タグ

2014年5月20日のブックマーク (5件)

  • interview with Archie Pelago | ele-king

    要はタイミングである。だってそうだろう、生ジャズがハウスと一緒になった、珍しいことではない。新しいことでもない。が、アーチー・ペラーゴのデビュー12インチは、都内の輸入盤店ではずいぶんと話題になった。何の前情報もなしに売り切れて、再入荷しては売り切れ、そしてさらにまた売り切れた。 僕が聴いたのは2013年初頭だったが、リリースは前年末。年が明けて、お店のスタッフから「え? まだ聴いてないの?」と煽られたのである。そのとき騒いでいたのは、ディスクロージャーの日でのヒットを準備していたような、若い世代だった(……マサやんではない)。 いまや人気レーベルのひとつになった、お月様マークの〈Mister Saturday Night〉が最初にリリースしたのがアンソニー・ネイプルスで、続いてのリリースがアーチー・ペラーゴだった。東欧やデトロイト、そしてUKへと、ポストダブステップからハウスの時代の到

    interview with Archie Pelago | ele-king
  • 808 Cube

    Drag and drop one-shot samples from your desktop! VIDEO X Concept Aleatoric music is music which is composed using an element of randomness. This style of music dates back to at least the 15h century and comes from the latin word for dice, which were used in 18th Century musical dice games. The American composer John Cage created aleatoric music composed from ancient Chinese methods of randomness

    808 Cube
  • ケイト・ブランシェットがカンヌで記者の質問に激怒!|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS

    ケイト・ブランシェットが、カンヌ国際映画祭の非コンペティション部門に出品された『ハウ・トゥー・トレイン・ユア・ドラゴン2(原題)』の記者会見の席で、記者の質問に立腹して怒りをぶちまけたとWENNが伝えている。 3人の子どもの母であるケイトに、記者が仕事育児の両立について質問をしたところ、ケイトはいたく気分を害された様子で、「女優だけが育児についての質問をされるのはおかしい」と主張したそうだ。 「そういう質問を男性にする人は決していないわ。その質問は女性だけに向けられるのよ。『どうやってバランスを取っているのですか?どうやって両立しているのですか?』ってね。2014年になってもそうなのかと思う。私たちの業界だけの話ではないの。すべての業界でそうだわ。まったくひどい状況だと思う。私たちは中世に逆戻りしているんじゃないかと思うほどよ。私は映画祭に出席している女優です。だから質問には答えるわ。私

    ケイト・ブランシェットがカンヌで記者の質問に激怒!|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
  • 今の子は投げない?カラーボール工場見学

    昔遊んだカラーバットとカラーボール。あのカラーボールの工場が埼玉にあって見学できるらしい。 行ってみるとラジオを流しながらおっちゃんが一日中機械を動かしている。意外と職人仕事だった。 しかも今は外国製品に押されたり子供がボール投げなくなってて大変らしい。おお、大丈夫か、おれたちのカラーボールは今。

    girly_red_army
    girly_red_army 2014/05/20
    最初に野球にはまったきっかけは、カラーバットや手打ちの野球だった。NPBやJABAが、そうゆう「ゆるい」野球の大会とかルール決めとかやると良いんじゃないかなあ。あとはコロコロで漫画化するとか。
  • 書評:橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、2014年。 - ujikenorio’s blog

    一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、読了。戦争で開催中止になったことはあるが、夏季オリンピックの開催都市が自発的に大会を返上したのは第12回東京大会(1940年)以外にない。書は招致から返上に至るその経緯を克明に描き出す。94年NHK出版刊行の文庫収録。 近代オリンピックの歴史は、対IOCだけでなく、国内問題としても、かなりの部分が政治との闘いの歴史でもある。1940年東京オリンピックも例外ではなさzい。皇紀2600年慶祝のイベントは猛反対から始まったが曲折の末、冬季大会も札幌と決まる。 日の侵略主義が開催ボイコットに直結するが、肝心の競技施設を準備せず開催意欲だけ先行した立候補が仇になる。日中戦争の拡大で競技場建設がストップし、開催か中止かの岐路に立たされる。「たかがスポーツの大会」としか考えぬ軍人たちはプロパガンダに利用したナチス以下の

    書評:橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、2014年。 - ujikenorio’s blog