「ホトを箸で突いて死んだ」という伝承はまったくの誤情報です。この謎を解くには、箸墓古墳の主が存命だった頃の、纏向遺跡の地域の信仰形態を正しく見極めることがまず必要でしょう。 纏向型祭祀について研究なさっている方々は、高句麗国の東盟祭と共通性が高い、隧穴信仰だったことを明らかにしてきました。土坑の中に祭祀に用いられたものをそのまま捨て置く風習があったので、どのような祭祀が行われていたか、推理しやすいのです。分かってきたのは、現在の新嘗祭の原型となるものだった、ということです。高句麗国から伝来した日の巫女の王(斎王)の神道と姫姓を受け継ぐ当家では、今も東盟祭を非公開神事として行っています。私達社家の者の視点からも、纏向型祭祀は東盟祭と同じタイプのものだったと感じます。 一つ、絶対に見落としてはならないのは、丸木橋も丸い木の棒だから、昔は箸と呼ばれていたことです。食事のときに使う箸でホトを突いた
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