近年、情報技術の発達によって可能になった情報速度や人の繋がりが、社会的なうねりとなって有効に機能している、ということがよく言われている。例えば、中東などで起こっている市民革命の盛り上がりにその影響を指摘する論調も多い。そのこともあり、情報技術を利用した民主主義の可能性という話をすると、まずその国際的な市民運動の盛り上がりの文脈が意識されるのは、ある意味当然のことかもしれない。けれども、本書で問題とされているのは、そのような社会情勢とは別のところにある。情報技術が張り巡らされた社会において、民主主義や政治のイメージそのものが変わってしまうかもしれない、としているのだ。 一般的に情報技術の可能性としてよく挙げらるオープンソースの理想は、「熟議」を前提としている。けれども、それはこれまでの民主主義のパラダイムの枠の中での話でしかない。そしてそのパラダイムは今、機能不全に陥っている側面がある。そこ
![もうひとつの民主主義の可能性、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(東浩紀 著) - 未来回路製作所 ~中央線文化圏からの疾走編~](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/7c7cc6ccaca2426eab483cfa342c1e7bdf2eb947/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41gKjetb-PL.jpg)