「タンクのハンク」とされる巨漢熊=Bear League via The New York Times/©2022 The New York Times。DNA鑑定で、「ハンク」は少なくとも3頭いることが判明した
![リゾートの街に出没する巨大クマ、押し入った民家は数十軒 残った策は安楽死だけ?:朝日新聞GLOBE+](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e2d3391c9f2f6907b75dd6ec39fa1741937e3d1b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fp.potaufeu.asahi.com%2F9de7-p%2Fpicture%2F26715826%2F278adc1cb29530ef89ffdaf0c16cb561.jpg)
「タンクのハンク」とされる巨漢熊=Bear League via The New York Times/©2022 The New York Times。DNA鑑定で、「ハンク」は少なくとも3頭いることが判明した
すしにキムチにカレー。食には必ず起源となった民族や国がある。それを侮辱する行為がいま問題となっている。食文化の盗用だ。 食の世界でも、文化の盗用という考え方が主要な論点となっている。ある民族や国のバックグラウンドを持つ料理人やフードライターが、別の食文化の食ベ物を扱う時に問題は起きる。一番問題に見えるのは、ソーシャルメディアのご意見番がたが懸念する限り、ある国が歴史的に搾取したり抑圧したりした国の文化から食べ物を横取りする場合である。米国人シェフがメキシコ料理を、フランス人シェフがモロッコ風料理をつくるというような。 国家単位で他国の料理を盗用していることもある。たとえば英国がインド料理に対してそうであるように。チキンティッカマサラ(カレーの一種)は明らかに英国統治下のインドにルーツがあるにもかかわらず、おそらくほとんどの人が典型的な英国料理として受け入れるだろう。そのプロセスの発端が何百
「ハバナ症候群」という謎の症状を訴える職員が相次いだキューバのアメリカ大使館=2016年11月、ハバナ アメリカのネットメディアBuzzFeed Newsが2021年9月、機密解除になったアメリカ国務省による科学報告書を情報公開制度で入手し、報じた。その内容が驚きをもって受け止められている。 これまで原因不明の「怪現象」として注目されていたハバナ症候群は、コオロギによる可能性が高いというのだ。加えて「心因性」による集団心理の影響も指摘している。 このコオロギは学名をAnurogryllis celerinictusといい、非常に特徴的な高い鳴き声だ。アメリカのウェブサイト「Singing Insects of North America」が録音データを公開している。 注目すべきは、この調査が実施された2018年時点で、現在までアメリカ政府が有力視してきた「マイクロ波」や「超音波」による攻撃
■「翔んで埼玉」意外な海外での高評価 人口約730万人の埼玉県。南側が東京都と接し、JRや私鉄などが上野や池袋、新宿、渋谷といった都心と結ぶ。通勤や通学で都内に通う県民も多く、愛郷心が弱いとされてきた。 だが近年、県出身で埼玉大学卒の梶田隆章さん(61)がノーベル物理学賞を受賞。同じく県出身で「日本資本主義の父」と称される実業家の渋沢栄一(1840~1931)が新しい1万円札の肖像画になることが決まり、県をネタにしたコメディー映画「翔んで埼玉」が興行収入37億円を超える大ヒットとなるなど、勢いづいている。 映画「翔んで埼玉」は興行収入が37億円を超える大ヒット。日本アカデミー賞で最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀編集賞を受賞した=©2019映画「翔んで埼玉」製作委員会 「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」「埼玉なんて言ってるだけで口が埼玉になるわ!」。映画「翔んで埼玉」は、埼玉
日米で活躍するある日本人俳優がこの春、ハリウッド映画界で「日本人が差別されている」とTwitterで訴え、注目を集めた。リスクを負ってまで彼が「身内」批判に踏み切った理由とは――。本人がオンラインインタビューに応じた。(聞き手・小川尭洋) 俳優は松崎悠希さん(40)。1999年に渡米し、「硫黄島からの手紙」「ピンクパンサー2」など、多くのハリウッド作品に出演している。近年はキャスティングも手伝っている。 ハリウッドで活動する中で、撮影現場や作品描写で繰り返される日本人への差別や偏見を目の当たりにしてきたという。やり取りは次のとおり。 ――ハリウッドで活躍している松崎さんは、これまで何度も差別に遭ってきたそうですね。 2011年、アメリカドラマ「メル&ジョー 好きなのはあなたでしょ?」(2010~2015年)に出演した時のことです。僕が衣装合わせやメイクをしていた時、アメリカ人のプロデューサ
ソ連が崩壊してから12月25日で30年になる。史上初の社会主義超大国としてアメリカと世界を二分し、冷戦を繰り広げたが、経済の悪化や、政権弱体化を招いたゴルバチョフ氏の改革などにより、1991年に消滅した。 物不足、厳しい情報統制…そんなイメージが強いソ連だが、実際はどうだったのか。1980年代末から崩壊までのソ連で子ども時代をすごし、現在は日本で声優として活躍しているジェーニャさんに「私が生きたソ連」を語ってもらった。 ソ連の記憶について語る声優のジェーニャさん ――ソ連での暮らしぶりを教えて下さい。 私はシベリアのノボシビリスクという都市で生まれたんですけど、父が軍人だった関係でリャザンやゴーリキー(現在のニジニノブゴロド)など転々としていました。 ものは少なかったですね。それはあとから分かったことで、当時は普通だと思っていました。商店に行っても、陳列棚が空っぽの記憶しか残っていません。
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