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ブックマーク / inside-rivers.hatenadiary.org (8)

  • もうひとつの民主主義の可能性、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(東浩紀 著) - 未来回路製作所 ~中央線文化圏からの疾走編~

    近年、情報技術の発達によって可能になった情報速度や人の繋がりが、社会的なうねりとなって有効に機能している、ということがよく言われている。例えば、中東などで起こっている市民革命の盛り上がりにその影響を指摘する論調も多い。そのこともあり、情報技術を利用した民主主義の可能性という話をすると、まずその国際的な市民運動の盛り上がりの文脈が意識されるのは、ある意味当然のことかもしれない。けれども、書で問題とされているのは、そのような社会情勢とは別のところにある。情報技術が張り巡らされた社会において、民主主義や政治のイメージそのものが変わってしまうかもしれない、としているのだ。 一般的に情報技術の可能性としてよく挙げらるオープンソースの理想は、「熟議」を前提としている。けれども、それはこれまでの民主主義のパラダイムの枠の中での話でしかない。そしてそのパラダイムは今、機能不全に陥っている側面がある。そこ

    もうひとつの民主主義の可能性、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(東浩紀 著) - 未来回路製作所 ~中央線文化圏からの疾走編~
  • 『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(萱野稔人 著)、問われざる前提としての「ナショナリズム」について。 - 未来回路製作所 Hatena店

    ナショナリズムという概念を自らの思想体系の中でどう位置づけるか。それは日における人文思想系のコミュニティにおける承認の基準になっています。つまり、「ナショナリズムか反ナショナリズムか」という2項対立の中で世界が動いていることが重要な軸として想定されているのです。 このようなコミュニティの論理は、著者の萱野さんが対象としている日の人文思想業界に限らず、至る所で散見されます。それはコミュニティを維持するための仕組みとして機能している。根拠の無根拠性は隠蔽されそれを露わにしようとすると、そのコミュニティから排除の対象となってしまいます。そして、その排除に対する感情が同調圧力として現れ、コミュニティの安定とアイデンティティが維持されている。 書は、日の人文思想界が前提としてきたフレームを根的に問い直すということを主旨していますが、その議論の射程距離は日の社会やコミュニティのあり方にまで

    『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(萱野稔人 著)、問われざる前提としての「ナショナリズム」について。 - 未来回路製作所 Hatena店
  • 『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿 著)と希望の話。 - 未来回路製作所 Hatena店

    社会学者、古市憲寿さんの新著『絶望の国の幸福な若者たち』を読みました。書かれるべくして書かれた書籍、そんな感想です。 僕の中に散乱していた幾つかの点が結ばれ線となり、さらに面が示唆されたように思います。 このは以下のような主張から始まります。ちょいと要約。 日の経済成長の停滞は若者たちを不安にさせる一方、「より幸せ」を諦めさせることに繋がって、その諦念が「自己充足」(コンサマトリー)を生んでいる。 そして、現代はとても恵まれたインフラや生活環境が揃っていて、そのこともまた「幸せ」を感じさせる要因となっている、と。 また、若者たちが幸せな理由の質を「仲間」に求めています。 その象徴として『One Piece』が挙げられていたのが印象的でした。古市さんは『One Piece』の物語のテーマを「仲間のために」、としています。 この「仲間」という言葉はこれからの日社会を考えていくにあたり、

    『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿 著)と希望の話。 - 未来回路製作所 Hatena店
    gauqui
    gauqui 2011/09/22
  • 外部なき時代の祈りの場所について - 未来回路製作所 Hatena店

    宇野常寛氏の新著『リトル・ピープルの時代』を読んだ。前作の『ゼロ年代の想像力』から約3年、久々の単著だ。基的な主張の軸は前作と変わらないが、変化として感じられたことの一つは、「大きなもの」への想像力を取り戻す思考を目指す、という志向性だ。 『ゼロ年代の想像力』においても宮台真司氏らの指摘があったが、宇野氏の言説は現代の政治哲学の先端と響き合っているといわれるが、今回の新著ではまったくクラスタが異なると考えられているとある政治哲学の主張との奇妙な響き合いを感じずにはいられなかった。 いささかアクテュアリティに乏しいと思われるかもしれないが、その主張がもっとも象徴的に現れているのはネグリ=ハートの『〈帝国〉』(原題『Empire』)という著作である。原書は2001年に、邦訳版では2003年に発行されている。 この両者は多くの共通点を有してるように思われる。 まず決定的に似ていると思ったのは、

    外部なき時代の祈りの場所について - 未来回路製作所 Hatena店
  • 大澤信亮「復活の批評」をきっかけに考えたこと。 - 未来回路製作所 Hatena店

    『文学界』の2010年3月号に掲載されている大澤信亮氏の「復活の批評」を読んだ。一言でいうと、批評を再起動させる場所の確認作業、といえるだろうか。 近年、批評というジャンルの内側で、批評の対象とするコンテンツの違いによる新旧の情報戦が活発化しているようにも見える。そのことは、既得権益の切り崩しとも重なってみえたり、インターネットの発達によるメディア環境の変化ともシンクロしていることもあり、表象的にも商業的にも大澤氏が批判する勢力の方が順調に見える展開があるのではないかと思う。ネットコミュニティやオタクコミュニティを一つの基盤としていること、そのことが「新しい批評」の言葉が「ゲーム」において有利な理由でもあるだろう。 大澤氏が批評を発する場所は「私小説的」なのだ。この「私小説的」という言葉にネガティブな意味を持つ人は多いと思う。けれども、この「私小説的」という言葉と自閉することとはイコールの

    大澤信亮「復活の批評」をきっかけに考えたこと。 - 未来回路製作所 Hatena店
  • 【イベント告知】「ソーシャルネットワーク時代のシェアハウス〜基礎から始める共同生活〜」 - 未来回路製作所 Hatena店

    イベントやるよ! 以下、詳細です!! - 未来回路presents 「ソーシャルネットワーク時代のシェアハウス〜基礎から始める共同生活〜」 twitterやustream、facebook。私たちを取り巻くメディア環境は変化し続けています。経済の低迷とは逆に、多様な需要や供給を持つ人たちとの情報共有やコミュニケーションが容易になった今、別の豊かさを追求しやすい状態になってきたのではないでしょうか。 そして、そのようなコミュニケーションツールの変化は、インターネットの中だけでなくリアルにも影響を与え始めています。 リアルな生活を構築する重要なファクターである「衣・・住」。その中でも、「住」のことを考えることは意外と少ないのではないかと思います。日における住宅観が画一的であるのは、そこにも理由があるのではないでしょうか。 けれども、最近、この「住」に関する面白い試みが増えているのです! そ

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    gauqui
    gauqui 2011/01/15
  • 「他者との出会い」による「日常」の侵食〜portB「完全避難マニュアル東京版」から見えてくる風景から〜 - 未来回路製作所 Hatena店

    1、緩やかに「日常」から「演劇」へと誘う回路 portBの「完全避難マニュアル東京版」では、観客を演劇体験へと誘うために幾つかの媒介を用意している。観客はまずウェブ上のHPにアクセスすることから始める。その導入方法は、それまで劇場に足を運ぶと習慣のない層の人々が演劇作品に参加するための参入障壁を低くしていると考えられる。これまでの演劇受容者とは異なる層が発見されることになっただろう。 もしかしたら、その参加形式はある種の演劇愛好者からすれば、違和感を持つ性質のものかもしれない。けれども、現在の日文化風土の中において、劇場に足を運ぶという行為よりもネット上に存在するHPにアクセスするという方法の方が、日常から直結する形で劇へと誘うことが出来るともいえるのではないだろうか。他の芸術メディアにしてもそうだろうが、「演劇を観る」ためにはそれなりの素養が要求される。そしてその素養はこの国におけて

    「他者との出会い」による「日常」の侵食〜portB「完全避難マニュアル東京版」から見えてくる風景から〜 - 未来回路製作所 Hatena店
  • 文学における身体性の再構築とアーキテクチャ批評を統合すること。 - 未来回路製作所 Hatena店

    最近、何となく思っていることでも。。 2008年に出版されて話題を集めた『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』の著者・佐々木中氏の新刊『切りとれ、あの祈る手を――<>と<革命>をめぐる五つの夜話』が2010年10月30日に出版された。その評判は好評とよべるものだと思う。そして、その著作に対する一種のカウンターともいえる書評が12月1日に発表された。紀伊国屋の書評空間に掲載されている文芸評論家・福嶋亮大氏による書評である。 その書評は佐々木氏の「情報」に関する認識における問題に向けて攻撃の触手が向けられているものだ。まさしくこの書評自体が「情報戦」の一部であり、また、その博学さを伴った文学における歴史認識は「正統」なものであるのだろう。 しかし僕は、この書評来「情報」を巡る歴史認識の問題が視点であるはずものが、わかりやすい形での対立構造に簡略化されて広まってしまうのではないかと

    文学における身体性の再構築とアーキテクチャ批評を統合すること。 - 未来回路製作所 Hatena店
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