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ブックマーク / note.com/wakari_te (78)

  • 断言する。非モテ女性など存在しない。|小山(狂)

    非モテについて語られる時、そして男のつらさについて語られる時、必ずと言っていいほど「自称」非モテ女が現れて「非モテでつらいのは男だけじゃない!女だってつらい!」とか抜かし始める。 はっきり言おう、非モテ女など存在しない。 そもそもこんなこと言う奴は非モテ男の根的な辛さがわかってねえ。いいか、非モテ男のつらさはセックスができないことだ。それはつまり相手に承認されないと言うつらさとイコールだ。 それに比べて自称非モテ女どもはどうだ? そりゃ、お前は相当なブスかもしれない。顔面がアルプス山脈のようになっているかもしれない。だがな、お前が股を開けば群がる男は1人や2人かはいるのだ。 違うと思うならマッチングアプリの1つでもやって女性として登録してみるといいい。たとえ顔写真を乗っけなくたって大量にメッセージが来る。 (引用:非モテ女など存在しない。舐めるな) 非モテ男性がつらさを語ると、どこからと

    断言する。非モテ女性など存在しない。|小山(狂)
  • 「トランスジェンダーの性別変更」について最低限知っておくべきこと|小山(狂)

    先週公開の前編では、第二派・第三波フェミニズムの流れと、トランスジェンダーが「人権」のひとつとして認められるまでの経緯について解説した。 軽くおさらいすると、 まず第一派フェミニズムにおいて市民権における男女平等が達成され、第二派フェミニズムにおいては性革命を通じて「心の性別」(ジェンダー)という概念が強く否定されるに至った。そこからさらに発展した第三波フェミニズム(含むクィア理論)は、「心の性別」だけでなく「身体の性別」も虚構であると主張し、ついには男らしさ・女らしさという内面(心)の問題だけでなく、物質的・身体的な性別も自由に自己決定されるべきだという考え方が浸透していった。 引用:日人が知らないトランスジェンダー歴史…というお話について、1940年代から1990年代までのおよそ50年ほどの歴史を簡単にまとめさせて頂いた。 後編となる稿では、女性用スペースの利用、トランスジェンダ

    「トランスジェンダーの性別変更」について最低限知っておくべきこと|小山(狂)
  • 日本人が知らない「トランスジェンダー」の歴史|小山(狂)

    最近「トランスジェンダー」という概念が、一般層にも広がりつつある。 特に「トランス女性」の公共施設利用を巡る議論は政治的イシューとして大きな注目を集め始めており、トランス女性の女子大入学の是非や、「トランス女性」の定義を巡る論争など、各方面で議論が噴出している。 しかし、そもそも「トランスジェンダー」とは一体何なのだろうか。いつこうした概念が生まれ、なぜ権利として尊重されるようになり、どのような経緯を経て今の社会的議論を生むに至ったのだろうか。正直なところ筆者の見る限り、日において「トランスジェンダー」概念の成立経緯や問題構造を正確に理解している人は極めて少数である。 そこで稿は知識ゼロの方に向けた「トランスジェンダー入門」として、トランスジェンダーという概念がいかに欧米で形成されていったのかの小史と、特に欧米で盛んに論じられているトランスジェンダーをめぐる論争の基的な構造について解

    日本人が知らない「トランスジェンダー」の歴史|小山(狂)
  • 資本主義の歴史を知らなければ、フェミニズムの本質はわからない|小山(狂)

    「陰謀論フェミニズムに汚染されていない女性人権史」を独自に綴る連載の第3回。第1回はフランス革命期におけるフェミニズムの芽生えを、第2回は産業革命のもたらした「離婚の権利」等について扱った。 今回は女性の私的所有権が認められ始めた19世紀後期にフォーカスを当てていく。おそらく女性人権史の全史を通じて、もっともドラスティックな女性の権利拡大が生まれたのがこの時期である。 【目次】 第1回:フランス革命とフェミニズムの芽生え(1780年代-1790年代) 第2回:産業革命がもたらした「離婚の権利」(1800年代-1850年代) 第3回:資主義社会の確立と「女性の私的所有権」(1830年代-1880年代) 第2回でも解説したように、産業革命はむしろ女性を労働から遠ざけるという結果に終わった。中世的社会においては女性も男性と同じく農耕や牧畜などに従事することが当然視されたが、近代以降は商工業に基

    資本主義の歴史を知らなければ、フェミニズムの本質はわからない|小山(狂)
  • 女が甘やかされる国で「女性の社会進出」は進まない|小山(狂)

    「日はジェンダー平等後進国である」としばしば言われる。 特に頻繁に引用されるのがジェンダーギャップ指数(GGI)の順位の低さだ。2022年度のスコアでは日は146ヵ国中116位であり、お世辞にも高い順位を達成してるとは言い難い。 とは言え日は「健康」「教育」などの評価基準においては世界トップレベルのスコアをたたき出しており、「経済参画」「政治参画」などのスコアだけが底辺を這っているため低順位になってしまうという構造があるのだが、ともあれ日の女性が「社会進出」において他国よりも遅れていることだけは間違いないだろう。 (引用:「共同参画」2022年8月号)ここら辺のGGIの構造と問題点に関しては古くから様々な秀逸な批評があるため稿では割愛するが、それにしてもなぜ、日女性の社会進出はこうまで進まないのだろうか。毎年ジェンダーギャップ指数が発表されるたび左派メディアは嬉しそうに「日

    女が甘やかされる国で「女性の社会進出」は進まない|小山(狂)
  • フェミニズムの「宗教性」を、日本人だけが理解してない|小山(狂)

    最近は空いてる時間のほとんどを連載「フェミニズムの歴史」のための資料整理に費やしているのですが、つくづく嘘の力というのは途方もないなと日々痛感しています。

    フェミニズムの「宗教性」を、日本人だけが理解してない|小山(狂)
  • 産業革命がもたらした「離婚の権利」|小山(狂)

    「陰謀論フェミニズムに汚染されていない女性人権史」を独自に綴る連載の第2回。今回は1800年代前期の産業革命の発展と、それが女性の人権に及ぼした影響について解説していく。 【目次】 第1回:フランス革命とフェミニズムの芽生え(1780年代-1790年代) 第2回:産業革命がもたらした「離婚の権利」(1800年代-1850年代) 第3回:労働者階級の誕生と「女性の私的所有権」(1830年代-1880年代) フランス革命期(1789-)において産声をあげた近代フェミニズムは、しかし老若男女問わずあらゆる階層から拒絶され頓挫するという結果に終わった。 なぜか。端的に言えば、革命の時代において「権利」と「義務」とは不可分だったからだ。ルソー流の「社会契約」とは「あらゆる権利を国家に移譲した人々による人民独裁」であり、兵士として生命権を捧げることも、徴兵に応じて財産権を捧げることもできなかった当時の

    産業革命がもたらした「離婚の権利」|小山(狂)
  • なぜフェミニストは男児向けシェルターの設置に反対するのか|小山(狂)

    なかなかに陰な一件があった。性暴力被害や虐待被害などの過去がある方は注意して閲覧してほしい。 児童虐待とそのサバイバーの問題に取り組む「NPO法人虐待どっとネット」の代表理事である中村舞斗氏のTwitterが「炎上」した。 どのような発言が怒りを買ったのだろう。以下が「炎上」を引き起こした一連ツイートになる。 なんで子どもシェルターとか緊急避難的なところって女性対象のところが多いんやろう。男の子やトランスボーイの子たちは相談もできずに一人で抱えているのではないか。性被害に遭う男の子だっているのよ。ここも狭間というか隙間よなあ。 — まいと@虐待どっとネット (@maitonkm) September 17, 2021 そして性被害だけでなく、児相介入ができなくなり働くこと学校へ行くことができず自立援助ホームに入ることができない男子も制度に乗れず行き場を失ってしまうのだよな。そんな時に一時

    なぜフェミニストは男児向けシェルターの設置に反対するのか|小山(狂)
  • ひろゆきのファン層は「日本語は読めないけど論破したい」人たちだよねって話|小山(狂)

    というわけで、今をときめく「論破王」ひろゆきさんと対戦させて頂く機会に先日恵まれたのですが、その論争がなんとも印象的だったという話を備忘録がてらnoteに残させて頂こうと思います。 論争自体はごく短いものなので興味があったらここら辺のまとめでもご一読ください。まぁそちらを読まなくても記事は読めるようになっています。 ひろゆきジャレド論争まとめレスバあるあるですが、途中で論争のテーマが変化しています笑 最初は「ひろゆきの虚無主義」について自分とひろゆきさんがやりとりをしていたのですが、途中でひろゆきさんがジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を援用して話をすり替えるといういつものやつ荒技に出たため、「ひろゆきはジャレド・ダイアモンドのをまともに読めているのか?」という第二ラウンドがはじまってしまいます。 人間の社会運動で大陸の形が変えられると考えてる頭の悪い人には日語を理解するのは

    ひろゆきのファン層は「日本語は読めないけど論破したい」人たちだよねって話|小山(狂)
  • フェミニストが知らないフェミニズムの歴史|小山(狂)

    フェミニズムの入門書を読むと、大抵いつも同じようなことが書いてある。 曰く、かつて女性は男性の奴隷であり、女性の権利はカケラも認められず男性によって支配されていた。そこから少数の女性が立ち上がり、女性の権利運動を興しはじめた。多くの妨害や中傷があったがフェミニストたちは不屈の精神で闘いぬき、幾世代に渡って女性の権利を獲得してきた。現代を生きるあなたもまた、立ち上がらなければならない──。 マルクスの階級闘争史観を男と女に当てはめただけのこのフェミ史観は、言うまでもなく徹頭徹尾すべてが嘘で塗り固められている。にも関わらず、この「歴史観」を気にしている連中が運動家にも学問フェミニストにも腐るほど居るのだから呆れるしかない。 もちろん、一般の学生や社会人がこうした歴史観を信じ込んでしまうのは不可抗力というものだろう。ほぼ全ての入門書に同じような内容が書いてあるのだから素直に信じてしまうのも無理

    フェミニストが知らないフェミニズムの歴史|小山(狂)
  • 少年は「かわいそうな加害者」のためレイプに応じた|小山(狂)

    あらゆる意味で陰惨としか言いようがない報道が目に入ってきた。 児童レイプ。それも実母による男児へのレイプについて取り上げた朝日新聞の報道である。まずは記事の内容をご紹介しよう。直接的な描写があるので、苦手な方は注意してほしい。 少年によると、少年は母とのふたり暮らし。中学3年のころに、交際相手と別れた母が風呂に入ってくるようになった。 体を洗ってくれ、性器を触ってきた。射精するまで、「ごめんね」と言いながら、手を動かしたという。 そのうちに性交するようになった。部活のない水曜と日曜の夜が多い。母が酒を飲み始めるのが合図で、酔っ払って「お父さんに似ている」と言う。 (中略) 「日曜日に(母が)お酒飲んで襲われた。(今日は避けるために)いまから友達のトコ行きます」 「お母さんとはその後、何回かSEXしてしまっています。精神不安に陥るって言われると断ることができなくて。お父さんに抱かれている気持

    少年は「かわいそうな加害者」のためレイプに応じた|小山(狂)
  • 結局、上野千鶴子は「永遠の少女」だった|小山(狂)

    上野千鶴子の結婚報道が、天地がひっくり返ったような大騒ぎを引き起こしている。当然ながら批判の声が多い。 代表的なのは「<おひとりさま>というライフスタイルを多くの女性に提示しておいて自分だけ結婚するのか!」というものだろう。SNSやWEBメディアで「バズ」を引き起こしているのは概ねそのような意見である。 はっきり言っておくが、筆者はそのような見解からは距離を取りたい。 まず上野千鶴子が「おひとりさま」というライフスタイルを推奨していた事実はない。上野の一貫した主張は(平均寿命の男女差や核家族化により)「いずれにせよ、女性は不可避的におひとりさまになる」というものである。女性は孤立した生活を営むべきと上野が主張したことは一度もない。 また婚姻制度への批判的なスタンスも、あくまで女性の性的自己決定権を擁護するという文脈であり、なにがなんでも結婚は避けるべきと主張していたわけでもない。婚姻時の上

    結局、上野千鶴子は「永遠の少女」だった|小山(狂)
  • 「男なら奢って当然」は今や時代遅れのおばさんワード|小山(狂)

    「奢り奢られ論争」と呼ばれる古くから続く論争がある。 要は「デート代は男性が払うべき」という性規範への是非をめぐる論争なのだが、筆者が把握している限り1990年代には既にこの手の論争は存在していたはずである。なんとも息の長い論争で、これを目にしたことが一度もない、という読者はほぼ存在しないだろう。 息の長い論争なだけあって、主張そのものはあらかた出尽くした感もあるわけだが、とはいえ、論争そのものの重要性はいささかほども失われていない。稼得役割という男性的性規範の最たるものをどのように扱うべきか、という価値判断を問う論争であるからだ。 唯名論と実在論の対立のように古来より繰り返し論争の俎上にあげられるテーマというのはあるものだが、論題にそれだけの重要性があるからこそ繰り返し論じられるのである。 特に「奢り奢られ論争」に関しては、論者の世代交代を伴って新しいフェーズに入ったと筆者は感じている。

    「男なら奢って当然」は今や時代遅れのおばさんワード|小山(狂)
  • 「女性には生理というハンデがある」は完全に嘘|小山(狂)

    「女性には生理というハンデがある」 という、広く唱えられている主張がある。 これは「主張」というよりも「定説」と表現すべきかもしれない。 内閣府の男女共同参画センターも「月経周期に関連するパフォーマンス低下のインパクトは大きくな」っているとWEB上で主張しているし、労働基準法第68条には「使用者は、生理日の就業が著しく困難な女性が休暇を請求したときは、その者を生理日に就業させてはならない」とする一文がある。 このように「月経による女性のパフォーマンス低下」という概念は、既に公に認められ、法にまで定められているのだ。少なくとも日においては。 ちなみに、生理休暇の概念を法で定めている国は世界でも稀で、日韓国・インドネシアにしか存在しない。それ以外の国の場合、「病休」の仕組みの中に包括されていることがほとんどだ。 ー さてこのように、邦には「女性は月経によってパフォーマンスが低下する」と

    「女性には生理というハンデがある」は完全に嘘|小山(狂)
  • 若者の目に女性は「かよわい弱者」ではなく「キモい権力者」として映ってる|小山(狂)

    最近、「若者とは感覚が違うな」と感じることが増えてきた。 もちろん筆者は既に34歳であり、いつまでも若者ヅラができる歳ではない。Z世代と呼ばれる人々とは10年以上の年齢差があるわけで、これだけ歳が違えば常識からセンスから何もかも違うのが当然だろう。 それでもやはり、実際に世代ギャップと直面すると戸惑ってしまうところがある。特に「感覚の違い」を強く感じるのが女性観についてだ。なんというか、若い世代は真剣に、女性を醜い権力者と見做している率が我々世代よりも顕著に高いように感じられるのである。

    若者の目に女性は「かよわい弱者」ではなく「キモい権力者」として映ってる|小山(狂)
  • やさしいニッポンの腐ったフェミニズム|小山(狂)

    この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたよりもっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地にキリスト教という苗を植えてしまった 上は遠藤周作の小説「沈黙」からの引用である。イエズス会の司祭フェレイラは布教のため幕府の目を盗んで密かに来日するが奉行所によって拷問にかけられ遂には棄教に至る。フェレイラは語る。日にはどのような舶来思想も根付かない。沼のように全てを腐らせ、オリジナルとは違うなにかに変質させてしまうのだ、と。 筆者がこの台詞を強く連想したのは、日フェミニズム史を整理するため資料にあたっていた先日のことだ。フェミニズムという濁流を整頓することは容易ではないが、曲がりなりにもいくつかの類型らしきものを見出すことは不可能ではない。そうして整理していくと、日フェミニズムの特

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  • Colaboは「性暴力被害者の支援団体」ではない|狂人note|note

    ようやく、としか言いようがないが、今年1月に入ってマスメディアがColabo問題を報じる機会が少しずつ増えてきている。 住民監査請求の結果が東京都から公開されたのが最後の一押しになったのだろう。各社「しぶしぶ」といった形で最小限の情報のみだが、紙面にてColaboについて報じ始めたのは大きな変化だ。 しかし無視できないミスをほぼ全てのメディアが犯している。左右を問わずあらゆるメディアがColaboを「性暴力被害の支援団体」と報じているのだ。 虐待や性暴力を受けるなどした女性を支援する東京都の委託事業をめぐり、都監査委員が、受託団体の経費計上に不適切な点があるなどとして都に2月末までの再調査を勧告した。 引用:朝日新聞「都監査委員、再調査を勧告 都事業受託した女性支援団体の会計」 東京都監査委員は、性暴力被害に遭った女性らの支援事業を都から受託している一般社団法人「Colabo(コラボ)」(

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  • Colaboのコンドーム配布は「正しい」けれども「間違っている」|狂人note|note

    Colaboが保護女性にコンドームを配布している件があまりよくない炎上の仕方をしているので、「メンタルヘルス領域の支援者」としての立場からコンドームを配ることの是非や支援の現状について解説しようと思います。 筆者の立場をざっくり説明すると「セックスワーカーにコンドームを配布する支援は世界標準のもので有効性がある」とは認識しているのですが、「Colaboの支援手法は肝心のところを見落としているのでむしろ当事者を危険に晒している」とも考えています。 それぞれの理由について、以下で詳しく綴っていきましょう。 「ハーム・リダクション」という考え方ハーム・リダクションとは「苦痛の軽減」を意味する対人支援についての考え方です。もともとは薬物依存の当事者を対象に考案されました。 1980年代、米国やヨーロッパでは麻薬中毒者による「注射器の使いまわし」が深刻な社会問題となっていました。麻薬それ自体も問題で

    Colaboのコンドーム配布は「正しい」けれども「間違っている」|狂人note|note
  • 人文教養を身に付けることのメリットとデメリット|小山(狂)

    最近、けんすうさんという方のnoteマガジンを購読してます。自分のフォロワーはあんま知らないと思うんですが、昔nanapiというノウハウ共有サービスを作ったりした、いわゆる「起業家クラスタ」の有名人みたいな方です。 ノウハウ共有サービスで起業しただけあって、けんすうさんは「ハウツー」とか「ライフハック」みたいな分野にかなり愛着があったみたいなんですよね。学校で教えるまどろっこしい教養より、具体的な課題をクリアするための実践的な知識の方が有益じゃん!みたいな。ただし最近は実践的な知識に全振りすることが自分の知的成長を妨げてる気がするという気づきにいたり、方向修正を試みているらしいとの話ではあるんですが。 なんてことのない、言ってみれば「よくあるビジネスパーソン気付き」的な話だと思われるかもしれないんですが、けんすうさんの「転向」は自分にとってめちゃくちゃ感慨深いものでした。 というのは、自分

    人文教養を身に付けることのメリットとデメリット|小山(狂)
  • なぜいま歌舞伎町で「立ちんぼ」女子が大量発生しているのか|狂人note|note

    Colaboに代表される「若年女性支援」界隈が悪目立ちした影響もあるのだろう。ここ1,2ヶ月で急激に若年セックスワーカーに対する関心が高まっているように思う。 特に新宿大久保公園周辺の「立ちんぼ」はメディアの恰好のネタになってしまったようだ。週刊誌やWEBメディアなどに加え、迷惑系インフルエンサーのような魑魅魍魎までもが彼女らに群がる状況が生まれてしまっている。 確かに若い日人女性が「立ちんぼ」として街頭に立つというのは衝撃的な光景だ。もちろん街頭に立つセックスワーカーが今まで皆無だったわけではないのだが、大抵は出稼ぎ外国人やまともな店舗では働けなさそうな高齢女性であり、大久保公園周辺で見られるような若い普通の女性が街頭に立つということは絶無に近かった。 大久保公園の相場は番込みで1万円から2万円とべらぼうに安く、未成年売春が頻発しているという報道もあり、体感治安は著しく低下したと言わ

    なぜいま歌舞伎町で「立ちんぼ」女子が大量発生しているのか|狂人note|note