ブックマーク / matakimika.hatenadiary.jp (2)

  • ゲーモクさんのこと - また君か。@d.hatena

    今月 4 日、ゲーモクさんが亡くなった。交通事故だったそうだ。 ゲーモクさんは当代一流のゲーオタだった。あれほどのひとは滅多に居ない。量や質においてではない。ゲームを好きな人間、得意な人間、一をやりこむ人間、量を遊ぶ人間、いろいろ居るが、そうした各部門の頂点を争うようなタイプのゲーオタとして、彼が抜きん出て優れていたわけではないと思う。おれがゲーモクさんに敬意を表したいのは、なによりその純度においてだ。彼はゲーム純血種だった。漫画やアニメやその他のオタク趣味の汚染がほとんどない、当にゲームだけが好きなオタだった。だから彼のゲーム愛は、ただゲームが好きというだけでなく、「自分にはゲームしかない」という憎悪に近い複雑さと渾然一体だった。興味関心、喜びや悲しみや怒りや苛立ち、あらゆる情動をぶつけ注ぎ込む対象をゲームひとつと定めていた。そういうタイプのゲーオタは少ない。そのうえさらに固有の表現

    ゲーモクさんのこと - また君か。@d.hatena
    gebet
    gebet 2008/09/12
  • また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題

    ところで成句「趣味は人間観察です」は、いろんな経緯があってのことだが、発声即ち「自分は自意識過剰の痛いひとです」という主張を意味するので、取り扱いが簡単でない。ようするに、 観察する側の人間である=行動する側の人間ではない=場の主流派に所属していない、まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない人間である、と言っているのに等しい(もちろん個別の例外はあるが、それは後々カスタマイズしていけばよいだけのことで、データベース型の第三世代人間関係インデックス能でマッピングする際は、初期位置をそこにセットするのが自然だ)。コミュニケーション至上主義勢の用語で一言でいえば「さびしいひと」。 なぜここで「まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない」とまで断定できるのかといえば、それができるひとの大概はそれなりの人間観察能力を持ちつつもそれをあくまで手段として使っているから。趣味的な観察はあくま

    また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題
    gebet
    gebet 2007/10/10
    中学生までにしてほしいものですね
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