群馬県桐生市の小学6年生、上村明子さんがいじめを苦に自殺した事件が、まだ尾を引いている。学校長が、その子の親を訪問したというが、いじめの報告については何も語らなかったという。 こういう痛ましい事件が報道されるたびに思うのだが、いじめられているという訴えがあったとき、なぜ、親は、あるいは周囲は、登校を止めさせなかったのか。たとえささいないじめでも、子供にとっては、たいへんな苦痛だろうし、そうしたいじめがある限り、子供を休ませるという、ごく常識的な判断を、なぜ、親も、周囲もできなかったのか。 べつに子供を自殺で失った親を責めるつもりはまったくない。責められるべきは、いじめをしていた子供たちであり、彼らは衝動的にせよ、意図的にせよ、あるいは習慣的にせよ、いじめに加わった以上、最低の人間、あるいは人間以下の存在であり、いじめの加害者は、それこそ、考えられるあらゆる過酷な刑罰を与えられてしかるべき、