タグ

ブックマーク / kangaeruhito.jp (14)

  • 印の無い印 | 雑貨の終わり | 三品輝起 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    私の店のお客さんでもっとも多い職場は無印良品かもしれない、ということに気づいたのは、同社で働く彼らがファミリーセールという、身内だけの優待セールを知らせる葉書を熱心に配り歩くからにほかならない。その期間がちかづくと私の手もとには茶色い葉書が何枚もたまってきて、次の週には吸いこまれるように無印良品へ買い物に行くことになる。そのせいで、家じゅう同社の品物がふえる一方だ。家電、家具、掃除用品、文房具、なんだかんだ。合理性の美学につらぬかれた物たちのユートピアで散策を楽しんだあと、クラフト紙の袋にモノトーンな商品をたんまりつめこんで帰ってくる。しかしいつも思うのだが、せまい自室にひろがる雑多な物のなかに無印良品の簡素な品をぽんとおいた瞬間の、えもいわれぬもの悲しさはなんであろうか。それは私たちが追いもとめるライフスタイルという言葉のもつ、ある種の空虚さと似ている。 では、私もさまざまな出自の物にあ

    印の無い印 | 雑貨の終わり | 三品輝起 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2024/02/02
    『ああいうフォークロアな音楽っていうのは、しかるべき隘路をたどったひとの心に棲みつくんであって、年がら年じゅう全国でかかってるとさ、その道に行きつくまえに耳に抗体ができて心が受けつけなくなる気がする』
  • 後篇 スモールビジネスをつなぎとめるささやかな倫理 | 三品輝起×島田潤一郎「雑貨の地図と断片化する世界」 | 三品輝起 , 島田潤一郎 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

    著者: 三品輝起 , 島田潤一郎 東京・西荻窪で雑貨店「FALL」を営む三品輝起さんが、「考える人」に連載したエッセイに書下ろしを加えた『雑貨の終わり』が2020年8月に出版されました。刊行を記念して、9月16日には下北沢の屋B&Bで、三品さんのデビュー作『すべての雑貨』の編集・出版を手がけられた夏葉社の島田潤一郎さんとのオンライン配信のトークイベントを開催。三品さんが半径10メートルの店内から観察した「雑貨化」と、パラレルに進行する断片化する世界。もはや資に覆われた世界の外部に私たちは立つことができないのか?! 白熱した対話の模様を前後篇に分けてお届けします(司会・構成:小林英治)。 (前篇はこちらから) 島田 『雑貨の終わり』には、意図的であるか分からないけど、雑貨文化というのは日特有のものだという言い方が何回か出てくると思うんですが。 三品 はい。やっぱり日の雑貨文化はすごい

    後篇 スモールビジネスをつなぎとめるささやかな倫理 | 三品輝起×島田潤一郎「雑貨の地図と断片化する世界」 | 三品輝起 , 島田潤一郎 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2024/02/02
    『少なくとも、若い人はどんどん私的なものを書いてますよね。昔はもう少し文学というものは大きい世界が書けると思っていた/そうじゃなくて〜私的なところを突き詰めることによって、初めて普遍的なものが』
  • 第4回 「音盤=音楽」からこぼれてしまうもの | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    「西洋とそれ以外」の再生産 前回は勢いまかせにかなり大きな話をしてしまったので、端折ったところも多く、われながら説明不足の感は否めない。先行研究と学説史の迷宮に入り込まない程度に文脈を補足したうえで、日におけるレコード会社製流行歌の具体的な形成過程を参照しながら、「在地音楽としての艶歌」という連載の主題の可能性と困難について考えてみたい。 北島三郎の代表曲のレコードジャケット(著者私物、撮影・新潮社) 前回の結論として私は次のように記した。 サブちゃんの決まり文句、「アメリカにはジャズ、フランスにはシャンソン、そして日には艶歌」を、「韓国にはトロット、タイにはモーラム、インドネシアにはダンドゥット、ナイジェリアにはアフロビート、モロッコにはグナワ、コロンビアにはクンビア、マルティニークにはズーク(以下略)、そして日には艶歌」のように拡張し、その音楽と実演の魅力を、欧米に留まらず世界

    第4回 「音盤=音楽」からこぼれてしまうもの | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2022/11/11
    『現代における庶民的で娯楽的な音楽実践の、世界的な共時性と多様性に注目することで、「日本」やその「心」といったものを所与の実体として前提とすることなく〜考えてみたい、ということだ』
  • 第5回 「流行歌」の誕生――浪曲からロカビリーまで | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    録音と実演の分裂――「はやり唄」から「はやらせ唄」へ 今回は、昭和初期における外資系レコード産業の日市場参入と、「声はすれども姿は見えず」を特徴とする「流行歌」の成立について概観したうえで、そこから逸脱する雑多な実演に由来する要素が、戦後、部分的に取り入れられてゆく過程についてみてゆく。そのうえで、1962年の北島三郎のデビューを、そうした巷の芸態の流入と、レコード会社専属制度の動揺という文脈のなかに位置づけてみたい。つまり、サブちゃんの個人史ではなく、文化史および産業史に注目して、北島三郎登場の背景とその意義を探る、ということになる。 北島三郎の代表曲のレコードジャケット(著者私物、撮影・新潮社) 大正時代、関東大震災前後には、異種混淆的な実演に基づく音と声の表現の文化が形成されていた。浪花節、安来節(やすきぶし)、女剣劇、書生節、映画説明と和洋合奏、小唄映画、といった、在来の芸態に近

    第5回 「流行歌」の誕生――浪曲からロカビリーまで | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2022/11/11
    『かなりの駆け足にはなったが、なんとか北島三郎デビューまでこぎつけた』 お見事な感じでポンポン進んだ。そういや'60年代の日本って'70年代のよりも今との真っ直ぐの繋がり感弱いかも。私が70年代生まれだからかな。
  • 前編 世界一マニアックな「勝手にシンドバッド」論 | 川添愛×スージー鈴木「桑田佳祐の”ことば”を大解剖!」 | スージー鈴木 , 川添愛 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

    著者: スージー鈴木 , 川添愛 好評発売中の『桑田佳祐論』で、サザンオールスターズやソロ26作の歌詞を徹底分析した音楽評論家・スージー鈴木さんと、言語学者・川添愛さんによる対談です。川添さんは著書『言語学バーリ・トゥード』で、ユーミンの名曲の歌詞を分析。今回もその知見を活かして、スージーさんとともに桑田佳祐の独特にして絶妙な日語の魅力に迫ります。はたして、桑田佳祐の歌詞のどこが凄いのか?――この難問に、音楽評論家&言語学者という異色のコンビが挑みます。 「恋人がサンタクロース」問題 スージー 音楽評論家のスージー鈴木です。私が今年6月に上梓した『桑田佳祐論』(新潮新書)は、桑田佳祐の歌詞を詳しく分析したものです。その歌詞は独特で、日語としてかなりぶっ飛んでいる。ならばゲストには「言葉の専門家」をお招きしようと。というわけで、言語学者の川添愛さんにお越しいただきました。 川添 どうぞよ

    前編 世界一マニアックな「勝手にシンドバッド」論 | 川添愛×スージー鈴木「桑田佳祐の”ことば”を大解剖!」 | スージー鈴木 , 川添愛 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2022/09/14
    『こうした対極的な解釈までも包摂してしまうところが、日本語の「の」の自由なところで、桑田さんはそれを最大限に利用して〜ミステリアスなフレーズに』『それだけ日本語の「の」は、極めて寛容な助詞であると』
  • 第2回 ひとりぐらいはこういう馬鹿が | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    第1回はこちら 承前:連載の意図 連載で私が試みるのは、演歌(というよりここはあえて「艶歌」と表記したい)を、「北島三郎的なもの」として再想像、もっといえば再創造する、ということだ。 北島三郎が演歌歌手なのは当たり前だ、何をいまさら、と思われるかもしれない。そうではなく、北島三郎を論じることを通じて、私がかつて明らかにした演歌ジャンルの枠組を、かなり根底的に修正し、あるいは転覆させようという大それた野望を持っているのだ。 つまり、演歌ジャンル確立期のいわば原義である夜の巷の流し、つまり艶歌師とその歌を体現する存在として北島三郎をとらえ、それを、1970年代以降の演歌ジャンル(のみならずアイドルを含む日の大衆歌謡のかなりの部分)において強い規範、または呪縛となってきた「五木寛之=藤圭子的な演歌(艶歌、怨歌)像」に対するオルタナティヴとして提示する、というのが連載における私の目論見だ。

    第2回 ひとりぐらいはこういう馬鹿が | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2022/07/31
    『それだけではなく、そうした暗さのイメージは、後年たとえば山口百恵の売出しにも流用され、十代の性愛を明らかに暗示させる曲を素知らぬ顔で歌う(歌わされる)ことがアイドル歌謡の定型と〜』ホントね…。
  • 第1回 俺がやらなきゃ誰がやる | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    著者: 輪島裕介 2022年にデビュー60周年を迎えた北島三郎。日の演歌界をリードしてきた不世出の歌手の名前と、「函館の女」「与作」「まつり」といった代表曲を知らぬ人はいないでしょう。しかし、そのキャリアや音楽的功績について、どれだけの人が正しく認識しているでしょうか――。著書『創られた「日の心」神話』で、演歌というジャンルの“起源”に鋭く斬り込んだ音楽学者が、「北島三郎とは何者か」という壮大な問いに挑みます。 音楽学者、北島三郎に挑む これから北島三郎について論じる。 いうまでもなく北島三郎は、現在日で活動する演歌歌手のなかでおそらく最も有名な、そして圧倒的に「大御所」感が漂う歌手といえる。レコードデビューは1962年なので、今年2022年に60周年を迎える。1960年代の「なみだ船」「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」、さらに70年代後半の「与作」など多くの有名曲を持ち、東映の任

    第1回 俺がやらなきゃ誰がやる | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2022/07/31
    『私が試みるのは、演歌(というよりここはあえて「艶歌」と表記したい)を、「北島三郎的なもの」として再想像、もっといえば再創造/「五木寛之=藤圭子的な演歌(艶歌、怨歌)像」に対するオルタナティヴ』
  • 01 はじめに | 『人間をお休みしてヤギになってみた結果』試し読み | トーマス・トウェイツ , 村井理子 | 本の試し読み | 考える人 | 新潮社

    著者: トーマス・トウェイツ , 村井理子 「村井さんちの生活」が大人気の村井理子さん、このたび新しい翻訳が新潮文庫から発売されることになりました。 タイトルはずばり『人間をお休みしてヤギになってみた結果』! 著者のトーマス・トウェイツは『ゼロからトースターをつくってみた結果』(村井理子訳、新潮文庫)で一躍話題の人に。さらに、この「ヤギ男」プロジェクトでなんと2016年にイグノーベル賞受賞!! 人間をお休みするってどういうこと? ヤギになったってどうやって!? 「考える人」では、この気になるの冒頭部分を特別に公開します! ロンドン、ウォータールー(晴れてはいるが、肌寒い) 偉大なる地球は回転し、再び、朝の忙しい通勤時間がやってきた。スタスタとコンコースを歩く音。トントントンと階段を上がって、テムズ川にかかる橋を渡り、ロンドン中心部にある職場へと向かう人々。男も女も、同じ方向を目指して足

    01 はじめに | 『人間をお休みしてヤギになってみた結果』試し読み | トーマス・トウェイツ , 村井理子 | 本の試し読み | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2022/05/06
    『お前がトースト食べて遊んでいる間に、仲間は博士号をとり、給料をもらいはじめ、キャリアを得て、人生上向き /暗くて、デカい穴にハマって、動けなくなったんだよ/人間をお休みしちゃうってどうだろう?』(笑)。
  • お客さん物語 | 稲田俊輔 | 連載一覧 | 考える人| シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。知の楽しみにあふれたWebマガジン。 | 新潮社

    はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。 どうして自分が「考える人」なんだろう――。 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな

    お客さん物語 | 稲田俊輔 | 連載一覧 | 考える人| シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。知の楽しみにあふれたWebマガジン。 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2021/12/16
    『ごもっともです。ごもっともなんですけど、僕はその時微妙に釈然としませんでした。インドでそれを許すんだったら、ここでも許してくれたっていいじゃないか、と』 (笑)〜!
  • 29. 特別になりたかった私たちへ(最終回) | おんなのじかん | 吉川トリコ | 連載 | 考える人 | 新潮社

    みんなが「花束みたいな恋をした」の話をしている。どいつもこいつもも杓子もである。もちろん私もした。大いにした。それだけでは飽き足らず、いままさにこの連載でも「花恋」の話をしようとしている。 2021年2月も終わりに差しかかった現在、コロナウイルスの新規感染者数が多少減ってきたものの、いまだ緊急事態宣言下にあるので、あくまで概念の井戸端――ツイッターやクラブハウスやラジオやポッドキャストなど――で観測するかぎりなのだが、おもに20代から40代にかけての文化系人間たちが、「花恋」を観たらその話しかできなくなってしまうかのように、ひたすらずっと「花恋」の話――というより「花恋」を呼び水にした自分語りを続けている。田舎生まれ文化系育ち自意識高めのやつらは大体友だちどころかできれば避けて通りたい私としては、彼らの話を聞いているだけで「いっそ殺してくれ!!!」という気持ちになってしまうのだが。 未見

    29. 特別になりたかった私たちへ(最終回) | おんなのじかん | 吉川トリコ | 連載 | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2021/03/17
    誰でもよかったんですよ。でも、誰でもよかったわけないじゃん! "あの男の子たち"もヒリヒリした気持ちやジリジリした感じでビンゴの選択肢を蹴り破ってたんですもん、目の前の存在が得難いものでないはずないよ。
  • 寛容の鍛錬ーー多様化するこれからの日本社会のために | 森本あんり『不寛容論』特別コラム | 森本あんり | 本の試し読み | 考える人 | 新潮社

    著者: 森あんり いま世界中で「不寛容」の嵐が吹き荒れています。人種や宗教にかかわる対立が激しい米欧諸国に比して、日は「寛容」な社会にも見えますが、多様化が進む世界において、私たちは自らとまったく異なる倫理観や生活態度をもつ人々と共に生きる心の準備ができているでしょうか。『不寛容論:アメリカが生んだ「共存」の哲学』を刊行した森あんりさんが、「TASC MONTHLY」(2021年1月号)に寄稿したコラムを転載します。 世界観の相克 『ある少年の告白』 という映画がある。2018年に公開されて大きな反響を呼んだ実話物語である。アメリカ南部の福音派キリスト教の中で育てられた少年が、同性愛者であることを自覚して両親に告白する。すると、牧師でもある父は、少年に「別人になれ」と、同性愛を「治療」する施設に彼を入れてしまうのである。原題の “Boy Erased” つまり「消された少年」は、この

    寛容の鍛錬ーー多様化するこれからの日本社会のために | 森本あんり『不寛容論』特別コラム | 森本あんり | 本の試し読み | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2021/01/28
    『簡単に容認できることだけを容認するだけなら、それを寛容とは呼ばない/容認できないことは容認しない、というのであれば、それも寛容とは呼べないだろう/「一神教か多神教か」ではなく、「多様か単一か」』
  • 「バリカン」 | 分け入っても分け入っても日本語 | 飯間浩明 | Webでも考える人 | 新潮社

    語源を探究する苦労について語るとき、「バリカン」についての話は外せません。 理髪店に行って、髪の後ろや横をバリカンで一気に刈ってもらうのは気持ちのいいものです。この「バリカン」という器械の名称がどこから来たか、昔の言語学者には分かりませんでした。 英語ではhair clipper(ヘアクリッパー)と言うそうです。ドイツ語ではHaarschneider(ハールシュナイダー)、フランス語ではtondeuse(トンドゥーズ)……。「バリカン」の「バ」の字もありません。 日語だろうか、とも考えられたようです。バリバリ刈る器械だし、金属製でカンカン音がするから、というわけ。説得力はありませんね。民間の語源説でしょう。 ここで早くも、「『バリカン』は会社名じゃないの?」と突っ込む読者がいるかもしれません。はい、正解です。『三省堂国語辞典』(三さん国こく)第7版にもこうあります。 〈バリカン〔←フBa

    「バリカン」 | 分け入っても分け入っても日本語 | 飯間浩明 | Webでも考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2018/11/14
    『語源を探究する苦労について語るとき、「バリカン」についての話は外せません』『事実が分かることはまれ』『語源探究は、多くはこじつけに陥ってしまうので注意せよ』
  • 第1回 2018年1月15日〜2月7日 | にがにが日記―人生はにがいのだ。 | 岸政彦 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    お知らせ(2023.10.19) 岸政彦さんの連載「にがにが日記」が10月末に新潮社から単行として刊行されます。最愛のとのかけがえのない日々を綴った書き下ろし「おはぎ日記」を加えて一冊に。どうぞお買い求めください。 登場する家族(所属は連載当時) きし(私、俺) 岸政彦。社会学者。立命館大学先端研教授。打たれ弱い。 おさい 連れあいの齋藤直子。大阪市立大学人権問題研究センター特任准教授。主著に『結婚差別の社会学』(勁草書房)。よく寝る。 おはぎ 。17歳。もじゃもじゃで穏やかで優しくて人懐こくてよく喋る。さいきん夜泣きをする。 きなこ 。デブでセクシーで美人で、神経質で怒りっぽくて甘えんぼう。2017年11月に17歳で亡くなる。おはぎときなこを合わせて「おはきな」という言い方をする。 1月15日(月) 昼から会議、そのあとゼミ、終わって夕方から研究室のの整理。立ったりしゃがんだり

    第1回 2018年1月15日〜2月7日 | にがにが日記―人生はにがいのだ。 | 岸政彦 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    gcyn
    gcyn 2018/07/20
    そりゃ会いたいよー、そりゃ会いたいよーー(笑)
  • 学校、ワクチンに揺れる | イタリアン・エクスプレス | 内田洋子 | Webでも考える人 | 新潮社

    イタリアの学校は、秋に始まる。自治体により数日のずれはあるが、多くの学校が九月第二週から始まっている。 今年の秋は、ワクチン問題でかまびすしい。消滅したものもあれば、新たに追加された種類もある。夏前の国会では、義務ワクチンを十二種類に増やそうという提案まで出た。審議の末、今年度のゼロ歳から十六歳を対象とした義務ワクチンは、合計十種類と決定。接種証明を提出しなければ、幼稚園や小中、高等学校には公立私立の差なく入れない。 「ワクチンは、政治家と関係者の癒着の温床だ」 「副作用などの薬害があることも説明しなければ」 「いや、ワクチンのおかげで消滅した病気は多い。効能を評価するべき」 インターネット上や口コミで、ワクチンに関連する賛否両論が錯綜、沸騰。ワクチンが来持つ、伝染病などを未然に抑えるという公衆衛生の役割についての論議から離れ、接種するしないは個人の自由に任せるべき、と論点が移っての喧々

    学校、ワクチンに揺れる | イタリアン・エクスプレス | 内田洋子 | Webでも考える人 | 新潮社
  • 1