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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (5)

  • 『迷宮組曲』・連射測定の謎を解く | Colorful Pieces of Game

    『迷宮組曲』にはちょっとしたオマケとして、タイトル画面で連射速度を測定できるようになっていた。 <キミの連射は秒速何発?> このソフトには、直接ゲームとは関係ないけれど、楽しいオマケ機能がついているんだ。それが連射測定機能だ。タイトル画面のときに、Aボタンを押すと測定機能が働きだす。それから10秒間は、キミの全パワーをAボタンにそそぎこむのだ。10秒以上連射すると、画面の中央上部にキミの10秒間の平均連射数が表示されるんだ。だから、その数字を10で割った数がキミの1秒間の発射回数になるわけだ。これでキミの連射スピードをはかることができるんだ。ちなみに高橋名人の連射速度は秒速16.2発。キミは、名人をこえることができるかな・・・・・・。 『ゲームの説明書』より 画面の上には数字が出るだけで、リセットボタンを押す以外には消す方法もないっぽい乱暴な機能だけど、まあ当時だからOKだ(リセット以外で

    gigi-net
    gigi-net 2021/02/05
    おもしろい
  • FFIVとSFC | Colorful Pieces of Game

    五月雨式に要素の話は書いていたけれど、続けて編を書いていなかったのには理由がある。 マジメに書くのが馬鹿らしくなっていたからだ。ま、残しているが、ブログについたあるコメントが、あまりに失礼で、スタッフまで馬鹿にするような、何も知らない人間の不愉快極まりないコメントをつけられて、こんな馬鹿らしい思いをして書く必要はないと思ったので、書く気が失せてしまったのだ(今、読んでも失礼で気分が悪くなったのでポイントしない)。 だけど「お前が書かないと残らない」とか「書け」とか、当時のスタッフやら友達に言われまくったので、ま、出来るだけ最後まで続けて書いていくつもりである。なお、自分の記憶で自信がないところがかなりあるので、クボキュウ・松田君・山根・その他、あんときiv書きながら「ゼルダ最高だあ!」って1日SFCゼルダやってた、某蛯名まで、とっつかまえて、クロスチェックして書いてくつもりである。 と、

  • PCエンジン時代の圧縮技術::Colorful Pieces of Game

    1988年に初めてプロとしてハドソンでゲームを作れることになったとき、ハドソンではゲームを作るときデータ圧縮をするのが当たり前だった。 テキスト、グラフィック、マップ…ともかく圧縮できるものは全て圧縮するのが当たり前だった。 で「ウチは圧縮するのが当たり前になっているから、他よりゲーム規模が大きく出来てお得感があると思うんだよね」と(少々自慢気に)飛田さんが話していた。 確かにファミコン最初期の『ロードランナー』からして、普通に作ったのでは絶対に入らないはず(APPLEIIのディスク前提のゲーム、つまり128KBあるはずのものを16KBに移植している)なので、入れるためにはデータ圧縮になるよなあと思う。 だから、そこらへんの移植の経験から圧縮するようになったのだろうと想像していたのだけど、どうしてコレを始めたのかについての当の理由がわからなくて、facebookでそこらへんを始めた頭目っ

    PCエンジン時代の圧縮技術::Colorful Pieces of Game
  • PCエンジンの倫理規定::Colorful Pieces of Game

    とはいっても、まあ18禁はなかったのだけど、それでもファミコンと比較した時、PCエンジンは最初から全体にヌルくて、例えばPCエンジン初期のナムコの『妖怪道中記』の乙姫様のストリップふうな踊りだの、『コズクミックファンタジー』みたいにギリギリのサービスシーンのようなものが普通にあった。 ついでに書くと、1990年あたりになると乳首ポロリもフツーになるのだけど、これがどこらへんからフツーになったのかはよくわからないが、アートで容量の無駄使いをしてもなんとかなるCDROMが登場してからなのは間違いない。そして『ウルトラボックス』では間違いなくやっていた。 ただ、当時(80年代後半)はもともとそこらへんが緩くて地上波で平気で乳首が出る世界だったから、そう驚くことでもなかったと思う。 むしろ任天堂さんの方が子供向けってことで厳しかったに近いと思っている。 ところが、この倫理規定が全くなくて、なおかつ

  • ハドソンがファミコンに参入するまで(4)::Colorful Pieces of Game

    ところで、何人かから質問されたけれど、今回の話がハドソンの解散に重なったのは全くの偶然だ。 どうしてこんなことを調べだしたのかといえば、たまたまTwitterでM2のほりいさんたちとハドソン参入前後の話になり、自分が雑に当時聞いた話をしゃべったところで「待てよ、これは当なんだろうか?」と思ったのが最初だ。 ハドソンの連中が昔はなんでも解析してたのもICEぶっさしてたのも知ってたし、確かファミリーベーシックを書いたのも知ってたし、だいたいどんな風に参入したのかの話も聞いたことはあったけれど、そこらへんの知識が自分の中で入り混じって、どこまで正しいか自信がなくて、ちょっと当時のハドソンの中核メンバーにお気楽に聞きはじめたのが最初だ。 いざ調べだすと、当時のPC事情や、実はハドソン東京が格的な開発拠点を持っていたこと、参入の流れが自分が思っていたのとゼンゼン違うことなどなど、いろいろわかって

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