photo by mikecogh 正論ってのは往々にしてすり合わせを拒むことが多い。 「正論」だからまさに正しくて非の打ち所がない。 妥協点も無いほどに研ぎ澄まされた正論は、時として実社会において害をなすことがある。 正論なのに何故に正しくないのか?という疑問は当然だろう。 それを説明したい。 会社で行なわれる会議を想像して欲しい。 もちろんその会社における理想というものはある。会議の議題として売上をアップするにはどうしたらいいかというのは、あまりにありふれているのだけれど、その場合におけるアイデアと言うのは各部署によって様々だ。 その中には現場に苦行を強いるケースもあれば、管理側に責任をなすりつける場合もある。 そういった喧々諤々の議論の中で最終的にひねり出される案は妥協の塊だ。 これは決してネガティブなことではなく、日常的に過去から現在に至るまで日々行なわれている。 そのなかであまり