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ブックマーク / dailyportalz.jp (12)

  • ものすごくやわらかいようかんがある

    1971年東京生まれ。イラストレーター。ドクロ服、ドクロ雑貨集めに情熱を燃やしすぎている。ほかにはワニ、ウツボ、ハダカデバネズミなど毛の生えていない動物も好む。著書に「しろねこくん」、「ココロミくん」、「ひとみしり道」、「ばかスイーツ」などがある。(動画インタビュー) 前の記事:プッチンプリンONプッチンプリンの発見

    ものすごくやわらかいようかんがある
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    gilbondp 2023/04/18
  • 短いつっぱり棒、エスコンフィールドの巨大なレール、ヨーグルトコーヒー~超短い記事

    一口サイズだけど記事ぐらいの満足感がある。そんな短すぎる記事を集めました。今週は11。進行役は編集部 林です。 一直線の歩道橋スロープ 野菜ジュースがうつくしい 9cmのつっぱり棒 ドイツ語ではジャム全般のことをマーマーレードと呼ぶ 北海道の新球場には屋根を動かすための巨大なレールがついている 日比谷公園のイスが七輪に見える 新宿のファミリーマートが2つあるような交差点 横浜駅東口に箱人がいる 日橋観光案内所の前にタイムカプセル ヨーグルト入りコーヒーがうまかった ガストでファンタメロンにメロン風味を足すことができるが…

    短いつっぱり棒、エスコンフィールドの巨大なレール、ヨーグルトコーヒー~超短い記事
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    gilbondp 2023/04/18
  • おくのほそ道・二十四節気をツアーTシャツにした

    天気予報で立春、春分、夏至など季節を表す日を耳にする。 あれは1年に24つあり、二十四節気と呼ぶのだそうだ。 日付が並ぶ一覧を見ていて思った。バンドのツアースケジュールみたいじゃん。

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    gilbondp 2023/04/18
  • モノボケを電話に限定したら優しい世界が広がった

    「健やかなるときも、病めるときもアホなことだけを書くことを誓いますか?」 はい、誓います。 1974年生まれ。愛知県出身、紆余曲折の末、新潟県在住。 前の記事:遠距離ジェスチャー > 個人サイト 日海ぱんく通信 すべてを電話に見立ててボケる モノボケでは、とかく別の物を電話に見立てるのがポピュラーである。 ということで今回は、見立てるものを電話に限定してモノボケしていくことにする。 「なんでも電話に見立ててください」 編集部から林さん、安藤さん、そしてイラストレーターのべつやくさんとともに電話限定モノボケをスタートした。 電話に出来そうなものを探す 実の所、今回は新潟在住の私が4月1日に上京して撮影するスケジュールだけを先に決め、何を撮影するかについては3月30日に慌てて林さんと決めた企画であるため、果たしてどうなるのか、とっても心配である。 電話限定モノボケスタート まず、口火を切った

    モノボケを電話に限定したら優しい世界が広がった
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    gilbondp 2023/04/18
  • Bean to Bar はカカオの個性を楽しむチョコレート

    1984年岐阜県生まれ。変な設定や工作を用意して、その中でみんなでふざけてもらえるような遊びを日々考えています。嫁が世界一周旅行中。 前の記事:今日だけは餃子の皮を具で包んであげる > 個人サイト 平日と休日のあいだ 嫁が世界一周旅行中の旦那 Bean to Barは「全部自分でやる」チョコレート やってきたのは、横浜駅から相鉄に乗ること5分、天王町駅の近くにある「2U chocolate」(トゥーユーチョコレート)。 奥の工房でチョコレートを製造。販売もされているし、店内のカウンターでべることもできる。 今回は、こちらのお店を営んでいる西山佳孝さんにお話をうかがった。 西山さんは学生時代の同級生。彼は西山だから「ニッシー」、僕は岐阜県出身だから「ギフ」と呼ばれていますが、記事では西山・高瀬でいきます。 高瀬:そもそも「Bean to Barチョコレート」って何なのでしょう? 西山:ひと

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    gilbondp 2020/07/16
  • 私が選んだデイリーポータルZベスト盤:tofubeatsさん

    これまで2万に迫る数の記事を公開してきたデイリーポータルZ。読者はどの記事が好きで、どんな読み方をしているのだろうか? 読者を訪ね「デイリーポータルZの好きな記事」を教えてもらう月イチ連載。今回の読者ゲストは、音楽プロデューサーのtofubeatsさんです。 ここの文とインタビューまとめ:榎並紀行(やじろべえ) 読者歴10年以上 音楽プロデューサー・DJのtofubeatsさん。学生時代から10年以上にわたり、数々のアーティストのプロデュース、楽曲提供を続けてきた。 そして、なんと10年以上にわたるデイリーポータルZ読者でもあった。それも、かなり熱心な。 tofubeatsさん。1990年、神戸生まれ。中学生から音楽制作を開始し、大学在学中から様々なアーティストへの楽曲提供、リミックス、プロデュースを行う。2013年にワーナー・ミュージック・ジャパンからメジャーデビュー。6月12日にはリ

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  • 住んでみた物件がたいへん愉快だった話

    「愉快だったなぁ」「おかしかったなぁ」などの思いとともに心に残っている物件ないでしょうか。……と全世界を対象に募らせていただいたところ、楽しい話や激しい話がたくさん集まりました! さっそく紹介させてください。 ※投稿は、一部編集・抜粋をさせていただいたものもあります。何卒ご了承ください。

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  • 太陽系ネックレス(デジタルリマスター版)

    1971年東京生まれ。イラストレーター。ドクロ服、ドクロ雑貨集めに情熱を燃やしすぎている。ほかにはワニ、ウツボ、ハダカデバネズミなど毛の生えていない動物も好む。著書に「しろねこくん」、「ココロミくん」、「ひとみしり道」、「ばかスイーツ」などがある。(動画インタビュー) 前の記事:マイナーリーグのチーム名が気になっています

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  • 対馬の伝統養蜂がおもしろい 〜蜂洞とニホンミツバチ〜

    長崎県の対馬では特殊な養蜂が盛んである。 一般的なセイヨウミツバチではなく、日在来のニホンミツバチを伝統的な「蜂洞(はちどう)」という巣箱で育てるのだ。 そしてニホンミツバチの巣から取れるハチミツは…抜群に美味い。今回は対馬式養蜂の実態を探ろうと思う。 『蜂洞』探して対馬へ! 我々が普段べているハチミツのほとんどは飼育が容易かつ蜜の収量が多いセイヨウミツバチ由来のものである。手間がかかり採蜜効率の悪いニホンミツバチを飼育する養蜂家は非常に少ない。 地域ぐるみで伝統的なニホンミツバチ飼育を続けハチミツを採っているのは日広しといえど対馬くらいのものなのだ。 ニホンミツバチのハチミツ(和蜜とも)は対馬の特産品。かなり色合いが濃いのが特徴だ。 というわけで9月下旬の対馬へとやってきた。 だが今回は渡航当日に対馬へ台風が直撃、歴史的な好天に見舞われてしまった。蜂への影響が気になるところだが、果

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  • パリの地下が骨だらけだった

    行く先々で「うちの会社にはいないタイプだよね」と言われるが、人はそんなこともないと思っている。愛知県出身。むかない安藤。(動画インタビュー) 前の記事:山梨県のおすすめ教えてください!~「投稿頼りの旅」in山梨~ > 個人サイト むかない安藤 Twitter フランスの葬儀事情 キリスト教的考え方では、この世が終わるときにイエスが現れて、全人類を天国に行く人と地獄に行く人とに判別することになっている。最後の審判というやつだ。 ここでややこしいのは、「全人類」というのが生きてる人も死んでる人も含めての「全」なのだ。つまり現世で死んだからといって最後の審判は下るわけで、そうなると火葬してしまっていると都合が悪い。 ざっくり言うとそういう理由で、キリスト教の国では人が死ぬと土葬するのが一般的である。アメリカなんかで墓からゾンビがにょろにょろと出てくる映画やマンガを見たことがあるだろう、あれは土

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  • 体内に30年埋まっていた鉛筆の芯を取り除く

    およそ30年前、弾みで左手の甲に深々と刺し、そのまま残ってしまった鉛筆の、芯。たくさんの出会いと別れを繰り返す中で、常に私の人生の傍らにありつづけた鉛筆の芯。そんな相棒とも呼べる存在を、先日ついに取り除きました。 さようなら、ありがとう。 この記事は、鉛筆ホクロ、君への弔辞です。 ※写真と文章は別々の話としてお読みください。

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  • 50年前に2万人の移住で九州文化が大流入! 千葉県君津市はまだ少し九州だった

    僕は千葉県出身なのだが、そんな地元民の間でも地味な扱いの「君津市」。しかし、この君津は全国まれに見る大移住があった。 1960年代後半に八幡製鉄(のちの新日鉄)が君津に大規模な新工場を完成、工員やその家族などおよそ2万人もの北九州人がやってきた、日史上にも残る「民族大移動」。 君津ではもっぱら北九州の方言が使われ、九州料理が出すお店がたくさん登場し、九州カルチャーが街を占拠した。当時、君津は九州だったのだ。 しかし、今は移住格化したときから50年も経った。そんな「リトル福岡」の今はどうなっているのかをこの目で確かめたい。 僕はバスタ新宿から1470円の高速バスで、アクアラインから房総半島を目指した。 ライター、番組リサーチャー。過去に秘密のケンミンSHOWを7年担当し、ローカルネタにそこそこくわしい。「幻の○○」など、夢の跡を調べて歩くことがライフワークのひとつ。ほか卓球、カップラー

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