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ブックマーク / somesum.hatenadiary.org (3)

  • 物語に生きる――『輪るピングドラム』雑記 - ジビインコウ

    もはや廃墟化しつつあるこのブログですが、チラ裏程度には使います。そしてきちんと宣伝もします。冬コミにて『マンガルカ vol.1』と『背景から考える』が出ます。僕は編集と一部対談校正、マンガルカに漆原友紀『水域』と尾玉なみえ『純情パイン』のレビューを書いています。2日目東ポ28aと3日目東Q30aをよろしくお願いします。→公式サイトhttp://animerca.blog117.fc2.com/blog-entry-33.html さて、ついでに昨日『輪るピングドラム』を観終えたので感想を書こうと思います。作を語るにはまだ見終えてから日が浅すぎるし、そもそも日とか関係なく一筋縄ではいかない作品ではあるのだけれど、勢いで書かないととりこぼしてしまうようなこともあると思うので、書いてしまいます。いずれちゃんとしたの書こうと考えてます。 『ピンドラ』は運命の「乗り換え」を巡る物語だった。実際それ

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  • 可塑性、性、距離―アニメ『放浪息子』とキャラクター - ジビインコウ

    まず告知。アニメルカオフィシャルサイトが誕生したそうです → http://animerca.net/index.html あとアニメルカvol.3のオンライン販売も開始されたようなので、ぜひお買い求めください。 さて、キャラクターをキャラクターたらしめるものとは一体なんなのでしょうか。今回はこの問いから始めて、アニメ『放浪息子』の話につなげていきたいと思っています。おそらくその核とは、「不可塑性」と言うことができるでしょう。つまり、「変わらなさ」です。その変わらなさにも2つあります。一つは「身体」の不可塑性、もう一つは「内面」の不可塑性。これがあるからこそ、キャラクターは物語を超えて自律することができるのではないでしょうか。 身体の不可塑性について。反対に、身体が変わるというのは何を意味するのかを考えてみましょう。それは「成長」です。大塚英志が日のキャラクターは傷つくことができるように

    可塑性、性、距離―アニメ『放浪息子』とキャラクター - ジビインコウ
  • 四畳半神話大系から導きだされる「霊」と「怪」 - ジビインコウ

    最初に 今になってようやっとプログをつくってみました。twiiterでいろいろ考えたことをつぶやいてる内に、まとまったものを書いてみたいなということで。順序が逆な気もしますが、あしからず。 で、何に関してまとまったものを書きたかったかといいますと、タイトルにもあるとおり、アニメ『四畳半神話大系』(以下『四畳半』と表記)についてなんですね。最初はエンドレスエイトかよなどと言われつつも、評判よろしく、とはいえそれについての文章は見かけず、それじゃあ僕が書きます!と。もともと森見登美彦が好きなこともありますし、アニメに単純に大きな刺激をうけたこともあります。言語化衝動が沸き上がってきたのです。 あと、同時期にこんな議論をtogetterで読んだこともあります。 『キャラクターは怪か霊か? ーーリアルに異形なものを持ち込むか、仮想世界に異形な痕跡を実現するか。』 http://togetter.c

    四畳半神話大系から導きだされる「霊」と「怪」 - ジビインコウ
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