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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (174)

  • 米国大統領選挙予測技術: 極東ブログ

    米国大統領選挙の予測技術が変化している。変化せざるをえない。従来の世論調査や経済志向に基づく予測手法では、複雑化する米国選挙情勢は捉えきれなくなった。米国では社会的分断が深刻なほど進み、選挙戦となれば過剰なほどの接戦化する中で市民の意思の流動も激しく、実態が掴めず、常に新しい選挙予測モデルが模索される。というわけで、ブロガーもお勉強してみるというわけだ。 米国では当然ながら、大統領選挙予測技術が話題になるし、なり続けてきた。2008年の米大統領選挙で注目された「FiveThirtyEight」や2012年の大統領選挙のために開発された「Votamatic」など、それぞれに当時は高い予測精度を誇った。が、2016年選挙では失敗。全国レベルの支持率などの予測からでは、もはや現在の大統領選挙結果を正確に予測することができそうにもない。マスメディアが採用する州レベルでの予測でも従来のモデルは限界を

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    gimonfu_usr 2024/11/01
    ( 米国 )
  • 現代に蘇る『源氏物語』: 極東ブログ

    久しぶりのブログという感じになってしまい、近況というのもなんだが、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』を楽しく見ている。藤原道長と紫式部の若き日の秘められた恋といった、ラノベ(ライトノベル)のような展開も面白いが、そこここに『大鏡』や『小右記』などからの史実に『蜻蛉日記』をまぜたりするのも楽しい。これからは『御堂関白記』や『枕草子』もまぜていくだろうと期待が高まる。『源氏物語』を仄めかす趣向も楽しい。『光る君へ』というタイトル自体この趣きもある。今回の大河ドラマを好むのは私だけではなく、令和六年の『源氏物語』ブームといった印象も受ける。が、この『源氏物語』、一千年も昔の物語の反面、現代の反映もあることも興味深い。連想される一番大きな話題は、五年ほど前に発見された写である。この後続の話はなお興味深い。 発端は五年前、三河吉田藩主・大河内松平家の子孫の実家に源氏物語を書写した写があるとして、

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    gimonfu_usr 2024/04/25
     定家(1162~1241)による現存最古の「若紫」写本と同時に、発見された、"三河吉田藩主・大河内松平家の子孫の実家"の "茶道具を包んでいた反故紙や裏白紙"の"何か"の書写
  • [書評] 存在消滅(高村友也): 極東ブログ

    著者の高村友也さんから著書『存在消滅』をいただいた。高村さんは、このブログで私が死の恐怖に絶叫する話を読まれ、共感されたらしい。まあ、そういう人が世の中にはいるのだ。 書にも登場するが哲学者・中村義道が哲学者・大森荘蔵に哲学の門を敲いたときも、ようするにこれだった。死の恐怖である。大森は、たしかこう言ったらしい、「あの、お腹のそこにずどーんとくるやつですね」と。正確な言葉ではないが、死の恐怖というものを味わった人間ならたぶんお馴染みだろう。 私の場合は、ブログにも以前書いたが、世界がぎらぎらしだすというのがある。薄暗い寝室で眠れず、死の恐怖が極まると、世界がぎらぎらと輝き出す。目をつぶる。絶叫することもある。死の恐怖というのは、まじで来るもんだ。高村さんは、書で「呼吸ってどうするんだっけ」的なことを書かれている。 これに解決はあるか。 ない。 書が、いいだなあと思ったのは、そのこと

  • 数値から見た今の新型コロナウイルス感染症の風景: 極東ブログ

    数値データが与えられたとき、人はそこから何を読み取るかという課題に暗黙のうちに置かれがちだ。そしてそこには、なにか読み取るべき真の答えがあるかのようにも感じさせる。これが絵画であれば、何を読み取るかは、つまるところ自由だと言っていい。絵画の知識によって読み取りが深まることはあるだろうし、勘違いが減ることはあるだろうが、それでも、最終的に受け取るものを大きく制約しない。他方、そのある種の自由に至るために、人はそれを、飽くこともなく眺めることになる。というように、数値から見た今の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の風景を3点、眺めてみた。どちらかといえば、死者のいる風景として。 人工呼吸器の風景 COVID-19の重症の規定は、呼吸困難(呼吸回数や酸素飽和度)や肺滲潤影などによるだろう。が、簡単な視点は人工呼吸器であり、体外式膜型人工肺(Extracorporeal membrane

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    gimonfu_usr 2020/07/19
    (/高齢化 )
  • 安倍首相の「断腸の思い」は私には伝わった: 極東ブログ

    私は、いちおう述べておけば、自民党支持でもないし、安倍晋三首相の支持者でもない。ただ、それでも、彼を擁護するかに聞こえる発言をしようものなら、それだけで批判されるという昨今のネットの空気も知っているが、これは、書いておこうかと思った。 北朝鮮の国家組織による犯罪行為として、1977年(昭和52年)11月15日に、袋詰と思われる非人道的な方法で拉致された13歳の女子中学生・横田めぐみさんの父、横田滋さんが5日老衰で亡くなった。無念であっただろうと思う。 これを受けて安倍首相は、記者団に対し、思いを述べたのをNHKニュースで私は見た。曰く、「総理大臣としていまだにめぐみさんの帰国が実現できていないことは断腸の思いであり、申し訳ない思いでいっぱいだ」と。涙は流していないが、詰まらせている声はいつも喋り下手ではなく、涙が出そうな感情をこらえているように見えた。もちろん、これは私の主観である。が、彼

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    gimonfu_usr 2020/06/06
    北朝鮮が拉致を公式に認めた""それ以前の言論界の空気を私は知っているが、北朝鮮が日本人を拉致したなど疑念を持とうものなら、陰謀論扱いされ、非難された"/"1965年、日本が韓国に提示した5億ドルに該当する支援"
  • この夏、東京オリンピック2020eの実施に向けて: 極東ブログ

    来年に延期が決定された東京オリンピック2020だが、国際オリンピック委員会(IOC)は、これとは別に東京オリンピック2020eとしてこの夏、eスポーツの大会を実施する検討に入ったようだ。これには、世界保健機関(WHO)の#PlayApartTogether (みんなおうちでヴィデオ・ゲームしましょう)イニシアティブも、最後のひと押しとして影響したらしい。 「東京オリンピック2020e」のeは、eスポーツのeである。すべての競技をコンピューター・ゲームで再現し、しかも、パラリンピックの壁もなくして、多様な障害者の参加を可能にするという。 eスポーツとは、「エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)」の略称で、コンピューター・ゲーム(モバイル・ゲームなど含む)を複数の参加者で競技することだ。そもそも「スポーツ(sport)」という言葉は身体スポーツに限定されない。チェスな

  • 東京都と隣接4県での不要不急の外出の自粛の、この時点の感想: 極東ブログ

    昨日26日、小池東京都知事は、隣接する4県、神奈川、埼玉、千葉、山梨の知事とともに市民社会に向け、人混みへの不要不急の外出自粛を要請した。 私はどう思ったか。まあ、週末は気温も下がり雨模様なので最後の桜を楽しむといった天候でもないから、おうちにいるのも無難だろうかとは思った。 もちろん、買い物や散歩(ランニングとかも)まで自粛せよというものではない。一人静かに雨の花見もよいものだろう。俳句の季語でいうなら、「花の雨」「雨の花」といったところだ。 日国政府に目を向けると、安倍首相は、今日27日の参院予算委員会で東京都内の新型コロナウイルス感染者急増を問われ、「仮にロックダウンのような事態を招けば、わが国の経済にもさらに甚大な影響を及ぼす」と答えたようだ。つまり、彼にはロックダウン(都市封鎖)は避けたいという思いはあるらしい。なにより、日は緊急事態宣言にも至っていない。 さて、「東京都内の

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    gimonfu_usr 2020/03/28
    "その背後にあるのは、一定の感染者数を容認し、集団免疫を獲得させること"
  • 即位礼正殿の儀のこと: 極東ブログ

    朝、NHKの番組表を見ると、ほとんど終日、即位礼正殿の儀の番組なので呆れた。平成の時もそうだったろうかと思い出そうしたが、記憶が今ひとつ曖昧だった。30年前と違いは、いろいろあるだろうが、そうだな、ネットの反応、特にSNSの反応というのも大きな違いなるにだろうと思った。 ネットを覗くと案の定、関心を持つ人は多そうだった。天皇を好意的に受け止める人がこうも増えたものかと思い、こうした傾向は日ナショナリズムの一つの達成でもあるのだろうなと他人事のように思い、なんの気なしに私もつぶやいた。 皇室が偉いというのは、国民国家意識が芽生えた江戸時代にできたもんだと思う。 それが、プチ炎上した。というか、罵倒を数多くいただいた。概ね、間違っている、歴史も知らないのか?、古典を読め、バカじゃね、といった類で、簡素なものだった。まあ、Twitterにありがちなことだし、その人たちに、①朱瞬水から水戸学の流

  • 〈物語シリーズ〉という物語: 極東ブログ

    先日ネットで「アニメ〈物語〉シリーズ10周年」という話題を見かけた。私がこの物語をアニメで見たのは、近年のことなので、10年前のことは知らない。調べると、2009年7月に始まり、最初のクールの12話はその9月から10月に終わった。これで10年というのもうなづける。と、ブログの記事を書いてみたいと思ったのは、この物語の複雑さについてである。 私がこのアニメを知ったのは、たまたま「ひたぎエンド」の一部分を見たことだ。アニメ表現のある種の異常さ、物語の異常さ、キャラクターの異常さ、そうした異常なるなにかが、どうしてできたのだろうかと疑問に思ったのである。 そしてこの物語を知りたいと思った。が、まず最初に当惑したのが、物語の始まりがどこにあるのかわからないことだった。そんなことはない、アニメの最初は10年前だろうということはわかる。これが、『化物語』である。ヒロインである戦場ヶ原ひたぎが登場し、彼

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    gimonfu_usr 2019/10/06
     ( "このアニメの全貌にアクセスしにくい時代になってきた"" 大暮維人のコミック版が開始され、読みやすい。" )( とにかく『恋愛サーキュレーション』だな。)
  • [書評] 絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか: 極東ブログ

    人類史関連のを探していたら、アマゾンが『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』を推してきた。まあ、一般向けのなら軽くて読みやすいだろうと、さほど期待せずに読んだら、これがまさに自分が読みたいだった。自分も知らなかった新しい知見が読みやすく書かれているので、いつの作品か見ると、2018年1月だった。内容的には2009年原書の、『そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史』とかぶる感じもあったが。 表題からすると、「絶滅」が注目されるが、普通に、最先端の人類学を簡素にまとめたになっていた。自分の人類学の知識をリニューするいいきっかけにもなった。 一番、これはまいったなあと思ったのは、コンラート・ローレンツの攻撃についての考えがあっさりと否定されているところだった。ローレンツは私が中学生のときに大きな影響を受けた学者で人生観の基礎になっているのだが、うあ、否

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    gimonfu_usr 2019/09/23
    ( う~む。)
  • 千葉県の広域停電と過疎地域: 極東ブログ

    台風15号の影響による千葉県での広域停電の状況を報道社による地図で見ていくと、概ね、台風の軌跡をなぞっていることがわかるが、過疎地域を浮かび上がらせたような印象もあったので、過疎について考えるきっかけにもなった。 千葉県での停電復旧が遅れている理由は、想定外の被害であっ たということだろう。地形が複雑なことや樹木倒壊による交通の遮断なども復旧の妨げになっている。過疎そのものが影響したとは言えないだろう。だが、過疎地域の災害対策はどのようにあるべきかは今後も問われるだろう。過疎であれ、人が居住する地域であれば、水道と電気のサービスは欠かせない。が、その災害時のレジリエンスをサービスに含めたとき、公費とのバランスは問われてしまうし、なにより、地方自治体に十分な資金はないだろう。この問題に簡易な解答はないように思われる。 関連して関東地域での過疎の状態を見ておこう。平成28年の総務省『過疎関係市

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    gimonfu_usr 2019/09/15
    (原発はいまでも多くの国でベースロード電源。むしろ増加。無意味な停止は収益に益せず地域配電能力どころか原発安全維持能力削ってますよ。http://www.gepr.org/ja/contents/20150323-03/)(https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00497255 )
  • 国際英語としてのグロービッシュ(Globish): 極東ブログ

    令和時代となり新天皇の活躍が報じられるなかで、彼の英語スピーチを聞く機会が増えた。天皇が英語を自然に使いこなすのは素晴らしことだと思うので、些細なことではあると思うが、その発音は、見事なまでにジャパニーズ・イングリッシュだった。皮肉ではなく、見事なまでに日人の英語という発音である。むしろ、彼の発音をもとに日政府が、ジャパニーズ・イングリッシュとして規定したらどうかと思った。安倍首相や河野外相の英語なども総じて、ジャパニーズ・イングリッシュでもあるし。 繰り返すが、アイロニーとして言っているのではない。日人の英語としてここまでは許容といういう規定を決めておけば、英語学習者にはむしろ便利だろうと思うのである。 具体的に私が試案でも書いてみようかと思い、いくつかメモをとっているうちに、国際英語としてのグロービッシュ(Globish)のことを思い出した。なお、ここでいうの「グロービッシュ」は

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    gimonfu_usr 2019/08/28
    ( どっちにしてもワシはもう手遅れだが若いヒトはガンバ )
  • 映像化される「私」の自己確認とでもいうか: 極東ブログ

    これってなんだかアニメみたいだなと思うことがあって心にひっかかっている。それが社会問題なのだと声を上げたいわけでもない。映像化される「私」の自己確認とでもいうか。まあ、とりあえず3つほど書いてみよう。 いきなりパノプティコン 京アニ放火事件の容疑者が、街中を歩く光景をニュースとしてなんども見せられた。それほどそんな映像を見たいとも思っていないのに、見る機会は多かった。それと、「あおり運転男」の関連映像もそうだった。 何か事件があると、その人の街中の映像がよく流れる。そりゃ、あっちこっちに監視装置があるんだから。 監視社会というのは簡単だが、なんとも奇妙な幻想が入り交じる。あの溢れんばかりの監視装置に私も監視されている。どこにいても監視されている。そういう自分を受け入れているし、どこかしら、幻想のなかで、そういうふうに映像として自分を見ているような気がする。 自分がいつも見られている社会の完

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    gimonfu_usr 2019/08/21
     ( "奇妙な抵抗の感覚" と"一種の安心感" )
  • 日韓の軋轢で、韓国はどうすればよいのか?: 極東ブログ

    日韓の軋轢で、韓国はどうすればよいのか? 残念ながら、私には、なんのアイデアもない。 理由は簡単で、日リベラルな知的空気では、日韓の軋轢については、過去の経緯を見てもそうだが、日が無限に譲歩すべきであって、韓国側がどうすべきかということは問えない、と感じているからだ。 そして、私はその知的空気に抗う意見があるわけでもない。メリットも気力もない。しかたないなあと思うくらいだが、さて、この問題を国際的な視点から見ると、どうなるのだろうか。そんな関心で、つらつら、英米圏のメディアを見ていて、ふと、こういう考えは、日の知的空気のなかでは、なかなか出せないかなと思う意見があった。Diplomat誌に掲載された”What's Driving Japan's Trade Restrictions on South Korea?”というコラムである。執筆者は、MIT政治学でPh.D課程にあるMi

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    gimonfu_usr 2019/08/03
    "日本のリベラルな知的空気では、日韓の軋轢については、過去の経緯を見てもそうだが、日本が無限に譲歩すべきであって、韓国側がどうすべきかということは問" わない。(わりと日本国リベラルは神風的精神主義)
  • 香港大規模デモについて: 極東ブログ

    現下の香港の大規模デモについては、日のメディアでもけっこう報道されていることと、このブログでは香港の民主化についてこれまでも扱ってきたので、ごく簡単に言及しておきたい。 まず、なぜデモなのか?という原点を確認したい。これがもっとも重要な点だとも言える。理由は、議会が普通選挙による民主的な議会ではないためだ。日のように普通選挙が実施されている民主主義国なら、市民はデモを行っても当然よいが、政治参加としては投票に次ぐものになる。ところが、香港には、市民の普通選挙がない。市民の意思表示は、デモ以外にはないのである。 この原点が意味するところは、2つに分けて考えてもいい。①議会が市民の代表ではないということ、②普通選挙が実施されていないこと。前回の雨傘運動は、この普通選挙を求めるものだった。そして、その意味での、普通選挙を求める香港市民の意思は変わりない。そこが目標でもある。 次に、現下のデモ

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    gimonfu_usr 2019/06/14
     ( 香港 /一国二制度 )
  • フランスの保育ママ「ヌヌ−」: 極東ブログ

    西村・プペ・カリン『フランス人ママ記者、東京で子育てする』で、日仏での、妊娠から育児についての比較考察がり、それはとても面白かった。なかでも、フランスの保育ママ「ヌヌ−」については、いわゆる調査研究書とは異なる、日にも詳しいいちフランス人女性の視点から描かれていてとても示唆深くもあった。 パリにあふれるヌヌ−事情 バカンスでフランスに帰り、パリの街角を歩いていると、わたしは東京では絶対に見ない光景にいつも驚かされる。 あきらかに50歳を超えた女性が、髪の色や肌の色がバラバラの3人の子供を連れている。こういう場面を目にするのは嬉しい。なぜなら、すぐさまこの女性はこの子どもの母親ではなく、ヌヌ−だとわかるからだ。 ヌヌ−(アシスタント・マテルネル)とは、他人の子どもの面倒をみてくれる女性で、フランスでは当たり前の存在なのだ。 東京同様、パリでも保育所問題は深刻だ。 しかし、多くの若いフラン人

    フランスの保育ママ「ヌヌ−」: 極東ブログ
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    gimonfu_usr 2019/06/13
    ( フランス )
  • 横浜市新交通システム「シーサイドライン」の逆走で何が問題か?: 極東ブログ

    1日、無人自動運転する横浜市新交通システム「シーサイドライン」が新杉田駅で車両が逆走して乗客14人が重軽傷を負った。この逆走事故で何が問題なのか、ぼんやりと考えつづけた。結論ではないが、ちょっとブログに書いておきたい。 事故の原因はだいたいわかってきている。事件当初は、事件の手がかりはなく、動作プログラムのご動作も疑われたが、現状ではそれはない。無人運転の安全の要となるATC(自動列車制御装置)とATO(自動列車運転装置)には異常はなさそうだ。 8日のNHKニュース『シーサイドライン逆走 回路断線で車両止める設計なし』ではこう伝えている。 無人で自動運転していた横浜市の新交通システム「シーサイドライン」が逆走した事故から8日で1週間です。これまでに先頭車両の回路が断線していたことがわかっていますが、断線した場合に車両を動かなくする「フェイルセーフ」と呼ばれる設計になっていなかったことが、運

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    gimonfu_usr 2019/06/13
    ( 神奈川 )
  • [書評] イタリア語の起源 歴史文法入門: 極東ブログ

    たぶん、イタリア語の起源に関心を持つ人はそれほど多くはないだろうし、まして、このブログを覗く人にそういう人がいるか、おぼつかないが、おそらく、ある程度まで英語に関心ある人なら、『イタリア語の起源 歴史文法入門』を読んでおいてもいいのではないだろうか。 そう思えるのは、語彙の変化もだが、ラテン語から俗ラテン語、そして、イタリア語へと変化していく母音のありかたが、大母音推移に似ているように見えたことだ。歴史的な関係はないのだが、大母音推移のような現象は英語でのみ起きた特殊な現象ではないのではないかと思えた。補足するなら、古英語にも母音には短母音と長母音があり、これらはラテン語の母音と似ている。 もっとも、大母音推移がまさに大母音推移であるような、調音までの遷移はイタリア語ですら発生していない。むしろ、そのことがなぜかという問いにもなるだろう。 他方、俗ラテン語の影響を受けたはずのフランス語には

  • 「就職氷河期世代」という言葉について: 極東ブログ

    10日の経済財政諮問会議で「就職氷河期世代」の就労支援が提言された。「就職氷河期」と言われる最初の年代層が50代になる前に雇用の安定化を図るというものだ。安定化と言われる実態は、中途採用の拡大を図る企業への助成制度の拡充らしい。期間は3年ほど。 具体的な対応策については置くとして、問題提起自体には意義があるだろう。が、当然政府の問題意識の焦点は、この世代が高齢化していくときの国家負担を減らすことだろうと私は思った。提言は経済財政諮問会議の民間議員によるもので前日の9日にはニュースになっていて、NHKのニュースからもそうした意図が伺えた。9日「就職氷河期世代 3年程度の集中支援策の提言案」より。 政府は「就職氷河期」世代が不安定な就労環境のまま年金を受給する世代に入れば、生活保護世帯の増加などで大きな社会問題になりかねないと危機感を強めていて、提言を踏まえ夏の「骨太の方針」の決定に向けて検討

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    gimonfu_usr 2019/04/11
    ( 女性の大卒者数はバブル直前1980年代中期から二倍になってる。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1335625.htm で、新卒に限っていえばそれがカウントされたのも大きいと思ってる。)
  • 「就職氷河期」なんてあったんだろうか?: 極東ブログ

    このブログを事実上お休みしている間、『とある私の平成史(仮)』というを書いていた。まだ書き上がっていない。いつ書き上がるかもわからない。そもそも書き上がるかどうかもわからない。書き上がったら、出版したいとは思っている。ありがたいことに期待してくれるお声もあったりする。 で、まあ、とりあえず、執筆は「平成5年」に入ってきたのだが、そこで「就職氷河期」が項目になる。そこで、あらためて「就職氷河期」を考えてみたら、これって当にあったんだろうか?と疑問に思えてしまった。 「就職氷河期」なんてあったんだろうか? ないわけないでしょ?と言われそうだが、就職しづらかったとか、正規雇用になれなかったとか、そういう個別の状況がなかったとは当然、言わない。それはあった。そうではなく、「就職氷河期」という言葉でまとめられる事態があったのかということだ。いつの時代にもどこの社会にある「就職難」というだけのこと

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    gimonfu_usr 2019/04/07
    (バブル期は就職売り手市場だったように聞いてるけど、不動産高騰の記憶しかない。)