味を持っている子が一人いて、何かの拍子に「ぼくも実はクラシック音楽が好きなんだ」と言ってしまった。でも、実際はクラシック音楽なんて聴いたこともない。 しかも、調子に乗って「今度、お勧めのレコードを貸してあげるよ」と言ってしまった。 さて、どうしたらいいだろう?とレコード店にやって来てあちこち探し回たが、どれを選んだらいいか分からず、考えあぐねて店員に声をかけ、

    夏休み特集2〈クラシック音楽:最初の一枚〉 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
    gauqui
    gauqui 2011/08/10
    冒頭のエピソードかわいい
  • 青少年のための「未来」入門 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    先日(今年の5月)、ベルリン・フィルの定期演奏会を指揮した佐渡裕氏は、小学校の時の卒業文集に「ぼくはベルリン・フィルの指揮者になる!」と書いていたそうだ。 当時は、「総理大臣になる」とか「ノーベル賞を取る」というのと同じ大風呂敷で他愛もない子供の夢と聞こえたことだろう。 でも、38年後、その夢は実現された。 私も、14歳の時に始めて「運命」を聴き、「ぼくも交響曲を5つ書く!」と決めた。 当時はまだ、クラシックを聴き始めたばかりの普通の中学生だったから、総理大臣やノーベル賞どころか「火星に行く」というクラスの99%あり得ない「夢のまた夢」だった。 でも、34年後、夢は実現した。 子供の時に抱く「夢」は、一生の宝だ。 そして、夢は壮大な方がいい。 叶っても、まだ上があるから。 □音楽との出会い 音楽との出会いは人それぞれで、音楽を楽しむのに決まり事は何もない。好きなように聴き、好きなように楽し

    青少年のための「未来」入門 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • クラシック比較音楽史 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    クラシック音楽というと基的に「西洋」のもの。西洋の歴史とはリンクするものの、「日で言うとどのくらいの時代の音楽ですか?」と改めて聞かれて即答できる人は少ない。 確かに、普通の人なら日史の年号の幾つかは…「鳴くようぐいす平安京(794)」とか「いい国作ろう鎌倉幕府(1192)」…というように記憶している。そして、クラシックにあまり興味のない人でも「モーツァルト没後200年」とか「ショパン生誕200年」というような話を耳にしたことはあるはず。 ただ、それを相互比較して並べてみることはしない。特に、日は江戸時代まるまる「鎖国」で西洋文明と没交渉だったので、あまりリンクする意味がないと言うこともあるのかも知れない。 でも、ある音楽が生まれた頃、それを生み落とした社会や遠い極東の国「日」がどんな時代だったのか?というのは、なかなか想像力をかき立てられる心惹かれる題材だ。 大まかに言えば、

    クラシック比較音楽史 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • ハイドン博士の音響合成マシン - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    むかし、NHKの電子音楽スタジオでしばらく「遊ばせてもらえる」機会があった。 電子音楽というといかめしいが、まだアナログのテープレコーダーの時代で、パーソナル・コンピュータも普及したての頃。オシレーター(発信器)から出る「ピー」とか「キー」とかいう音やラジオなどから出る「ザー」「シャー」というノイズ(雑音)、あるいは現実音(人の声や雑踏の音、もちろん楽器の音も)などなどを、さまざまなモデュレーター(変調機)に通したりテープ編集したりして「変な音」にして楽しむ…もとい「実験」するという・・・まさに「音で遊ぶ」世界である。 ちなみに、戦後から70年代頃まで、世界中の放送局にこの種の「電子音楽スタジオ」があった。とは言っても、酔狂な作曲家に「音で遊ばせる」ために作った施設ではない。 音響学では「どんな音でも、単純な音を合成することで作り出すことが出来る」ことになっている。つまり、放送で「音声」と

    ハイドン博士の音響合成マシン - 月刊クラシック音楽探偵事務所
    gauqui
    gauqui 2010/11/10
    『ハイドンが作った「メロディとリズムとハーモニーだけで出来た音楽」を最もシンプルに現実化したのが「4声部」からなる「器楽」の合奏形態である弦楽四重奏』
  • 夏休み総力特集「ロックmeetsクラシック」 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    20世紀の初め、伝統と新しい近代文明との狭間で大きな曲がり角を迎えるヨーロッパ音楽(西洋クラシック音楽)に対し、新大陸アメリカでは、全く異質の文化が出会うことによって生まれた新しい音楽が開花していた。 それは、奴隷として新大陸に連れてこられた黒人たちによるアフリカ音楽と、移民として入植した白人たちのヨーロッパ音楽が奇妙に融け合った音楽で、最初は遠いアフリカへの郷愁と奴隷の境遇を嘆きつつギターをかき鳴らす「ブルース」として広まった。 やがて、この音楽は西部の酒場に転がっていたピアノや南北戦争の軍楽隊の楽器(トランペットやベース、太鼓など)と合体して、いくぶん賑やかな酒場の音楽「ジャズ」となった。 そして、1920年代頃には、この「ジャズ」は、アメリカを代表する音楽として洗練の極に達する。ガーシュウィンやラヴェルが登場した時代だ。 さらに、第二次世界大戦前後、黒人音楽「ブルース」にリズムを加え

    夏休み総力特集「ロックmeetsクラシック」 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • 鳥たちの作曲法 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    むかし無名で貧乏な作曲家の卵をやっていた頃、同じ境遇の若い作曲家仲間にこう問われたことがある。 「もし自分の書いた音楽が誰の耳にも届かないとしても、 それでも君は作曲をするか?」 二十代の始め、大学もやめて完全に無職無収入のまま、独学で作曲の勉強だけしていた「どん底」の頃だ。実際、その前後数年にわたって、まったく誰の耳にも届かない音楽を作曲し続けていた真っ只中であり、考える余地もなく「もちろん、作曲する」と答えた。 もっと怖い問いもあった。 「誰の耳にも届かなかった〈音〉は それでも存在したことになるのか?」 これは(特に音楽をやるものにとっては)かなり怖い想像だ。 音は発せられて空気を振動させる。でも、それが誰の耳にも届かなければ、それは〈音〉として観測されない。すなわち〈存在〉しないことと全く区別が出来ない。 作曲されても、演奏すらされない音楽は、そもそも空気を振動させることすらない。

    鳥たちの作曲法 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
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